第5話 ー コロナと共存する『名のない遊び』を ー 

 

1、コロナと共存を考えよう

 

 5月14日に39の県は緊急事態宣言解除となりました。

私たちの住んでいる静岡県も解除となりました。

しかしながら、

新型コロナウイルスに対する警戒は怠る事は出来ません。

これからは、長期にわたっての

新型コロナウィルス感染症との共存の時代が始まります。

 

 こども園(幼稚園・保育園・無認可園等の乳幼児施設を含む)も

人との接触を減らす努力をしながらの開園です。

マスクをしたり、手洗いを心がけて、3蜜を避けながら、

新型コロナウィルスに対して細心の注意を払っての

保育が始まりました。

 

  こども園等の乳幼児施設は家庭的保育を心がけて、

家庭と同じように愛情を中心に、

スキンシップ(皮膚接触)や、

アタッチメント(愛着関係)を中心に、

親身なケアーをしている保育現場です。

 

 先生方はお子さんの生命の安全を第一に、

オンブやダッコや食事や排泄のお世話や、

遊びや生活の指導をするのですから、

その心労は大変なものです。

 

 なぜならば、万一、新型コロナウィルス感染が

発生しないとは限らないからです。

そこでお願いがあります。

 

 先生方の心労を少しでも少なくするために、

ご家庭での子育てのご協力をお願い致します。

緊急事態宣言が解除されたとは言え、

安全な昔に戻ったと言うわけではありません。

どこで新型コロナウィルス感染が再発するかわからない

中での保育再開なのです。

 

 その意味においてコロナゼロではない。

むしろこの先、長くコロナと付き合っていく、

コロナと共存しながら私たちは、

生活していかなければならないのです。

 

 というわけで、

当分の間、3密を出来る限り避ける上で、

子育てについてこども園等の乳幼児施設の生活と、

家庭生活と分担する気持ちで、

家族で見れる日には、

家庭でお子さんを見てほしいと言うお願いです。

 

2、家庭での特色ある遊びの紹介

 

 それが『名のない遊び』です。

お子さんは家中のあらゆる環境に空想力を刺激され、

大人には『いたずら』にしか見えない面白い遊びを創造します。

 

 布団をかきわけて押入れに潜って遊んだ思い出は

誰にでもあると思います。

成長している限りお子さんの環境に挑戦するエネルギーは溢れ出て、

発明・発見の創造的な『名のない遊び』となるのです。

本来、子どもの生活は遊びですから、

コロナの渦中にあっても

今しかできない遊びを温かく見守りましょう。

 

 『名のない遊び』は1人遊びが多いのです。

集団生活の中ではなかなか許されません。

自己中心期の1人称人格の一人ひとりの成長を

受容しようとするのですから。

 

 建設的な微笑ましい歓迎される遊びばかりではなく、

親子で後片付けに取り組まなければならない

『散らかしっぱなし』の遊びに発展することもあるので、

行き過ぎた時には家庭においては人数も少なく、

親と兄弟姉妹で後片付けできるというわけです。

集団保育施設ではそうはいきません。

園児の数が多いので散らかし方も半端ではなくなり、

収集がつかなくなり大混乱になってしまいますから。

 

 今、コロナで家庭に閉じ込められて親子が揃い、

何かをしなければならない状態が生まれました。

一昔前までは専業主婦のお母さんが家にいて

お子さんを見ていました。

皮肉なことですがコロナによって同じような状況が

一時戻ってきたと言っても良いでしょう。

 

 このチャンスに親子の密接した生活と遊びを

神様が与えてくれたものかもしれません。

幼稚園も保育園も少ない時代には大半の家庭で

乳幼児期を親子で暮らしていました。

 

 昔、子育てしていたおじいちゃんやおばあちゃんに、

いま親となったあなたが『小さいときに何をしていたか』、

お話を聞いて参考にされることも良いでしょう。

 

 コロナ渦中にあっての壮大な歴史的検証です。

『子育てや、幼児教育・保育は誰が担うべきか?』を、

振り返って考えてみるのも良いでしょう。

 

3、今だからできる家庭教育

 

 普段はお子さんは集団保育施設に行っています。

そしてお父さんやお母さんは会社に行っています。

突然の新型コロナウィルスで、

お子さんもお父さんもお母さんもお家に帰ってきました。

一昔前の家庭団欒に似た様子が再現されました。

 

 先のことは簡単にいえませんが、

やがて新型コロナも収まり家族がこのように

揃う事はなくなるでしょう。

今だけのことです。

今だからできる家庭教育を考えましょう。

 

 この災難を逆手に取って豊かな家庭生活に挑戦しましょう。

『名のない遊び』は集団保育施設では許されにくい遊びです。

家庭生活を余儀なくされる今だから、

これをチャンスと考えましょう。

 

 家族はもともと血を分けた助け合う寛大という単位です。

『名のない遊び』には寛大さが必要なのです。

だから迷惑だと言わずに、

発明と言い、発見と言い、創造と言いましょう。

そして、芸術の芽ばえ、科学の芽生えとして受容し、

家族だからこそ笑顔で寛大に受け入れることができるのです。

 

4、『名のない遊び』を見守る親のために

 

 遊びには名前がついているのが一般的ですね。

例えば、縄とび遊び・コマ遊び・ままごと遊びなどと名前があります。

しかし『名のない遊び』には名前がないのです。

名前をつけようにも文字や言葉ではあらわせない

行為や行動なのですから。

 

 乳幼児の遊びと発達過程を観察してみると、

『名のない遊び』が多いのに驚かされます。

そしてほとんどの『名のない遊び』は生まれても、

すぐ消えていくのですが、

芸術や科学の誕生と同じ重要な創造力の

芽生えであることに気がつきます。

 

 例えば、いたずらや、どろんこなどの探索活動

・試行錯誤の実験・無意識の表出など、

非認知学習(*)の宝庫であることがわかります。

 

 しかしながら、一般的な集団教育では、

教師の一斉指導の邪魔になるため、

異端視されたり、禁止されてしまいます。

 

 そこで『名のない遊び』の認知と啓発を目的として、

1978年に塩川寿平が論文『保育内容の基礎理論』の中で、

子どものありのままの発達過程を受容する

人格尊重の視点と、

乳幼児の特色ある独立した存在の児童文化『名のない遊び』として

位置づけて発表したのが始まりです。

『名もない遊び』とも呼ばれますが同義語です。

 

【参考】

 *認知学習=外から見えやすい。技能・訓練・知的能力・学力など。

 *非認知能力=外から見えにくい心。

   集中力・忍耐力・失敗してもめげない力

  ・相手のやる気を引き出す力・意外性・ 楽天的・自己肯定感情など。

 

5、家族の寛大さと家庭教育

 

 例えば、 

 1歳児の女の子が、ママのスカートの中に隠れてしまったり。

 

 3歳児の男の子が、『カッコイーデショ!』と、

ハサミで虎狩りの頭になって家族を驚かせたり。

 

 4歳児の女の子が、『キレイデショ!』と、

ママの化粧台から口紅を出して顔中真っ赤な口紅でお化粧して、

家族は驚き、みんなで大笑いしたり。

 

 5歳児の男の子が、おじいちゃんの大切にしていた植木鉢を

ひっくり返してダンゴムシを捕まえたり、などなど。

 

  アメリカ初代大統領のワシントンは祖父が大切にしていた

植木の桜の木を切りました。

『僕が切ったよ!』と正直に名乗り出ました。

そして許されて『オネストジョン(=正直者のジョン)』と呼

ばれるようになりました。

 

 ジョンの遊びは発達過程として理解され、

教育の一環として寛大に見守られたのです。

あと片付けも家庭教育の一環として、

親子で一緒に取り組んで、

ジョンに片付けを学習させたのです。

責任をきちんと親子で取りました。

 

 集団教育の場では『名のない遊び』は不向きな遊びです。

なぜならば、

みんなが面白がって集団心理で始めてしまうので、

エネルギーの爆発となり、大混乱を面白がり、

片付けられなくなって、大変迷惑だから先生に叱られて、

禁止されてしまうのがオチです。

 

 家庭ならば兄弟姉妹の少人数ですから、

『名のない遊び』をして散らかしても、

家族で後片付けの責任が取れます。

だから肉親の愛情に満ち満ちた寛大さに支えられて、

『名のない遊び』は受容可能な遊びになるのです。

 

6、まとめ:子どもから学ぶチャンス

 

 子どもは自ら興味を持って自発的に主体的に、

『名のない遊び』を創り出しているのです。

遊びとは何か。まさに子どもから学ぶチャンスです。

 

 本来、乳幼児の個性豊かな創造の遊びに

無駄な事は一つもありません。

嫌がらせでやっているのではありません。

親が付いていて『名のない遊び』の後片付けなど、

責任を取ることができるなら問題はありません。

 

 お子さんの自由な遊びにも責任は伴います。

本人が責任を取る方法もありますし、

親が責任を取る方法も、

親子で一緒に片付けて責任を取る方法もあります。

 

 お子さんの発達過程から生まれる、

ありのままの好奇心や探索の『名のない遊び』は、

まさに乳幼児の発明や発見や創造の芽ばえです。

 

 お子さんの生命活動が尊重され、

認められたことであり、自信が育つ源泉となるものです。

それゆえに、

今日、自己肯定感情や自尊感情を育てる上からも、

高く評価されている『名のない遊び』なのです。