第107話:命の尊さと鯉のぼりの思い出(塩川恵美子)

—今回はじゅっぺちゃんの奥さんの寄稿文の紹介です—

 

【はじめに】

添付した5月5日の岳南朝日新聞《寄稿文》をご覧ください。

じゅっぺちゃんの奥さんの恵美子さんが、
こどもの日のために『命の尊さと鯉のぼりの思い出』を書きました。

じゅっぺちゃん夫婦で異次元の少子化対策を真剣に考えて、

岳南朝日新聞にそれぞれ投稿したところ2人の原稿は採用されました。

 

次回5月7日のブログ第108話でじゅっぺちゃんの

《寄稿文》『 5月の空に鯉のぼりをあげよう』を紹介させていただきます。

では、次回のじゅっぺちゃんの《寄稿文》も読んでね。

 

【5月5日のこどもの日に岳南朝日新聞に載りました】

《寄稿》命の尊さと鯉のぼりの思い出 塩川恵美子

 

もうすぐ5月という頃になると、かつてはあちこちの家で元気よくこいのぼりが泳いでいました。あーもうそんな時期なんだなーと思ったものですが・・・。

今は家の周りを見渡しても、あらっ、こいのぼりが泳いでいる所は?もうこいのぼりを揚げるような子どもがいないって事かしら?

 

少子化って言われだして、もうどれくらいになるのでしょう。なかなか少子化問題にいい知恵も出ず、子どもの減少は大きな問題になってしまいました。 5月になると天高く立派なこいのぼりが泳いでいたことが懐かしく思い出されます。

 

60数年前、弟が生まれて父が大きな竹を立ててこいのぼりを揚げました。それを見せるかのように、生まれたての弟を抱いて見上げていた姿を思い出します。

 

11月生まれですから半年後くらいの初節句だったのでしょうか。同僚や近所の方々と、弟の誕生と健康を願ってお祝いの席を設けて、父の自慢気で安堵の喜びにあふれた顔は晴れがましく、忘れることはできません。 3人の女の子の後にやっと授かった男の子ですもの、それはうれしかったにちがいありません。

 

当時、島に赴任していて、めでたいことはみんなで祝うのが通例だったのでしょうか。みんなからその誕生を祝ってもらって、かわいいがられ大事に育てられた彼も今、4人の父親になって、裕福とは言いえないまでも世間並みに幸せな家庭を営み、子どもたちも1人2人と巣立っていく頃になっています。

 

その誕生は家族だけでなく周りの方々にも祝福を受け、祝いの席では弟をみんなで順番に抱っこして回していた場面はなんと幸せな光景でしょう。その場にいた一人一人に祝福の声掛けをしていただいのでしょうね。祝い着を着た弟が元気な泣き声をあげながら、順繰りに席を回っている光景は今も私の目に焼きついています。

 

私たちにとっても家族が増えた嬉しい出来事であり、弟の存在が自慢の日でもありました。それを象徴したのが、天高く泳ぐ大きなこいのぼりだったのです。初めて見る大きさ、高さに、興奮とちょっとした羨ましさもあったような? 

 

子どもの誕生は家族以外でも大きな喜びの日であり、子どもがとても大事にされたということでしょう。

みんなに祝福されて愛された彼が、家族だけでなく、みんなに優しい大人になっているのは、あの日あの時の大人たちの願いが彼の体中に届いていたからなのかも。

 

当時は男の子ということで大喜びだったのだろうけど、新しい命の誕生はどの家庭でも希望の日となってほしいと願わずにはいらません。安心して天高く自由に泳げる世界で気持ちよく羽ばたける場所に、たくさんの新しい命が生まれるように、大人は何をしたらいいのでしょう。

 

私のこいのぼりの思い出のような素敵な忘れられない日をどこの家庭でも体験できたらと、生まれ来る命の尊さと喜びと幸せを念じながら、たくさんのこいのぼりが天高く泳ぐ日を願う5月の一日です。それにしても最近の5月の空って少し寂しいな。

 

(富士宮市野中東町 元大中里こども園園長)