第205話:じゅっぺ先生の「保育園の門柱」のお話

【写真1・2・3】をご覧ください。
ずっと気にしていたのですがなかなか剪定できませんでした。
そうするうちに蔦のほうはどんどん伸びてとうとう門柱の字が見えなくなってしまい
ました。
じゅっぺちゃんは5月18日の午後やっと時間を見つけて、
娘の三女からもらった膝当てをつけて本職の庭師のように衣装を整えて、
見えなくなってしまった看板「野中こども園」の蔦の剪定に取り掛かりました。


 

 



【写真4・5】をご覧ください。
チョキ チョキ チョキ と 門柱の下の方まで、
じゅっぺ先生は丁寧に本職の庭師のように剪定しました。
みるみる「野中」の文字が出てきてはっきり読めるようになりました。

 

 



【写真6・7】をご覧ください。
「野中こども園」の字がはっきりと見えます。仕上がりました。
富士山に向かって、剪定ばさみを富士山の形にして、
じゅっぺ先生は上手な仕上がりに満足してバンザイしています。
隣の「大地教育研究所」の看板ともハイポーズ。

 



【写真8・9】をご覧ください。
社会福祉法人 柿ノ木会の入口です。
右側に「野中こども園(昔は野中保育園でした)」・左側に「大地教育研究所」の看
板です。
この正門を入っていくと右側に「野中こども園」の園舎と広大な園庭が広がります。
この正門を入っていくと左側にじゅっぺ先生の「大地教育研究所」があります。
4月の桜の綺麗な時にじゅっぺ先生と奥さんの恵美子さんと仲良く『ハイ!』ポー
ズ。
ちなみに、この両看板はじゅっぺ先生が退職記念に看板屋さんに発注して制作し、
寄贈したもので感慨深い愛着があります。

 



【写真10 】をご覧ください。
懐かしい66年前の写真です。

 


現在の「野中こども園」の門柱は昔のままです。
現在の「大地教育研究所」の門柱も昔のままです。
1958年 昭和33年 元旦の塩川ファミリーの記念写真です。
富士山がとても綺麗なお正月でした。
右側に少しヒサシが見えているのが旧庄屋・塩川本家の米蔵です。
この米蔵を改築してのが野中保育園の第1号園舎となりました。


1972年 昭和47年 新園舎「のなかザウルス」の落成まで、
野中保育園の開園は1953年 昭和28年 ですから、
その間の19年間、この米蔵園舎から子どもたちは卒園していきました。
じゅっぺ先生が20歳の時の写真です。