幸せになる為に生まれて来たはず!
ゆるゆるも大事にして
ご機嫌さんに過ごしましょ♪
マインドワーク®︎フォーカライザー
花岡 愛です。
小学5年生で、死ぬことを諦めたことで
自己嫌悪に陥り、〝今日も生きなくちゃ〟と
思うなか、
中学1年生では〝神様は、幸せになる為に
生まれさせたはず!〟と思うようになります…
そこから始まる、ある意味私の新しい人生(笑)
だからと言って、生きることに
前向きになったわけでは決してなく、
事あるごとに、
〝自分で死ねなかったから〟
〝自分ではもう死なないと決めたから〟
ということを責めながら…
いつもいつも〝何故この親だったんだろう〟
〝何故この家族だったんだろう〟
そんなことが頭にありました…
〝幸せになる為に生まれたはず〟と思いながら、
〝いつ死んだっていい〟なんなら
〝早く死にたい〟の思いでいたので、
それからの私はやけくそで過ごして行きます(笑)
(既に前回からツッコミ所満載ですが、アホだし子どもだから
仕方ないよね〜)
では、どういう過ごし方か(笑)
怖いモノがなくなる…
〝みんな大っ嫌い〟だったので、
親に対しても、人に対しても
ほぼほぼ言いたい放題でした…
私が〝みんな大っ嫌い〟なので
そのみんなが〝自分を嫌い〟で結構ナノダ、
どう思われようと、何を言われようと
平気のへっちゃらでした(笑)
心の中では、いつも怒っていました。
悪態付いていましたけど…(笑)
勿論、誰彼かまわず面と向かって
言うこともあったので、そんな時は、
ご想像通りのことになってました…(笑)
高校何年生か…ある日父から
『お前が居ると、お母さんが病気になるから
富山の施設に行ってくれ』と言われます。
いや、そんな悪くなかったのに…
物凄いショックで、泣きながら
『良い子にしますから、この家に置いてください』
と懇願しながらも、こんな家とっとと出てやる、
の思いでいました。
そもそも中学1年生の時に
こんなお母さんのところに生まれるなんて
思ってなかったし、お母さんだって
こんな子どもが生まれるとは
思ってたかっただろう…
だけど、高校卒業するまでは、
お世話になろう、高校卒業したら家を出よう!と
決めていたのに、出て行かず
大学にも行かせてもらえず、
行きたくもない専門学校へ行かされて
行ったり行かなかったり…
そして結局家を出たのは19歳だったかな…
ザックリですけど、そんな子どもでした…
って、なんか身の上話的になってるような(笑)
でも、まぁそんな子ども……
だけど…
ザックリ書いた中でも
親不孝だったな、両親は結構してくれてたな…
と、思い出されます。
今だからね…
やっとそう思えるのも
自分の内側と向き合うこと、
潜在意識にある思い込みを手放して来たこと、
マインドワーク®︎フォーカライザーになったこと。
だから
だからこそ、
視点を変えると
過去の出来事は変わらなくても
意味付けは変わります!
過去の出来事に付けた色も変わります♪
って、はっきりと言えます♪
(なぜか急に力んでるみたい…)
私のこと大事にされてる感じがして嬉しい❤︎
今日も皆さんが、ご機嫌さん♪ですように💝