近くの河川、
天竜川に出向いた。
昔は『暴れ天竜』と呼ばれ、
国内でも有数の急流。
雨が降るたびに氾濫を繰り返しては、
水害の原因となっていた天竜川だが、
今では、
ジョギングしたり、
サイクリングしたり、
野球場、サッカー場があったりと、
河岸では楽しめるように
整備されている。
そんな河岸に、
アウトドア・アフタヌーンティーを
両親と満喫しにいった。
遠くでは、キャンプを張っている。
寝泊まりキャンプは上流まで行かないと、
施設は無いが、
私たちと同じように、
場所とそのときを楽しんでいるんだろう。
私たちは手前のプリウス。
そう、
書いている今日は
長崎に原爆が落とされた日でもある。
昭和20年8月9日午前11時2分。
このとき母は、長崎にいた。
というよりも、住んでいた。
実家が五島列島の福江島。
位置的にどうだったのか?
ということで、
恥ずかしながら初めて、
検証してみる。
「被爆体験者」区域に入っていた。
当時の幼き母は、
その記憶がまったく無いという。
爆心地から遠かったからなのか
幼かった故に記憶が無いのか
屋内に居たために気づかなかったのか
不明である。
そんなこともありながら、
数十年後、私が生まれた。
この世に生を享けた。
自分の存在は当たり前ではない。
奇跡の連続だ。感謝でしかない。
母にとっては
記憶にはまったく無いという
原爆だが、
今日という日は
後世にも伝えていくべき日であり、
記憶として語り継がれる日でもある。
昭和20年8月9日午前11時2分。
合掌。