「大地保育ものがたり」第7話 2020.6.20

 

ー改めまして、

  「大地保育ものがたり」を書く教授の志(ココロザシ)と、

    3000名余の卒園生や、関係各位の皆さんに、

       大地保育の共同執筆をお願いするわけー

 

教授:改めまして第7話は、共同執筆のお願いです。

 

①「大地保育ものがたり」を書くにあたって、

野中保育園(現:野中こども園)と、

大中里保育園(現:大中里こども園 )の

『大地保育育ち』の延べ3000名余の卒園生と 、

保護者の皆さん。

 そして、22年間主宰 (1982~2003年)した

大地保育夏季セミナーの受講生や、公開保育の参加者·

大学の実習生·エックスカーションの研究者、

等々の延べ10000名余の皆さんに、

大地保育との出会いや共感をお話しいただければと、

感想文や共同執筆のお願いを申し上げる次第です。 

 

② その本心は、

 教授一人の力ではとても67年間の長期にわたる

『大地保育の理念·哲学と保育実践の金字塔』を、

表現しきれるものではないからです。

 というわけで、

ご縁があって大地保育に共鳴された皆さんのご協力

を得て、大地保育の金字塔全体の評価を後世に

正しく伝えていきたいのです。

 

③ 今すぐでなくて良いのです。 

 ご都合のつく時、突然に、お手紙や E メールで、

下記の教授宛に『気楽に親愛の情報』をご一報ください。

 

 

教授氏名:塩川寿平

郵便番号:418-0033

自宅住所:静岡県富士宮市野中東町300番地

     大地教育研究所内

E メール:daichi-j@viola.ocn.ne.jp

携帯電話:090-3250-2008です。 

 

どうぞよろしくご協力をお願いします。

 

④  教授の母塩川豊子(1915~1999年) は、

 満鉄社員の夫と2男3女の主婦として、

満州の地で敗戦を迎えました。

 昭和21年(1946年)に豊子は実母と末娘をなくし、

引き上げ難民の筆舌しがたい苦難の後に、 

焦土と化し、経済破綻の日本で、

昭和28年(1953年)野中保育園を創設しました。

 

 自然環境を大切に、子どもに自由を!と、

保育・幼児教育の理想を追求し、

研鑽を重ね『大地保育哲学』の創始者となりました。

 

 初代園長の夫塩川寿介と共に、

37歳~初代主任~2代園長~初代理事長として、

84歳で亡くなるまでの46年間。

大地保育哲学と保育実践の指導者として現場に立ち、

ふもと保母会会長や静岡県保母会副会長を務めました。

 

また、

大地保育夏季セミナーでは基調講演を行い。

延べ4000名余の全国からの受講生に、

親しく熱心に大地保育の理論と実践を話しました。

そして、

平成9年(1997年)11月3日、皇居にて、

日本国天皇は塩川豊子に瑞宝章を授与しました。

 

 改めてお願い!

様々な場所で、様々な出会いのあった多くの方に、

塩川豊子の言葉や、大地保育の思い出を、

気楽さと親愛の情を持って、

お手紙やメールなどで書いていただきたいのです。 

 

 また、

お電話いただければお伺いして、 

あなたのお話をオーラルヒストリーとして

私に書かせてください。

どうぞ ご一報をお待ちしています。 

 

 

 

⑤そして、

 これから教授が本格的に書き進める

「大地保育ものがたり」にエールを送ってください。 

 

 子どもの最善の利益を追求し続けて誕生した

文化遺産と言っても過言ではない、

『自由』と『個性尊重』の大地保育を世に広める

応援団になってください。 

 

⑥ 大地保育に出会い、体験した皆さんの記憶から、

『大地保育哲学と実践の金字塔』を正しく評価し、

偏見ではない普遍的な保育·幼児教育学の定義集

として、21世紀の保育に活用していただきたく

世に残したいのです。

 

⑦ 特に、卒園生の皆さん・・・今、何してる!

 結婚してお父さんやお母さんになって。

さらに、おじいさんやおばあさんになって。

お子さんやお孫さんのために「大地保育」を

選んでくださった方もいるわけです。

 

 その、親子2代~3代の大地保育の体験と、

卒園後・・・ 甲子園球児になったり。

学校の先生になったり。

芸術家になったり。

お医者さんになったり。

オリンピック選手になったり。

新聞記者になったりの・・・・

・・・・・ 人生航跡をお話ししてください。

 

⑧ 園児として、また保護者として、

 親子で体験した保育行事の数々。

「創造の日の保育」や、

「お山のクリスマスの保育」や、

「どろんこ保育」や、

「自由な幼児画の保育」や、

「わらべうたの保育」や、

「名のない遊びの保育」や、

「小動物と共に暮らす保育」や、 

「自由保育哲学による運動会」や、

「プールでの独創的な夏のお誕生会」等々の、

忘れもしない子らが幸せだったあの日の保育。

その宝物と言っても過言ではない、

「大地保育という金字塔」を

後世に語り伝えていきたいのです。

 

⑨ 教授も四人の娘を大地保育で育てました。

 四姉妹の保護者時代から、

 そして、孫が生まれてジジババになってからも、

敬老の日に呼ばれて、

『孫を自慢するおしゃべり会』というユニークな行事 に、

参加する日を楽しみにしていた事を思い出します。

 

 そして、

大地保育で育った四人の娘たちが母となり、

その母たちが体験した大地保育哲学で育てた子ら・・・

・・・イコール私の孫11名は。

 

今、二人は大学生。

一人は時代の最先端のロボット工学を専攻。

もう一人はコロナ時代の医学生となりました。

残りの9名の小·中·高の孫たちも、 

友と遊び、勉強に、スポーツに、芸術活動に、

『自由と責任』を自覚し学生をしています。

 

 

皆さん! 思い出して

共同執筆者になってください!

特色ある大地保育ならではの体験!

 

 

忘れえぬあなた自身の

五感で感じた感動的保育を書いてください!

参考までにいくつかの保育を下記に示します。

どうぞよろしく「ものがたり」ご参加ください。

 

⑩ どろんこの思い出を書いてください。

 大地保育のナンバーワンはなんといってもどろんこです。

  人間解放の『どろんこ保育の元祖』として、

かってニュース映画となって日本中の映画館で放映され、

その感動は保育界に革命的な広がりを見せました。

全国からの見学者の一番多かった保育です。

参考までに:

塩川寿平著『どろんこ保育』フレーベル館があります。

 

⑪  わらべうたの思い出を書いてください。

 乳幼児に最適な大地保育の音楽活動として、

遊びの『わらべうた』 は多くの保育の場面で歌われてきました。

子らが喧嘩を『わらべうた』でするほど日常でした。 

保育士は羽仁協子さんのコダーイの『わらべうた』の

研鑽を心から楽しみながら保育にあたりました。

 

⑫ 木登りや干し柿作りの思い出を書いてください。

 柿の木がたくさんあって、木登りを楽しんだり、

干し柿を作ったりしたユニークな保育園には

見学者が絶えませんでした。

 

 柿の実の皮むきを見ながら見学者はハラハラドキドキ、

園児の包丁の使い方を見て感動していました。

 法人の名前が「社会福祉法人柿ノ木会」となったのは、

果樹園の柿の木のある保育園の象徴として命名されました。

 

⑬ 『大地を走ろう』の思い出を書いてください。

 大地保育の運動会の名物は 『大地を走ろう』です。

恵まれた広い園庭だから普段から毎日走っている

コースですが、登り坂あり、下り坂ありの

200メートル の苦しいコースです。 

 

4歳児の年中さんは1周するのです。

5歳児の年長さんは2周するのです。

1番2番や、1等賞2等賞の順番は付けません。

頑張った子は みんな金メダルです。

毎日走っているコースだし、家族の大声援の中で、

マイペースで楽しんで走っていました。 

 

⑭ 命は命あるものからしか学べません。

 生き物いっぱいの保育園の思い出を書いてください。 

カエルも蛇も犬も猫も豚もアヒルも鶏も山羊も・・・・・。

小動物がたくさん一緒に生活していた保育園。

命を学んだ豊かな大地保育の体験を思い出して

書いてください。 

 

⑮「名のない遊び」の思い出を書いてください。

 遊びには縄跳び遊び·こま遊び·ままごと遊び、

等々の 名前があるのが一般的です。

 ところが大地保育の自由保育では、

いっぱい「名のない遊び」が受容されていました。

 乳幼児の発達を観察してみると、

「名のない遊び」が意外に多く、重要な遊び

であることに気づきます。

 

 例えば、泥んこ遊びや、いたずらなどで、

無意識の表出·探索活動·試行錯誤の遊びです。 

 「名のない遊び」は、乳幼児の発明や発見や

創造でもあるのです。

 本人自身の人格と発達過程がありのまま尊重され、

認められていることであり、自信が育つ源泉となる

重要な保育です。

 

 それゆえに今日、子育てで一番大切な

自己肯定感情を育てるのに高く評価されている

「名のない遊び」は、大地保育の金字塔です。

 

参考までに、

塩川寿平著「名のない遊び」フレーベル館があります。 

  

⑯ のびのびとした自由に描いた子どもの絵を

大切にした保育園の尊い価値についても書いて

ください。

 

⑰  民間教育運動のリーダーの役割も果たしました。

22年間にわたって大地保育夏季セミナーを主宰し、

保育を公開し、全国から延べ4000人余の保育者と

共に学び、保育者養成塾としての役割も果たしました。

 

⑱ 67年間の大地保育研鑽のあゆみから多くの名著が

 生まれました。

塩川豊子著「私の大地保育」大地教育研究所出版

塩川豊子著「自由保育の実践大地に育つ絵」大地教育研究所出版

野中保育園25周年「(写真・論文集)大地保育」大地教育研究所出版

野中保育園50周年「(写真・論文集)大地保育」大地教育研究所出版

塩川寿一著「大地に育つ」水曜社

長谷川摂子(文)·英伸三(写真)・絵本「どろんこ」福音館

森上史朗·塩川寿平編著「子どもを伸ばす保育環境」第一法規

塩川寿平·京極寿満子·塩川寿々子編著

     「コーナーのないコーナーの保育」フレーベル館 

塩川寿平著「どろんこ保育」フレーベル館

塩川寿平著「名のない遊び」フレーベル館

塩川寿平著「大地保育環境論」フレーベル館 

大須賀隆子著「『大地保育』を創始した塩川豊子の自由保育」

                淑徳短期大学研究紀要第51号

 その他、共著図書· 保育専門誌·新聞等に掲載された、

多くの大地保育の資料は大地教育研究所に保存されています。

 

 希望の方には貸出しています。

連絡先は、大地教育研究所

郵便番号418-0033 

静岡県富士宮市野中東町300番地、

または、

 E メールdaichi-j@viola.ocn.ne.jp)までご連絡ください 。

 

⑲ 67年間の歴史的評価として、

 自由保育の金字塔「大地保育」の理論と実践は 、

幼稚園教育要領の「環境による教育(文部科学省)」

保育所保育指針の「子ども主体の保育(厚生労働省)」

認定こども園保育教育要領の「幼稚園と保育所の合体(内閣府)」

の 3つの理念の全てを合わせた理想の保育が大地保育です。

 

 不易流行という言葉があります。

不易は変えてはならない理念·哲学です。

流行は変わる方法論の大切さです。

大地保育の理念·哲学は不易です。

方法論はコロナの時代にはコロナの流行ですが、

不易であるべき「環境による教育」と「子ども主体の保育」

の大地保育の理念と哲学は変わることはありません。

 

 教授の志(ココロザシ)は、「大地保育ものがたり」

を普遍的な学問として完成させて、次の世代に伝えたい

という強い使命観です。

 

⑳結びとして、再度お願いします。 

 大地保育と関わりを持った皆さんの感動体験を

作文や随筆などに、時間のご都合のつく時に、

徒然なるままに書いて教授に送ってください。 

教授が中心となって編集しますが、

体験者のみんなで作る「大地保育ものがたり」です。

 

2020年 令和2年 6月20日 今日現在。

教授は81歳です。

1年間に第30~40話を書きます。

10年間で第300~400話を書きます。

90歳になった時それを編集して一冊の本、

ドキュメンタリー風フィクション教育小説を啓上します。

皆さん教授の志(ココロザシ)にエールを送ってくださいネ!