今日は亡くなった父の誕生日なんです。

私、見た目は全然父には似てないけど、

中身はガッツリ父親の遺伝力が半端ない

んです。

お誕生日が七夕だなんて、嘘やろ!

言われそうなほど男気溢れる父親でした。

そんな父親の最後をみることなく、

スルーしてしまった私です。

ずっと私が子供のときから病気をしていて

透析も週3回毎週行ってた父。

出張時も、週3の透析から逃れられない。

いつなくなってもおかしくないのだと

子供のときから言われてきたので、

私的には覚悟を早いうちからもちながら

大人になったのです。

11年前に長崎から起業の目標のために

上京するときには、言葉には出さなくても

胸の奥にはもう数回しか会えないと覚悟を

持っていました。

病気が長い分、一つが正しく機能しないと

やっぱりどこかにガタが出てくるわけで

手術、手術を乗り越えて。

病人でありながら社長をやっていること

の大変さを思うと、ほんとうに大変な

人生を、生き抜いているのだろうなぁと

みていて辛くもありました。

私は独り暮らしで、誰にも頼れません。

石鹸のレシピを完成させるための

実験に投資していたから、貯金なんて

ほとんどなくて、毎日起業目指して、

生活のための仕事を週5普通に働きながら

あくせく生活していたら、

父の最後の時間がやって来てしまった。

働かないと来月の生活が大変になる。

家族からは、父の看病の話と

帰ってこれないかと連絡先が来る。


倒れる余裕すらなかった。

倒れる余裕が欲しかった。


帰ると、旅費と来月の生活がどうなるかの

不安があり、有休使いたくても仕事を変え

たばかりでタイミングが悪くて。

もう、仕事どころじゃなかった。

妹の旦那さんが旅費出すから

帰ってくるようにと気を使って

いってくださった。

甘えようかと正直思いましたが、

気を引き締めて1人出てきた私が

どれだけ自分に無理をして両親のもとから

離れたのか 意外と繊細でもあるんです。

私、固まってた意志が今、帰ることにより

雪崩のように崩れてしまうことに繋がったら

この踏ん張っている現状に戻れないと

それが一番怖かった。

泣きながら仕事出来ないし、

気力が抜けてしまった後の自分を

立て直す時間は許されないから、

私は父の最後にもお葬式もスルーして

しましました。


誰1人として、理解してもらえないと

思っているから、誰にも話したことが

ありません。


申し訳なかった。

私は覚悟してたけど、お父さんは

覚悟とかじゃなかったよね。

だって、私の父はなんとか持ちこたえて

私の誕生日になってから亡くなったんだもん

意地悪だよ。


私の中では父は死んでない。

私が実家に帰ったら、隠れていることに

私はしてる。

そう、思わないと申し訳なくて。


父は、中卒で学校に行きたくても

許されなくて、祖父と一緒に会社を

作りました。

私が中学のときに倒産してしまい

それから、父には辛い時間が長かった。

あんなに大きな事業をやっていた父。

仕事が好きな父だった。

起きてるときはほぼ仕事。

私も仕事が大好きだ。

その仕事大好きのボルテージが高まると、

父の遺伝子がウズいてるんだと感じます炎


今朝、起きて浮かんだのは、

私の肉体は両親から分けてもらったもの。

最初から、私は与えてもらっていたんだと

ハッと気づきました。

魂は、与えてもらえなかったら、

現実に肉体をもって産まれることは

出来なくて、命を繋ぐのもやはり、

与えていただいてこそ、出来ること。


私の健康意識の高さは、父の姿が健康の

ありがたさを教えてくれたから。

それも、教えて頂いた。

辛くても、やけになれない。

与えてもらって、今があるから。

自分が起こした事業が小さくなってしまった

ことが父にとってどれだけ辛かったこと

だろうと思います。

だから、私は絶対にやるんだと

固く誓ってもいました。



商売の大変さを学ぶのに

最適な場所に産まれました。

順調な人からは学ぶものは少ない。

いじめられた経験 や 倒産したらどんな

ことが起きるのか シュミレーション

させてもらったような20代までの時間。



今年、起業だなんて、🎪サーカスの

大道芸の綱渡りレベルなタイミングにアセアセ

でも、地道にコツコツ。

やっていきたいと思います照れ


焦ったから良かったなんてないから。


ただ、与えていただいていることだけは

忘れないでいたいと思いますグリーンハート