第113話:弔辞:相棒《富士宮ジン(人)!》逝く

   —じゅっぺちゃん 親友の弔辞を読む—

 

弔辞: 相棒《富士宮ジン(人)!》逝く

石坂栄造氏葬儀 2023.8.2 富士宮駅南きずな 友人代表 塩川寿平

『コテ! メン! ドオー!』

君と僕が初めて出会ったのは富士高剣道部の道場でした。

君は富士宮2中から。僕は富士宮3中から。昭和30(1955)年4月。

今から68年前の春です。僕たち新入部員は声を張り上げ気合を習った。

いくら大声を出しても、ただの口先の大声で、気合になっていないから、

先輩から怒鳴られた。腹から声を出せ!『声が小~さ~ぁい!』

1ヶ月間も道場の板の間に正座したまま。声を出すだけ。

つらい 苦しい 修行の始まりだ。竹刀ももたされず。

ただ ただ 正座して 先輩の見取り稽古である。

 

やがて新入部員の僕らの『コテ! メン! ドオー!』にも気合が入ってきた。

防具をつけ、竹刀を持ち、鬼の先輩たちとの厳しい稽古が始まった。

きのうまで中学生だった16歳の体力しかない1年生に、18歳の大人の3年生が襲いかかってくる。

先輩は立派に恐ろしい大人である。

 

当時、富士高はバンカラであった。戦後10年、剣道部には軍隊調が残っていた。

稽古に耐えられずバタバタと新入部員が辞めていく中で。

石坂・塩川・遠藤・渡辺・秋山・風岡・もう1人の塩川の7人が残った。

つらい 苦しい 稽古の中で最後まで残った7人は スゴク! 仲良くなった。

2年生になり、 3年生になり。君は剣道部主将に、僕は剣道部副将となった。 

君と僕は当時高校生の昇段試験では稀にしか合格しない剣道2段に昇段した。嬉しかった。

強くなったと思った。いつの間にか僕たちが鬼の3年生になっていた。

 

そして3年生の春。静岡県 東部 高等学校 剣道大会で優勝した。僕ら抱き合って喜んだ。

ここに優勝記念写真がある。

1年生に戸塚洋二君(現役東大理1合格・東大教授・工学博士・ノーベル賞候補者・カミオカンデ文化勲章受賞者)がいる。

中央に教士7段タンク先生。 

その右隣に主将石坂君。左隣に副将塩川がいる。この写真は僕の人生の最高の宝物だ!

 

君は早稲田大学に進学し剣道4段となり、

大学剣道界の名門早大のレギュラーとなり全国に名をとどろかせた。

僕は明治学院大学大学院に進み学者の道へと進んだ。 

2人は日本橋茅場町にあった旧日本経済新聞社でバイトした。よく飲んだ。よく話した。

『これからどうする?』人生のこと。就職のことだ。

2人の意見が一致したのは、富士宮を離れないと言うことだ。

君は大丸呉服店を継ぐ。僕は野中保育園を継ぐ。

単純にそう決めて意気投合して、新宿を飲み歩いて学生時代を終わった。

 

 

2人が68年もの間、強い繋がりを続けることができた要因は何か?と問われれば。

大学を卒業して2人は富士宮に帰ってから、共に手を携えて郷土富士宮のためにいろいろとお役に立てたからだと思う。

 

2人は富士宮ジン(人)になったのだ。

君は僕の保育園のPTA会長をしてくれた。縁は切れなかった。

お互いの息子や娘が進学した富士宮西高のPTA会長に君がなると。

僕も続いて西高のPTA会長になった。いつも共にいた。

 

僕は大地保育の創始者である母塩川豊子の業績を残そうと、52年間の大学教師を続けながら、

富士宮を離れず母の大地保育の著作に専念しながら、明るい社会づくり運動の新小学校1年生を交通事故から守る「黄色い帽子の活動」や、富士山クリーン作戦に参加。

 

君は大丸呉服店だけではエネルギーが余って、剣道と手品にエネルギーを使い、有名になって富士宮市のボランティア活動に参加。

手品は市民の誰からも喜ばれた。保育園でも、老人クラブでも喜ばれて、手品の名人となった。富士宮市民ならばドコかで一度は彼の手品を見て「驚き!」「不思議さに感動し!」「癒された」はずだ。互いにボランティア活動を通して市民のみなさんのお役に立てた。

 

僕は君の68年間の生き方を見守った。君も僕の68年間の生き方を見守ってくれた。

僕が助教授になった時も、教授になった時も褒めてくれた。

著書を出す度に褒めてくれた。  

君に感謝する。

 

 

昨夜(8月1)のお通夜から帰ってお酒をたくさん飲んで酔っ払ったら。

君が『ニヤット笑って』現れた。

みんなも知るあの『ニヤット笑って』である。

そしてはっきりと言った『俺を悲しく葬るな。いつもの君の大声で葬ってくれ』と。

富士高剣道部の伝統は『大きな声(気合)の出せる人生を送れ!』である。

君の遺影を見ながら・・・僕は大声で歌った。

68年間の相棒・・・《富士宮ジン(人)よ!》・・・さようなら!

 

静岡県立  富士高等学校  10回生 剣道部主将 石坂栄造くん さようなら!

静岡県立 富士高等学校 10回生 剣道部副将 塩川寿平    合掌

 

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静岡県立富士高等学校の校章


1957 富士高剣道部県東部大会優勝


 

1957 高等学校新人戦優勝メンバー

 


戸塚洋二博士と塩川寿平