今日の記事は、 2021年8月13日の岳南朝日新聞(静岡県の地方紙)に掲載された、特集「戦争を二度と起こしてはならない・夏の思い出」へのじゅっぺ教授の投稿文です。
第45話:平和のありがたさ —生きて帰れた引揚者—
1. 在満州10年間
ファミリーヒストリー在満州10年間。私の父塩川寿介は満鉄の1級電気技師でした。勤務の関係で昭和12年(1937年)に父は単身満州に渡りました。翌年、家族を迎える準備も整い、昭和13年5月に母豊子は長男5歳3ヶ月と長女2歳10ヶ月とおなかの中の私6ヶ月の合計2.5人の子を連れて、博多港から旅客船で出航し、釜山港に、そこから汽車で朝鮮を通って満州国奉天市の満鉄社宅に着きました。それから10年後の昭和21年(1946年) 7月27日。祖父塩川信太郎の待つ富士宮市野中に私は【生きて帰れた小さな引揚者】です。
2. 国策による満州の日本人
満州国へ約150万人(満州国政府調査1944年9月)。開拓団約20万人(満州国国勢調査1945年5月)。1945年8月9日ソ連軍侵攻時推定、死亡者約18万人。そして 1945年8月15日の敗戦とともに始まった悲劇。ソ連兵や中国人の略奪や、国共内戦の戦火や、引揚難民生活で満州各地区で数万単位の日本人が犠牲になりました。
3. 実際は棄民でした
関東軍と大日本帝国政府は「居留民保護」を名目に軍事行動を遂行しましたが、敗戦後「居留民保護」の日本政府の行動は見られず棄民でした。
実際に引揚支援の手をのべてくれたのは国府軍と米軍でした。『日本人に対し暴に報いるに暴を持ってせず(蒋介石総統)』の方針と、米軍司令部の支援により敗戦から約1年後、遼寧省の葫蘆島(コロ島)から米軍が調達した貨物船により、ようやく引揚が開始されました。
4. 渡満州の翌年が私の誕生日
妊娠6ヶ月の母の体内で海外旅行をした私は、昭和13年(1938年)11月26日に満州国奉天市高千穂通8番地で誕生しました。以来、日本に帰国するまで7年8ヶ月【満州生まれの満州育ち】の少年として育ちました。現在、私は82歳ですから私の人生の初期のほんのわずかの満州ですが、私の一生を支配することになる《敗戦と逃避行》《ソ連兵の略奪暴行》《国共戦火の生活・間近に見る兵士の死体》、そして《満州難民・引揚児》の過酷な原体験は『戦争を二度と繰り返してはならない』と誓い、平和のありがたさの伝道師の道を歩む教師人生になりました。ちなみに、私が生まれた年に内地では国家総動員法が施行されました。
5. 生きて帰れなかった私の妹
父の4度目の満鉄転勤地「通化」で、昭和20年9月26日に生まれた私の妹寿美子はよく笑いスクスク育っていましたが、引揚船がようやく舞鶴港に到着した時、母国日本を目の前にしながらも検疫のため下船できず、衰弱していた寿美子は船内の暑さのために脳膜炎を起こし、昭和21年7月24日に亡くなりました。生後10ヶ月でした。慟哭の中で小さな紙片に鉛筆で母豊子の描いたデスクマスクが残されている唯一の寿美子です。写真1枚残さずに生きて帰れなかった妹です。
6. ノーベル賞の益川敏英先生逝く81歳
2021年7月23日益川先生の訃報に接し限りなく残念に思います。平和希求の科学者を亡くしました。
益川先生81歳。塩川寿平82歳。近い年齢。限りなく悲しい。益川先生の【写真1 】『 15歳の寺子屋・フラフラのすすめ—ノーベル賞の物理学者は青春をどう生きたか—(講談社)』を注文して、来たばかり、読んだばかりなのに。
また、益川先生は平和運動にも熱心に取り組んだ。名古屋大空襲は5歳の頃『目の前に焼夷弾が転がってきたのを覚えている』からだ。ノーベル賞の受賞講演で体験に触れ『無謀な悲惨な戦争』と語った。
『私の年代が戦争を語れる最後の年代だ』と話し、『経験を話さなければいけない』と、護憲をアピールする「9条科学者の会」の呼びかけ人にもなりました。
僭越ながら私も益川先生と同じ年代です。私も満州難民の体験から富士宮の「 9条の会」に参加して、『平和のありがたさ』を語り伝えています。
【写真2・3】じゅっぺ教授の愛読書『小さな引揚者』『ボクの満州』『満州難民』と、満州関係の本棚。
8. 平和のありがたさ—生きて帰れた引揚児—
生きて帰れた私は、敗戦から79年続く平和な国で82歳の今も元気に生きています。妹の寿美子は生きて帰れませんでした。平和であれば満79歳を迎えるところです。毎年、お盆に入ると新聞やテレビから昭和20年(1945年)8月6日に広島に原爆投下、瞬時に約14万人が亡くなった。 8月9日に長崎に原爆投下、瞬時に約7万人が亡くなった。そして、明治以来戦争ばかりしていた日本は、敗戦の日から1度も戦争をしていない。 82歳になる私は、自分に残された「知恵」や「センス」や「体力」のある限り、『平和のありがたさ』を次の世代に伝えていく伝道師として生きようと思う。