「オンリー・ゴッド」公式サイト

順位的には昨日見た「スティーラーズ」の上、「キック・アス ジャスティス・フォーエバー」の下って所。物語としての完成度もその辺だと思う。

この監督の前作「ドライヴ」がとっても良かったので凄く期待して見に行ったのですけれど……期待が膨らむだけ膨らんどいて、それだけで終わったって感じですね~。

実は「スティーラーズ」も同じ監督がポール・ウォーカー主演で撮った「ワイルド・バレット」が好きだったのでこちらも期待して見に行ったのですが、こっちはそれが期待外れであることは最初の15分ぐらいで分かったのですがね。「オンリー・ゴッド」の方は最後の最後までずっと期待してて、それがそのまま終わっちゃったので大層びっくり致しました。うん、肩すかしというよりもびっくり。「は?」の次に「なんで???」が来ます。それは、ひょっとしたら自分がこの物語を読み解けなかったんじゃないかという疑問なんですが、まーでもこれは大体誰が見ても分からないんじゃないかなー? 少なくとも「ドライヴ」の感動を期待して見に行った人なら。「オンリー・ゴッド」を何の情報もないまま見た方の感想というのが知りたい所です。

さて、順位として「スティーラーズ」の上に「オンリー・ゴッド」を置きましたが、この二作の間には大変な隔たりがあります。それは「オンリー・ゴッド」には「スティーラーズ」にはなかったものがあるからです。「スティーラーズ」が「エンダーのゲーム」と「47RONIN」の上にくるのはひとえに「意外性」の故なんですが、「オンリー・ゴッド」に関しては「意外性」に加えて「緊張感」が上回るのです。こと「緊張感」に関しては、「スティーラーズ」は今年見た中で最低で、「ジャッキー・コーガン」といい勝負。これより下回るのは去年見た「スティーブン・キングは殺せない!?」ぐらいで、ここまでくるとすでに劇場公開に耐える作品ではないので、他作品と比べる意味すらなくなります(この映画見たから今年の戒めが「つまらないそうな映画はもう見ない!」になったのよ)。あ、ついでに「スティーラーズ」は「映像美」と「音楽」の点でも今年最低です。それでも私にとっては「意外性」さえあればおもしろいんだなと今改めて分かりました。ま、それはおいといて。

実は「オンリー・ゴッド」の中で描かれている行為って「スティーラーズ」とそう変わらないんですよね。意外性の発露がどこで見られるかというのも同じ。報復によって加速する過剰な暴力です。「スティーラーズ」では間抜けな面々が漫然と過ごしてる中で突発的に行われるのでその意外性が笑いを呼ぶ(と制作者は思っている)のですが、「オンリー・ゴッド」は観客に「来るぞ来るぞ……」とずっと思わせておいて、その予想をさらに上回る暴力性が発揮されるので胸に響くわけですよ。それが単なるショックにしろ、肉体的な反応としてはそうなるわけで、すると人はうっかりそれを感動だと認識しちゃうのですね。まあ誤解なんだけど。

で、とにかく「オンリー・ゴッド」のレフン監督とライアン・ゴズリングは激しい暴力と暴力の間に静かな緊張感を保つのに長けているわけですよ。あまりにもその緊張感ばかりが続きすぎると途中耐えきれなくなって居眠りしちゃったりもしますが、でもその間決して退屈はしてないというのがスゴイんですね。ライアンの演技力もありますが、レフン監督の撮る構図って私の好みなんですよ。「オンリー・ゴッド」の場合は色づかいも良かったです。

それはいいんですが、最後まで見ても物語のポイントがどこにあったのか分からないというのが問題で。恐らく監督本人も撮っている内に分からなくなったのではないかと。破綻の度合いでいったら「スティーラーズ」以上かも(つまりできが悪いのよ)。掌の上でまとめきれなくなったので、「オンリー・ゴッド」と神話の世界になぞらえてそこで無理矢理ケリをつけたって感じですね。舞台がタイなので、西洋の神の元では始末がつけられなくなった物語のケツを東洋に持ち込んで異世界の神に決着つけてもらおうとしたとか。西洋人が見れば東洋の不思議で納得できるのかもしれないけど、私東洋人なので。余計理解不能でした。大体タイは仏教国だしね。

いっそ日本の立川が舞台だったらイエスも仏陀も一緒に住んでるから何とかなったのかもしれないのにね(←それ「聖おにいさん」の話だから)。

もっともですねえ、神話になぞらえるならイエスよりもさらに古く、オイディプスにまで遡るみたいなんですよ。なにしろ「オンリー・ゴッド」でライアン演じるジュリアンの母親は猛女(死語?)でしたので。母親というよりスフィンクスだわ、あれ。演じるクリスティン・スコット・トーマスのアバズレっぷりがまた堂に入ってて……。彼女はいつもはきちっとした気品ある女性を演じているのに、髪と化粧と衣装でまるで別人。これが母親なら息子は大変だわ……と誰もが納得する造形でした。

でもそこから先が分からないのよね。思わせぶりなシーンは幾つも出てくるんだけど、具体的には全然わからないというか……それは私が女性であるせいかもしれないんだけど、描写から読みとききれなかったんですよね~。

図式としてはわかりますよ。美しく支配的な母と二人の息子の関係だけならね。

でもそこにタイ警察のターミネーターみたいなおっさんがからんでくると分からなくなっちゃう。このロボコップみたいな動きするターミネーターは一体なんなんじゃ?? 

結論から言うと、このターミネーターが「ゴッド」にあたるわけなんですが、監督はそれでいいかもしれないけど観客は納得しないって! たぶん日本人は。ってゆーか、「クリミナル・マインド」とか「CSI」とか見慣れた人は。あれは神ではなくて、神コンプレックスに陥っている男で、それは「クリ・マイ」や「CSI」では犯罪者としてしか出てこないものなんだってば!

そういうアメリカのドラマを見過ぎの自分が悪いのでしょうか……。

でも「オンリー・ゴッド」の中では、舞台がタイだからそれで一種の「神」として許されているみたいな描き方なんですよね。

いくらタイだからってそれはないだろうと私は思ったんですが、それが私の認識不足ということも充分ありうるわけで……だからモヤモヤしてるんですが。

或いはジュリアンにとってのみ、そのターミネーターが「ゴッド」として機能したという解釈でいいのかもしれないんですけどね。

また別の解釈としては、そのターミネーターとの和解をはかるためにジュリアンが大いなる犠牲を払ったという見方ができないわけでもないですが……そこまでして和解をはかるだけの理由が、その時点でもはやジュリアンの中に見いだせないんですよ。あんたは結局一体何をしたかったわけ?

それが分からないから、この映画で監督が何を言いたかったのかわからずじまいなのです。

ただし、それはジュリアンが主人公である場合。

実はターミネーターの方が主人公ならば話はとっても簡単になります。タイで悪さをしている外国人を神に代わってターミネーター警察官がばっさばっさと成敗していくストーリーになりますもんね。この映画タイで作ってるんで、監督の当初の意向とは関係なくそういう風な流れにならざるを得なかったのかもしれません。そうだとしたら「47RONIN」といい勝負です。

ま、とにかく、映画監督というものは一本傑作をとったからといって次もおもしろいとは限らないのだということだけはしっかり理解いたしました。これ、「オンリー・ゴッド」、テレビで見てたら多分寝るわ。