#マスター先生が来る でセードゥパティさんが演じたバワーニって、なんつーか、需要のあるキャラなんだよね。ひとつのこと(悪事)に振り切っちゃって、他はどうでもよくなるってキャラだからさ。そしてそのために必要な事は何でもやっちゃうという行動力が素晴らしいのよ。まるでオタクのかがみ。
 
バワーニの考え方はいわゆる「普通」とちょっと違う。 ここでいう「普通」とは1と0の間に少数とか分数とか、様々な段階でのグラデーションがあるということ。1を黒、0を白とした時にそれらを混ぜた灰色が無数にあるように。でもバワーニは「白」と「黒」しか認めない。灰色は全て黒。すなわち死。 
 
現代においてその考え方は間違っています。全ての灰色を多様性として受け入れるのが理想の社会だからね。たぶん、バワーニ自身もそれは知っているのよ。でも自分の支配のためにそれを無視する。ぐだぐだ言わない。ただ、無視する。間違っていると思いつつ、たぶんそこがかっこいいのよ。
 
間違ってるのよ、バワーニは、もう根本的に。それは観客みんな知ってるの。でもさ、バワーニをそうさせた理由もまた観客全員知ってるわけで、なんか「仕方ないよね」って納得しちゃう。そこが脚本と俳優の上手さなんだよね。誰もが間違ってると思う事さえ、でも仕方ないと思わせちゃうパワーって。
 
それが映画のいいところじゃない? 私はバワーニは間違ってると思ってる。でもその上でバワーニかっこいい、好きだ♪って思ってる。だって、フィクションなんだから。彼は想像上の人物で、何をしようと現実には影響はない。だから私は無責任に「バワーニかっこいい♪」っていう。それがフィクション
 
でも、それさえもマズイ事なのかもしれないと、観客に思わせるのが『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』。前半だけの話だから、後半どう転んでつまんなく収束するかわからないという危険性をはらみつつ。今の所は物語が現実に及ぼすパワーの危険性について、描きたいのかなと思ってる