実は11月にはいろんな事があって、心が落ち着かない日々を何週間も過ごしておりました。そのせいか、時間がないわけではなかったにも関わらず全然映画に行ってなかったんですよね~。

ホントは初日に行こうと思ってたこの「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々/魔の海」も「時間が合わない」とか「今日は体調が悪い」とか何かと理由をつけては行かないまま一ヶ月近くが過ぎ、このまま見ないで終わるんだな~なんて心の中でぼんやり思っていたんですが、ある日突然全ての条件がピタリとはまりギリギリ11月中に見ることができる運びとなったのです。

で、映画館に座って
パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々/魔の海」を見ながら、しみじみ思いました。今日見ることにしてよかったなって。

その日はとりあえず悩み事も大体片付き、体調も悪くなく、何も他のことを考えずに「パーシー」に没頭できたんですよね。それがよかった。童心にかえって本当に楽しめましたから。違うタイミングだったら、絶対こんなには楽しめなかったと思うんです。

先に「何かと理由をつけて行かない」でいたと書きましたが、結局その時って、「パーシー」を見る心の準備が整ってなかったってことなんですよね。「心の声に従え」というのはこういうことなのかと思ったりして。

でも、見ていて心地よかったですね~、
パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々/魔の海」は。全編に思いやりと友情があふれていて。人間にはやっぱりこういうものが必要ですよね。原作は児童書なのですが、恐らくすぐれた作品なのだと思います。「ハリー・ポッター」に通じるものがありますわ。きっとアメリカの子ども達にとっては完全にアメリカを舞台に描かれている「パーシー」の方がよりリアルで、より近い存在なんでしょうね。

何が違うって、主人公達を取り巻く家族の関係。
パーシー達デミゴッドは片方の親がオリンポスの神様で片方が人間という存在なので、片親しかいなかったり、両親がいても継父や継母だったりする家庭で育ってる場合が多いのですよ。離婚がごく当たり前になっているアメリカだと、そういう家庭環境はもはや一般的で珍しくもないのでしょうが、そういう境遇で育った子達が半世紀ぐらい前に書かれた児童書を読んでも、たぶん参考になる部分って、少ないと思うんですよね。だってそのぐらいだと、まだ両親そろって実の親で、離婚なんて考えられないぐらい仲良くて……ってのがいわゆる「家族」でしたから。アメリカでもキリスト教の影響が今よりずっと強かった時代の癒え「家族」を描いている物語って、現代の一軒の家に収まらない拡散した家族関係の中で生きている子ども達には具体的な見本となるものが見いだせないんじゃないかと思うんですよ。

だからこそ、「パーシー・ジャクソン」の世界はオリンポスの神々を基盤にして、現代の子ども達に通じる家族関係を描いてみせることができるんでしょうね。オリンポスの神々の男女関係が現代のアメリカのそれに近いのかもしれませんが。しかしその現実の中で暮らすアメリカの子ども達にとって、一軒の家の中に両親とその直系の子どもだけが生活しているのが普通だとする一昔前の児童書は、古代のギリシアの神話よりもなお古くさく思えるのかもしれません。

そしてそういう「オリンポス」的な境遇で生きている子達が日常に遭遇する様々な試練(突然見知らぬ兄弟と一緒に暮らすことになる、とか)をのりきっていくためにはどうすればいいかというのをパーシー・ジャクソンが見せてくれるのですね。そしてそれを「こういう時どうしたらスマートに受け答えができるか」といった表面的なハウトゥーを身につけるものではなく、そういう状況に際した時自分の心はどう揺れ動くのか、そんな時に相手を傷つけないためにはどうしたらいいのかといった、自分の心構えや配慮を学ぶようにこの映画は作られているのです。

実際に当事者たるお子さんが見たら「ケッ、甘いぜ!」とはき出すように言うのかもしれませんが、いい大人の私はこの作品を見ていい気持ちになれましたよ。うんうん、素直で頑張り屋さんの子どもって、いいなあ♪

いい心のカンフルでした♪