岳南朝日新聞社『夏の思い出』

8月16日に掲載されました

 

テーマ:わが家は敗戦からどう生きたか

 

1、敗戦の日、満州にいた

私は昭和13年生まれ。6歳8ヶ月の齢に大日本帝国は敗戦。太平洋戦争は終りしました。

 

私の誕生は満州国奉天市、現在の中国瀋陽市です。父塩川寿介が満鉄電化計画の技術者でしたから、私と次女と三女(引揚船中で死亡)の3人は満州で生まれました。

 

2、引揚難民となる

戦争は終わりましたが、すぐに日本に帰れたわけではありません。

蒋介石の国民党軍と、毛沢東の八路軍の中国内戦に巻き込まれて、引揚難民の過酷な1年の後、やっと昭和21年7月に舞鶴港に引揚げました。当時のことを、母はよく話してくれました。父が戦死していたら、私(7歳)と妹(4歳)は中国人に預けるより仕方ないと思っていたと。もしそうなっていたら私と妹は残留孤児でした。

『大地の子(山崎豊子著)』の陸一心(7歳)と妹あつ子(4歳)と全く同じ運命になっていたと思います。

 

3、我が家の戦後

引揚げてきた父の実家は、祖父塩川信太郎(旧庄屋地主・大宮町議員・富士郡議員)が守っていてくれたので、農地解放後も小作地以外の屋敷・田畑・果樹園・山林の資産は残りました。

 

食糧難の時代でしたからニワカ百姓となり、お米・さつま芋・とうもろこし等、おなかにたまるものを作りました。

 

その頃、母は富士宮農協婦人部長を務め、昭和27年第4回婦人週間記念(労働省婦人少年局長藤田たき)『婦人の地位は高まったか―農村家庭において―塩川豊子』は論文賞を受賞しました。

 

4、野中保育園誕生

受賞論文がご縁となり、昭和28年第5回婦人週間、全国婦人会議(労働省婦人少年局婦人課長田中寿美子)に塩川豊子(農業・主婦・5児あり)は選ばれて、『社会問題に対する婦人の関心―社会福祉のために婦人は何をなすべきか―』の発表を行いました。

 

内容は、昭和28年4月、塩川本家の土地と建物を無償で提供し、慈善事業(園児45 名・初代園長塩川寿介・主任保母塩川豊子)の発表です。江戸時代の村一番大きな米蔵が第一号園舎となりました。

私たちが田植えをした田んぼが、父と母の手によって保育園になりました。

 

 

 

5、慈善事業時代は続く

事業開始から4年、昭和32年に野中保育園は県知事認可となり、さらに昭和44年には社会福祉法人認可となりました。だからと言って当時の措置制度では十分な公金が来た訳ではありません。

不足分は田畑を売り給与やボーナスとしました。新しい園舎『野中ザウルス』建設(昭和46年~)では、保護者一丸となってチャリティーショーで稼ぎました。また、24回連続して行われた大地保育セミナーの受講料でも稼ぎました。

 

やがて高度経済成長の時代、共働きが増え、園児も増え、私の寝ている母屋も保育室となり、保母のなり手のない時代でしたから家族総出で園児の世話をしました。私は富士高生で紙芝居をし、チャンバラ(剣道2段)で遊び、クリスマスにはサンタクロースになり、保父として父と母を助けました。

 

6、母との約束『大地保育』

初代園長の父塩川寿介は昭和28~36年の9年目に59歳で亡くなりました。

その後、母塩川豊子が園長となり、野中保育園の保育理念『大地保育』は確立しました。

 

就業規則第15条『保育目標:何をするにも自分で開拓できる子』『職員は大地保育を推進していく』。

大地保育とは、太陽・水・どろんこ・土・草や木・小動物などの自然環境を最重視し、大地を土台に展開される自由保育方式の保育の総称で、『汲みつくすことのできない宝庫である大自然に挑む中で、子供たちが育てられていく保育(塩川豊子)』と定義しました。母との約束は、大地保育を学術的に文章化して普遍的な学問にする作業です。

 

私の著書(フレーベル館)大地保育三部作『名のない遊び』『どろんこ保育』『大地保育環境論』は母との約束でした。

 

7、戦後を振り返る

大きな目で見れば、私たち家族は財産を投げ出す形の慈善事業で、「戦後の絶対的貧しさ」の克服と戦ってきたといえます。地域の皆さんと共に「みんな貧しかった」中から、平等に・公平に「子どもの最善の利益を追求して」来ました。

 

しかし、昨今の「階級社会の貧しさ」また「格差社会の貧しさ」と言われる「貧しさ」は、戦後われわれが取り組んできた『貧しさとは異質の政治問題』を抱えていると思います。大地保育の創始者塩川豊子は平成11年に84歳で亡くなりました。

 

母を支えた子供たちも現在、長兄86歳・長女84歳・私80歳・次女78歳・(三女-引揚犠牲者)・四女73歳となり全員現役を引退しました。

平成30年度には厚労省の『野中保育園』から、内閣府の幼保連携型認定こども園『野中こども園』となりました。

 

8、あとに続く者よ!

昭和28年以来、創立66年。卒園児数3,000名余を誇る歴史のある園として『あとに続く者よ!』。

慈善の歴史とボランティア魂を忘れずに、『私学の建学精神!』に基づく質の高いプラスαの仕事を祈願します。

 

令和元年10月に始まる幼児教育無償化に対する野中こども園のあり方は、『平等な質の高い教育』と『公平な富の分配の経済社会』を作り出す社会改革運動でもなければなりません。

 

『何をするにも自分で開拓できる子』の大地保育精神は、あきらめの「階級社会」「格差社会」と、「自己責任」で児童の貧困を見過ごしてはなりません。 

合掌