クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus#モンテッソーリ子どもの家 「モンテッソーリ教育」という言葉は翻訳本では割とよく見かける。幼児期の本人が受けたとか親が傾倒していたとか、登場人物の説明として使われることが多いのだが、それが実際何を意味するのかは文脈から判断しなけ… https://t.co/AlgxAWzvNC
2021年04月06日 13:28
それが実際何を意味するのかは文脈から判断しなければ分からない。
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそれは書き手が「モンテッソーリ教育」をどのように受け取っていたのかに左右されるからだ。子どもの才能の芽を伸ばすと手放しで賞賛している場合もあれば、自分勝手に何でもしたがり規律を守らない人間に育つと蔑んでいる場合もある。全体としては高評価らしいのだが、実は嫌っている人も多い印象
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus当然私は本で読んで「モンテッソーリ教育」が如何なる物かは大雑把に掴みはした。そして本の通りなら大変素晴らしい教育法だろうと思ったが、では何故それに対して「言うことは立派よ、でもね……」という具合の否定的な見解を持つ人がこんなにも多いのだろうという疑問は残った。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus日本にも「モンテッソーリ教育」をうたう幼児教育の施設はある。だがその中で何が行われているのか具体的にはよくわからない。パンフレットを読むことはできるだろうが、すでに幼児でない自分にはもはや体験はできないし。というわけでこの映画はその実態を知るとてもいい機会だと思ったのだ。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusナレーションが向井理だったし(一番の決め手)。 結論から言えば「モンテッソーリ教育」は素晴らしいと思う。ただ親には覚悟が必要だ。何故なら子どもがモンテッソーリ幼稚園で学んだことを生かし、その芽を摘まないためには、家庭がそのままモンテッソーリ教育を実践しなければならないからだ。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusこれは親にはハードルが高い。たぬまぬ忍耐と見守りと、そして説明が必要だからだ。何の説明って? 子どもに「幼稚園ではこうしてるのに、どうしてお家では違うの?」と問われた際には明快で分かりやすい理由付けが必要だからだ。そうしなければ子どもはいつまでも質問し続けるだろう、何故何故と
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそして幼稚園にあるような、「子どもの手に合わせた危険性の少ない道具」は普通の御家庭にはない。おもちゃではなく本物の道具を幼稚園で使ってきた彼らは、家庭でも同様に使いたがるだろうが、それは彼らの手には余るものなのだ。普通の包丁や陶器を彼らに委ねたら、親は付きっきりになってしまう
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus親の方にそれだけの時間と精神のゆとりがあれば可能かもしれないが、まあたぶん日本の普通の家では無理である。裕福で家事はお手伝いさん任せとか、或いは幼児教育に専門家を雇うとかじゃないと家庭で同じ事はできない。できない時に、幼児にそれは何故かを納得させるのは、大変難しいのである。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus仮に大変聞き分けの良い子で「幼稚園と家とは違う」という事を学んだとしよう。するとその子はその時点で世間にはダブルスタンダードがあることを知ってしまうのだ。幼稚園と家で「自分のやりたいこと」の使い分けをしなければならないのだと。しかしそれができない子はもっと大変だ。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus幼稚園で推奨されていることを家では許されない事が納得できなければ、子どもは泣く、騒ぐ、かんしゃくを起こすといった態度に出るしかないが、それは当然親を困惑させ、怒りと叱責を呼ぶからだ。必要なのは説明と説得なのだが泣く子にそれができる大人はまずいない。子の泣く声は過重なストレスだ
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus親ならまだ我慢するかもしれないが、周囲の他人は迷惑としか受け取らないだろう。「モンテッソーリ教育」の理念に従って子どもの自発性を促そうとすればする程、そういった周囲が受け取る迷惑感が増大する可能性は非常に高い。幼稚園教諭と違って親の方はその専門教育を受けてないだろうし。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus重要なのは子どもが何かを「できるまで辛抱強く待つ」事なのだが、周囲にとって一番難しいのもそれなのである。「モンテッソーリ教育」を受けさせたいと願った親ならば自分でも恐らくその重要性を知っているだろうが、そうでない人間には無駄な時間としか思えまい。手を貸す方がずっと早いのだから
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus見て分かる子どもの行動だけを取り上げれば「モンテッソーリ教育」に批判的になる人もいるのだろう。幼稚園で学習した道具を使った行為は、遅かれ早かれ成長すればできるようになる事だからだ。でも本当に大事なのは「早くできるようになるかどうか」ではない。そこが分からなければ意味がない。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus大切なのは子どもが興味を持った時にその芽を上手く伸ばしてやることだ。そうすることで子どもは成功体験を積み重ね、物事に対して積極的に関わろうとする意欲に満ちる。何かができた時に褒めて貰えることで承認欲求も満たされる。豊かな精神を形成するための土台がしっかりできあがる。
2021年04月06日 13:28
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそうなれば、たぶん大人になった時に楽しく暮らしていくことができるだろう。細かな記憶としては残らなくても、「自分にはできる」という確固とした自信が幼児期に培われているからだ。最終的に豊かな人生を歩める大人を作る、それが「モンテッソーリ教育」の理想なのだと、映画を見て思いました。
2021年04月06日 13:28
その後のツイート対話