第90話:芸術を教育の中心に!
-人類は芸術によって共存できます-



1. 大地保育と芸術教育



大地保育は自由学校のASニイルの人間解放の理論を大切にしてきました。

52年間の長きにわたって教師生活をしてきたじゅっぺちゃんは、

ASニイルの自由学校と共通する美術教育運動の創造美育協会で活躍してきました。

そのじゅっぺちゃんも84歳となり、

令和4年度(2023年3月31日)をもって教師生活を終了します。



教育にとって何が一番大切か考え続けてきた52年間の教師生活でした。

一人ひとりの個性と能力を引き出す教育はどのようなものか? 

一人ひとりの人格の違いを認めて共存できる科目は何か?

結論は芸術教育がいちばん優れていると気づきました。

芸術は《違いを共存》できるからです。

芸術はどの子の「作品も」「演奏も」「演技も」感動できます。

それ故に、どの子も『評価されて』ほめられるのです。

それ故に、どの子も『違いを』ほめられるのです。



教師のしなければならない教育は何か?

どの子も『ほめなければ』伸びません。

芸術は『個性と能力の違いの共存』を受容する科目なのです。

芸術科目は一人ひとりの人格の違いを承認し、共存し、

人間平等のコミュニティーを現実とすることができるのです。



《芸術科目は共存する力を持っている》すごい科目なのです。

教育者が最も大切にしなければならない哲学は何か?

格差でなく、差別でなく、共存の哲学です。

平等に受容され、承認される『芸術による共存コミュニティー』です。

芸術による連帯は人々が生き生きと共存できる世界です。



2. 芸術で世界平和を!



いかなる年齢の壁も越えて、いかなる民族の壁も超えて、

共存することのできる芸術を教育の中心に据えて、

『芸術で世界平和を!』創造しましょう。



いま私は俳句をやっています。



(その1)『夏の雲 引揚船の 父母(チチハハ)と』



《句意》 敗戦から1年という棄民の満州難民生活。

恐怖の連続の引き揚げ。父母にしがみついて帰ってきました。

日本に帰れたよろこび。初めて見る日本の夏の雲。

私の「夏の雲」といえば、引揚船から見た「日本の夏の雲」です。



満州へ昭和12(1937)年に、

一級電気技師の父塩川寿介は満鉄勤務に就きました。

翌年に満鉄社宅が与えられ父は家族を呼びました。

母豊子は昭和13年5月に長男5歳3ヶ月と、長女2歳10ヶ月と、

おなかの中の6ヶ月の私ジュッペちゃんの合計2.5人の子を連れて、

博多港から客船で出航し、釜山港へ、それから汽車で朝鮮を通って、

満州国奉天市高千穂通りの満鉄社宅に着きました。



それから10年後、敗戦の翌年、昭和21年7月27日。

祖父塩川信太郎が待つ父の実家(静岡県富士宮市野中)に帰国しました。

ジュッペちゃんは7歳8ヶ月の『生きて帰れた小さな引揚者』です。



後日談ですが、共感してくださった見知らぬ多くの方とこの俳句の力で共存し、

平和を願う私たちのコミュニティーが広がりました。

平和を願う思いが繋がることができたのです。



(その2)『星月夜シャッター通り宮の街』



《句意》かつて賑やかだった大宮(富士宮市の中心街)のまちまち。

本町通りも、神田通りも、かつての面影はなくなりました。

春から夏になっても人がいない街になりました。

秋から冬になっても人がいない街になりました。



月のない夜シャッター通りを歩きながら。

都会に行ってしまった友に呼びかけました。

『寂しくてたまらないぜ!』と、つぶやきました。



そしてシャッター通りを横目に見ながら。

幼き日にはいつだってお祭りのように賑やかで、

人混みを分けるように通った〈楽しかった本町通り〉を、

思い浮かべながら口ずさんだ俳句です。



後日談ですが、友人や富士宮市民の多くの方と共感し、共存し、

私たちのコミュニティーの輪を広げることができました。



3. 芸術は共存できます



話は飛躍するかもしれませんが、ロシアの侵略を見るにつけ、

芸術のみ人類を救うと思うようになりました。

戦争は過去のものと思っていましたが、

ウクライナの無残に破壊された戦禍を見せつけられ、

死体累々のロシア侵略の残酷さは言葉にならないショックです。

戦争のない世界は芸術の世界にしかないのですね。



芸術には本質的に争いがないことを改めて知りました。

芸術は個性と能力が尊重され十人十色で良いのです。

すなわちすべての人が承認され共存できるわけです。

一人ひとりが自己実現できます。

一人ひとりの承認欲求を満たされます。

個性的で良いので原理主義に陥らないのです。

プーチンさんの原理主義には困ったものです。

芸術を愛する人ならばウクライナと共存できるでしょう。



戦争は共感できません。

芸術は共感できます。



戦争は共存できません。

芸術は共存できます。



芸術は多様性を認めますから共存できるのです。

芸術を教育の中心に!

芸術の力により世界平和を創造してまいりましょう。

 

 

4. 大地保育における自由画の実践
-塩川豊子著『大地に育つ絵』(大地教育研究所出版)より抜粋-

《出版に際して:野中保育園名誉園長 塩川豊子》
創造美育協会との出会いは宮武辰夫先生が亡くなられる
2年ぐらい前でしょうか。
1961年静岡で宮武先生追悼記念集会が開かれ、
久保貞次郎先生の講演を初めて聞き、「子どもの絵」の
重さに打たれ、野中保育園を挙げて「子どもの絵」に
傾倒していきました。
言葉や文章で思いを伝えられない子どもたちが、
喜びも悲しみも、絵では教えてくれる。
私たちは子どもからの信号を、キャッチしようと一生懸命でした。
自由で優しい雰囲気の中で、子どもは心を拓きます。
私たちの園では年間2万枚~3万枚の絵を見ることができます。
そしてその美しさ綺麗さにために息を吐き、
淋しさ、つらさに涙します。
子ども自ら喜びを表現し、悲しみを克服し、
感性を育て、意欲を獲得し、自立していくのでしょう。
野中保育園の「大地保育」から生まれた絵を見ていただきたくて、
初めての画集を作りました。 

写真1・・・大地保育の実践『大地に育つ絵』の表紙




写真2・・・0・1・2才児(乳児期:充分にいたずら(探索)する。

 


抱っこ、おんぶで甘える時期。ぬたくり期とも言われ、
ひっかき、線、丸それらの複合したような絵を描く。)


写真3 ・・・1才児の絵

 


写真4 ・・・2才児の絵

 


写真5 ・・・2才児の絵



写真6・・・3才児(仲間を求めてよく遊び、けんかもする。
空想と現実との区別をしないで、思ったように行動する。
わかりにくい絵が多いのも3才児の絵の特徴である。)

 


写真7 ・・・3才児の絵


写真8 ・・・3才児の絵


写真9 ・・・3才児の絵



写真10 ・・・4才児(3~4人の仲間ができ、よく遊ぶので、けんかも多い。

 


本児自身の中で「良い・悪い」もわかりはじめ、混乱したり、
空想したり、不思議な絵を描く。)


写真11 ・・・ 4才児の絵

 


写真12 ・・・4才児の絵

 


写真13 ・・・4才児の絵

 


写真14 ・・・4~5才児の絵



写真15 ・・・5才児(友だちの中でルールもわかり、
 グループで行動できる。思ったことがはっきり、
 自分独自の形でイメージを表現するようになる。)

 

 


写真16・・・ 5才児の絵

 

 


写真17・・・5才児の絵

 


写真18 ・・・5才児の絵

 

 


写真19 ・・・ 5才児の絵

 

 


写真20・・・5才児の絵

 


写真21 ・・・ 5才児の絵

 



【追記】
自由保育の実践『大地に育つ絵』塩川豊子編著
大地教育研究所出版(カラー79頁)をご購入されたい方は、
   宛先:大地教育研究所所長 塩川寿平
  〒418-0033 静岡県富士宮市野中東町300
        までお手紙・封書でお申し込みください。
*その際、氏名、〒住所・電話番号 と、
 100円の郵便切手を15枚=1,500円分を同封してください。
 本の代金+税金+レターパック送料=合計です。

**なお別冊:『大地保育ー写真・論文集ー(カラー96頁)』の
 本もあります。同時に2冊のご購入を希望される方は、
 100円の郵便切手30枚= 3,000円分を同封してください。

***ご質問のある方は塩川の携帯電話090‐3250‐2008


 までご遠慮なくご連絡下さい。