前回のつづきです。

 

14、母塩川豊子の本当にやりたかったこと

 そのような金欠経営とは裏腹に、

母塩川豊子と志を共にする保母さんの情熱は熱く、

理想の幼児教育を希求しました。



〈本当にやりたかったこと①〉

母塩川豊子が若いころから師と仰ぐ羽仁もと子の

「自由学園」のような自由精神の学校をつくりたかったこと。



〈本当にやりたかったこと②〉

市川房枝の女性の地位向上と、女性の政治参加への

呼びかけに感動し、行動したこと。

51日のメーデーの日には、職員も保護者も

保育園児も総出で「給食費を3円上げて!」

「保母さんの給料を上げて!」とシュプレヒコールして、

富士宮市の浅間大社のある神田通りをデモ行進したものです。

なんと、その後、デモを見て共鳴してくださった

進歩的な市民の方の入園希望者が増えました。



〈本当にやりたかったこと③〉

塩川豊子は実母と末娘を亡くした満州引揚難民の体験から

戦争を2度としない国をつくることでした。

そして熱心に『戦争から子どもの命を守る』平和運動を

仲間と取り組みました。



15、当時の学習会の風景

世界で初めての

幼稚園Kindergarten1840年)を創った、

幼児教育の父フレーベルの言葉。

『子どもたちから学ぼうではないか。

かれらの生命のかすかな警告にも、

かれらの心情のひそかな要請にも、

耳を傾けようではないか。

子どもに生きようではないか。』に触発されて。



全職員で大地保育の理論と実践の学習に

情熱を注ぎました。

 みんな土曜日の保育が終わると、いったん家庭に帰り、

子どもや家族の世話をし、夕食をすませ、

土曜日の午後9:00に再び保育園に戻り、

日曜日の朝7:00まで10時間。

一睡もせずに徹夜で保育の勉強会をしました。

日曜日の朝 7:00になると急いで家庭に帰り、

家族の朝食の世話をするのです。

現在の規定よりも多数の園児を長時間担任し、

制度的に学習時間の取れなかった時代の保育園では、

そうする以外には職員全員でそろって勉強会を

することはできませんでした。

そのように「お金がない」「時間もない」中でも、

現在の「働き方改革」では考えられないことですが、

敗戦の焦土の中から立ち上がろうとした日本人共通の

情熱で取り組んだ、無我夢中の勉強会でした。

 睡魔に襲われ、疲れ果てたときのコーヒーブレイクは

今でも忘れられない至福のひとときでした。



16、野中保育園を指導してくださった先生方

後藤清吉郎

(美術工芸家・和紙日本無形文化財保持者・富士宮市在住)



三輪全龍

(鶴見大学学長・真言宗大本山鶴見総持寺大僧正・塩川豊子恩師)



久保貞次郎

(跡見学園女子短期大学学長・創造主義美術教育運動の指導者)



平井信義

(お茶の水大学教授・大妻女子大学教授・児童精神科医・医学博士)



石井哲夫

(日本社会事業大学教授・日本保育協会理事長・自閉症協会会長)



堀真一郎

(大阪市立大学教授・学術博士・きのくに子どもの村学園理事長)



等々、日本の超一流の教育者を園にお招きして学び続けました。

 その学習内容は、大地保育の中心理論①②、

1.    「受容と精神解放の議論(ASニイル)」と、
2.    「体験学習の理論(Jヂューイ)」で、

のびのびとした大地保育を勉強しました。
 

 

17、大地保育夏季セミナー

 野中保育園の理論と実践を広めるために、

大地保育夏季セミナーを主催し、全国に向けて

大地保育の啓発活動を行いました。



大地保育とは、

子どもが興味を示して自発的に環境に挑戦する

「遊びと生活」を通して、

子ども自ら主体的に個性と能力を引き出していく、

「子育ちの保育(=子どもが自ら育ちゆく保育)」です。



大地教育研究所主催の22年間継続した講習会。

「大地保育夏季セミナー 19822003年」の

啓発活動は延べ 4000名余の全国からの保育者

を迎えて行われ、その実績は今なお高く評価されています。



18、セミナーの実績と評価

先駆者として日本中に広めた『どろんこ保育』や、

独創的な遊びの見方を提起した『名のない遊び』は、

発達過程のあるがままを受け入れることにより、

『自己肯定感情』を育てる保育処遇論として

学術的にも高く評価され、広く受け入れられました。



今や、世界的な規模で人類を苦しめている

新型コロナウイルス感染症の時代にあっても、

「できる活動」や「対策」はないのか。

大人社会の経済活動には都合よい

「都市化とバーチャル化」の生活で、

「五感が育たない」「実際の体験がない」等々を

余儀なくされている乳幼児の生活にとって、

「コロナだからできないではなく」

「工夫すればできることは何かを考えて」の、

体験学習や自然と取り組む大地保育は

ますます重要性を増しています。



19、塩川豊子著「私の大地保育」

大地教育研究所出版(1988年)より。





 塩川豊子の大地保育の評価(『祝辞』同書1~3頁)を

紹介させていただきます。



 *後藤清吉郎

『科学万能の現代社会に於て、

自然の中で幼児たちをはぐくみ一人一人の個性を伸ばして

教育して居られる事は素晴らしいことでしょう。

益々頑張ってお励み下さるようお願いします。』



*三輪全龍

『禅で、卒啄同時(そったくどうじ)というが、

豊子先生との出会いは、まさにそれだ。

 私の教育の初講義をきいたあなたの眼は輝いて、

出された論文は鋭く私の胸を打った。

 その芽が、保育の花を開いた。』

(注:卒啄同時=仏教用語:禅宗で、

機を得て両者相応ずること。)



*久保貞次郎

こんど塩川豊子さんが大地保育を刊行されると

きいて、ぼくは歓声を上げた。

 かの女の保育への熱意と信条はいつも

堂々としていて時勢におもねず、

かの女のすばらしい個性の実現でした。



*平井信義

 大地保育―これこそ子どもの人格形成と

身体発育を援助するための保育の現実です。

 この保育に精魂を打ち込んでこられた

豊子さんを中心とした野中保育園は世界一。万歳!



*石井哲夫

 「大地保育」は保育にかける子どもの気持ちを

受容し、その創造性を育てる力を持っています。

 保育所の保育の真の目的には、幼児の未来を

拓くために、家庭で育てるより強力な育ての意思が

求められるのです。



*堀真一郎

 よく受ける質問と私の答え、

「日本にサマーヒルのような学校はないか」

「残念ながら・・・・・でも、保育園はありますよ」

野中は、自由で幸福な子どもを願うものにとって、

希望の灯です。



教授:次回は、

大地保育ものがたり(第9話)です。

 

 

「よくある質問② どろんこ保育って何ですか?」

につづく。