クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus#カウラは忘れない 夏に見た映画の一本。 まず「カウラって何(誰)?」って所から始まった。予告篇を見ると、それがオーストラリアの田舎町の名で日本人の捕虜収容施設があり、彼らが集団脱走を企てた事件があったことを知る。何もかも初耳。さ… https://t.co/Sqi72tfDhw
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus「カウラ事件」と呼ばれるその出来事が何故起こったのか。映画は少し時間を遡り、高校生達が事件を生き延びた今はもう老人となった元捕虜達に話を聞きに行くところから始まる。そこで明かされるのは折角日本に帰ってきても故郷に戻らず、名前も変えて戦後をひっそりと暮らした元兵士達のこと。
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus彼らは万歳と共に出征し、「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」の戦陣訓を叩きこまれて軍人となった。捕虜であるのは死よりも恥ずかしいことなのだ。また捕虜となった事実が知られぬまま戦死公報に名前が載った人達にとっては、家族に支払われる遺族年金が悩みの種となる
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus死んでいれば英霊として祀られ遺族年金で家族も助かるのに、捕虜として生きてる事が明るみに出れば村八分レベルの恥に加えて金も返さなければならないのだ。身を隠す方が家族のためと、名前を変えるのも無理はない。生還を果たしても誰も喜んでくれないーーそれが捕虜になった日本の兵士の運命だ。
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusここでカウラでの収容所生活の実態が暴かれる。本編の中で最も驚愕する部分は彼ら捕虜の日常だろう。なんと 豊かで自由で開放的なのだ! 食事には毎回肉が出て、「俺たち日本人は魚の方が好きなんだ」と訴えれば「肉の方が安いんだが……」とこぼしつつも缶詰を皮切りに魚もメニューに加わったとか
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusカウラにあった第十二捕虜収容所はとにかくジュネーヴ条約に忠実に従うことを旨とし、捕虜の待遇にはそれは気を使っていたらしい。収容所が国の恥とならぬように村民あげて気を配っていた感じだ。生活は満ち足りていて、素朴で気の良い人ばかりだったのだろう、捕虜を排斥する事もなかったようだ。
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusだから収容所で暮らす捕虜達は、母国では考えられない自由と食事を味わっていたのだ。日本人棟にはそれぞれのリーダーがいて、話し合いの元、大変民主的な共同生活が送られていた。軍では当たり前の新人いびりも上官の暴力もなく、作業もないのでゲーム三昧。敷地は広くて毎日野球に汗を流したとか
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusなのに何故、彼らは集団脱走したのか。 アウシュビッツやシベリア抑留のような過酷な状況ではない(だから逃げる体力もあったのだろう)。 映画の『大脱走』で描かれるように脱走することが捕虜の務めでもない。そもそも捕虜になるという前提がないのだから。 そう、戦陣訓が許さなかったからなのだ
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」 この言葉が彼らを縛った。 これは1941年に東条英機陸相の名で全陸軍に布達された戦陣道義高揚の訓諭の一部である。ヒエラルヒーのトップが言った事には盲目的に従ってしまうのが日本人の常である。またそれが都合よく使われるのだ
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus恵まれた捕虜生活を送りながらも戦陣訓を叩きこまれた元陸軍兵達は「自分達は死ぬべきであった」と心の底でずっと思っていたのだ。一生このまま捕虜生活を送りたいとも願っていたかもしれないが、それが現実的でない事は誰でも分かる。戦争はいつかは終わるものだから。その時捕虜は解放される。
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus生きて帰れば日本では文字通りの生き地獄が待っている。為す術もないままその日が来るのをじっと待つのは凄まじいストレスだったに違いない。表向きは平和に野球に興じていても心の内には焦慮が潜む。そして多分、捕虜である自分達が腹一杯メシを食っているのに戦地の仲間は餓えてる事への罪悪感も
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそういう悶々とした気分が次第に集団脱走の計画に固まっていったのだろう。逃げるのが目的ではなく、脱走を図ったかどで殺されるために。そんなのいやだ、死にたくないという個々の思いは戦陣訓をバックにした「大きな声」にねじ伏せられる。「お前らそれでも帝国軍人か!」の怒声には誰も逆らえない
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそうして「カウラ事件」が起こったのだ。 https://t.co/xKLigUy2PU
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus本編を見て分かるのは、この事件がカウラの方々にも深い爪痕を残していること。双方に死者が出てるとはいえ、それだけではない深い苦しみ。それはたぶん、「あんなによくしてやったのに、何故?」という疑問への解答が得られないから。日本人の捕虜達に裏切られたという思いを払拭できないから。
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそれでもカウラの人々は死んでいった捕虜達のためにお墓を作ってくれている。横一列に長く伸びて数人分まとまった長い墓石。そこに刻まれている名さえ、捕虜の汚名を恥じて偽名の人が多いのだとか。なんと不幸なことだろう。何故誰も「大きな声の人」に死ぬのはいやだと言えなかったのか。
2021年09月29日 15:35
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそれが当時の教育だったから。それ以前に日本人は個別に声を上げるのを嫌うから。国民性というのもあるだろう。だがそれで唯々諾々と死んでいって満足なのかというと、絶対そんなことはないのである。そんな死は周囲に苦痛をまき散らす。「大きい声」に従った結果を教えてくれるのが「カウラ」なのだ
2021年09月29日 15:35