「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(公式サイト )
この作品については紛う事なき傑作であり、ベネディクト・カンバーバッチの渾身の演技はまさにオスカーノミネートにふさわしいということで、あとは御自分でご覧下さいとしか言うことがありません。私なんぞのつまらん感想で作品を汚すのもイヤ、というぐらいに惚れ込んでおりまする。
さて、世間的にはこの作品の素晴らしさはアラン・チューリングの実像に迫り、ゲイで投獄されたことさえある彼の名誉を回復すると共に、秘密にされていたその業績の偉大さをも明るみに出す、といったあたりにあると言われていると思います。
でもさー、それだけじゃないんだよね。
この「エニグマ」については他の映画でも取り上げられることが多くて、それを奪いに行った話の「U-571」(2000年)とか、タイトルがそのものズバリ「エニグマ」(2001年)等はなかなかおもしろかったです。特に「エニグマ」の方にはアラン・チューリングとジョーンをモデルにしたような登場人物が主人公で、舞台背景も似ていました。
で、確かその「エニグマ」の方でも描かれていたんですが、これは暗号機の暗号を解読するだけの話じゃなくて、スパイが暗躍する情報戦の話なんですよね。当時存在しないことになっている英国情報部、MI6が仕切っているんですわ。
そのMI6の介在の仕方が「イミテーション・ゲーム」では大変リアルに表現されているんですよ。もちろんこれは映画ですからその全てが本当にあったことかどうかは分かりませんが、現実に彼らが行ったこともあり、そしてそれが戦後50年も秘匿されていたためにアラン・チューリングがワリを食ったというのは事実なわけです。
そこで、第二次大戦の終盤でMI6がやった作戦って、ある意味、いや、いかなる点においても非道そのものなんですよね。だからこそその秘密を関係者がほとんど死に絶えるまで隠し通さなければならなかったというのはよくわかります。
しかしその非道な作戦、これが信じられないぐらい完璧に成功を収めてるんですね。だからこそ第二次世界大戦で連合国側が勝つことができたといっても過言ではないぐらいです。敵をも味方をも欺き、情報を完全に掌中に収めて自由自在に操った英国情報部こそ、大戦勝利の立役者だったわけです。少なくとも「イミテーション・ゲーム」を見る限りではそう思えます。情報戦を制した英国情報部こそ世界一のスパイ組織、と当時の英国情報部員は心から誇りに思ったんだろうな、と。
それで納得できたことがひとつ。
私、同じくベネディクト・カンバーバッチが出演していた映画で「裏切りのサーカス」という作品がとても好きで、気に入った挙げ句原作まで読んだのですが、どうしても分からないというか、何故彼らがそういう態度をとりそういう風に感じるのか、自分の理解が及ばなかった点があったのですよ。
映画よりも原作に色濃く漂うその雰囲気、作者であるジョン・ル・カレの他の作品で私が読んだものにも通じるものですが、それはもの悲しい程の斜陽感なのですね。かつての栄光を忘れられず、ことあるごとにそれを引き合いに出し、今でも同じだ充分やってるぜと虚飾を張って見せつつ、その実どうしようもなく零落れてしまっていることを自分自身が気づいてしまっている英国情報部の、空虚なのに実務だけは延々とこなし続けている姿。
なんでこの人達(英国情報部で働いているスパイ達)はこうなの? とずっと不思議だったのですよ。
「裏切りのサーカス」の時代は東西冷戦のまっただ中で、戦後20年ぐらいたってる時で、今は亡きソ連のスパイが暗躍している頃です。私の頭にはソ連のKGBとスパイ合戦してたのはアメリカのCIAという図式が刷り込まれておりましたので、なんでそんな英国情報部が「本当は自分たちの方がエラいのに」みたいな態度でいるのか全然理解できなかったのですよ。
残念ながらそれが理解できてないと、「裏切りのサーカス」で一番重要な台詞の、肝の部分が全然ピンと来ないんですね。
その台詞は本来のミステリーとは関係がないのでここで内容を書いちゃいますが、
「ソ連が相手にしていたのは俺達英国情報部ではない。俺達はヤツラがCIAを相手にする窓口にされていたんだ」
というようなもの。
まあ、なんと申しましょうか、この箇所を読んだ時の私の感想は「はあ、それで~」程度で、だからどうしたみたいな感じでしたね。作者としてはここに一番気合いが入っていて、出版された時代の読者(特に英国人)が読んだら青天の霹靂の如き衝撃を受けるであろうと確信しながら書いたに違いないんですが……そういうことは分かるものの、肝心な衝撃は全く得られなかったのですよ、21世紀に生きる無知な私は。
その、「東西冷戦下で(CIAに遅れをとって)ソ連にハナもひっかけて貰えない英国情報部」という内容の記述がショックを引き起こすためには、かつては英国情報部が栄華を誇っていたという記載がどうしても必要なのですが、原作の中には「かつてはよかったのに」的な描写はごまんとあるものの、明確な、まあ例えば「我が英国情報部はかつては世界一だった」というようなくだりは全然ないんですね。作品全体を貫くトーンとしての「もの悲しさ」や「うら寂しさ」から「斜陽」とか「落魄」といった印象を受けるに留まるだけだったんです。
それが、何故そうなのか、というのがこのたび「イミテーション・ゲーム」を見て、ようやく理解に至ったワケで。
なるほど、この時点、エニグマの解読に成功しその後の情報戦を制した段階で、紛れもなく英国情報部は世界一だったんだな、と胸落ちしたのでした。
英国情報部にしてみれば、連合国側が勝てたのは自分たちがいたおかげだぞと、戦後何年もずっと鼻を高くしていたに違いないのです。そこの慢心をつかれて冷戦時代には内部からボロボロになっていたのかもしれません。裏切りのサーカスはその時代が背景なので、英国にしてみれば英国情報部が世界一だったことは今更敢えて書くまでもなかったのかもしれません。或いはひょっとしてその時代はエニグマに関することはまだ秘密だったので書きたくても書けなかったのかもしれませんが、そういう裏付けがなかったとしても、なんとなく戦争に勝てたのは英国情報部のおかげ的な優越感はずっとあったのでしょうね。
奇しくも「イミテーション・ゲーム」で英国情報部の「顔」を演じるたのは「裏切りのサーカス」にも出演していたマーク・ストロング。同じ諜報員でも全然違う役作りで、さすがだなあと思いましたわ。しかし「イミテーション・ゲーム」の中で彼が行ったことが全て功を奏していたのだとしたら、「裏切りのサーカス」のお偉いさん達がそろいも揃って「情報戦ではオレ達が世界一」みたいな顔していたのも納得できます。ベネ様つながりですが、「イミテーション・ゲーム」と「裏切りのサーカス」は結構密接につながってるんじゃないかと思いましたね。
ベネ様熱演のアラン・チューリングにばかり注目が集まってますが、「イミテーション・ゲーム」がおもしろいのはそれだけではありません。その時代、情報戦が如何に繰り広げられていたのかをうかがい知ることができるだけでも本当におもしろいのです。この作品がアカデミーで脚本賞を得たのは当然だと納得できますよ。