懺悔・・・本音 | いいかげんが好い加減

いいかげんが好い加減

婦人科系の手術を受けやっと健康を取り戻したし遊ぶぞ宣言♪
家でのDVD映画鑑賞から再び劇場へ!
本もたくさん読んでこれからは思う存分楽しむぞ~♪
試写会の感想やゲラ読み本の紹介などもしています

今日、昨日?

『人魚の眠る家』の映画紹介をあげました

そして懺悔を書きました

 

懺悔・・・

懺悔のようで懺悔ではありません

ただの告白でした

 

自分を飾りたいという意識がありました

正直数名でも読んでくださる方がいるのだと

それを意識してしまいました

 

どうせ顔も本名も知らない人たち

そんな安心感もありながら

書くのは怖かった

過去と向き合うというのは怖かった

 

病院へ行き手術になった友達の旦那さんから

既に手遅れで手の施しようもない状態だったと聞かされ

今後は大量の薬を飲み生活をすることになる

子育ても大変になると思う

もしかしたらどこかで意識を失ったり

脳の腫瘍のせいでコントロールが出来なくなった

食欲や感情を抑えきれずに

なんでも食べたり

理由もなく怒ったりするかもしれない

それを責めないで欲しい

薬による意識障害も出てくると思う

気を付けて見てやって欲しい

それらのことを言われました

 

食欲が抑えられないことに対して

ストレス溜まってるんじゃないの?や

ダイエットしなきゃダメだよと言ったこと

体調が悪いことを言われたのに

病院へ行きなよと言いながらも

急性白血病で友達を亡くしていながらも

強く病院へ行くように言わなかったことを

謝り出来ることは何でもしますと言いました

 

旦那さんは夫なのに気が付いて上げられなかったと

後悔していました

私もどうして気が付いてあげられなかった?

そう自分に何度も問いかけました

16歳で友達を亡くしているのにと・・・

 

 

中学時代

私は仲良しグループ6人組という中の一人でした

友達は男勝りで負けず嫌いで

男子生徒にも言いたいことが言え

バスケ部のキャプテンで

常にリーダーシップを取りさばさばとして

男女ともに人気がある美人さんでした

友達は中3の時に入院しました

 

突然鼻血を出したりして

「いやらしいこと考えて興奮して鼻血出したか?」

なんて言ったりして

頻繁に鼻血を出すので欲求不満?なんて

からかったりしていました

 

中学3年生

本人が思うより子供でバカで無知でした

映画やドラマの中では知っていても

急性骨髄性白血病なんて

実際に身近であるなんて想像もしませんでした

友達のお母さんからは何も知らされませんでした

何の病気なのさ?と聞いても

判らないから入院して検査してるんじゃん!

病院退屈!学校行きたい!

学校に行ってる時はさぼることばっかり

考えていたのに行けないとなると行きたいんだよ

と元気よく愚痴るくらいで

 

お見舞いに行くと言っても

直ぐに退院するのにオーバーだなぁと笑い

取り合ってくれませんでした

入院はしたものの、いつも元気な友達の反応に

深く考えていませんでした

 

高校生になり学校が別れクラスメイトではなくなりました

いつ遊べるのさ?程度で深く考えませんでした

そして友達から連絡が着ました「退院するから遊ぼ~」

私たちは退院祝いと友達の16歳の誕生日祝いを兼ねて

誕生日会の計画を立てていました

 

でも友達と連絡が取れなくなりました

当日参加出来るのか確認したかったのに

返事が来なくなりました

何があったのか分からないけれど

私たちの中で不安が一気に膨れ上がりました

代表で友達が自宅に電話をかけてくれました

 

16歳の友達の誕生日当日

私は友達からの電話を受けました

「Mが死んだ」

何を言ってるのか直ぐに理解出来ませんでした

「何言ってるの退院出来るって言ってたじゃん」

笑いながら私は答えました

友達が続けて言いました

今日告別式だって会いに行くよね?

6人の内4人だけ友達の家に行きました

 

私たちがMのお母さんに言ったのは

「こんばんはMちゃん居ますか?」でした

大人の言う弔辞ということも知らなかったし

友達が死んだということが理解出来ていませんでした

 

Mのお母さんが言いました

「会ってやってくれる?M喜ぶと思う」

16歳の彼女の誕生日

退院出来るから遊ぼ~そう言っていた彼女

戻ってきた彼女は棺の中でした

私たちは棺の中の友達を無言のまま見つめていました

 

「良かったねぇ~みんな来てくれたよ

嬉しいねぇ~。やっと皆に会えたねぇ~。

会いたいって言ってたものねぇ~。」

 

私たちの頭越しにお母さんが言います

泣きながら言います

 

私たちはまた明日来ますと逃げる様に

その場を離れました

近くの公園へ行き皆無言でいました

誰一人泣きませんでした

あまりに突然であまりに衝撃的で

受け入れることが出来ず

泣くことが出来ませんでした

 

少しだけ喧嘩をしました

誰が最後に話をしたんだと

責任の押し付け合いの喧嘩でした

 

それぞれの親たちが迎えに来て帰宅し

友達の葬儀に参列し

火葬場には酷だからと参加しなくていいよと言われました

 

小さな箱に真っ白な布に包まれたM

 

お母さんが私たちを悲しませないよう

本人にも治る病気だと嘘をつき

病名は明かしてなかったと聞き

元気だった時だけを覚えていて欲しかったから

皆に本当のことが言えなかったと

ごめんなさいねそうお母さんが言いました

法事には参加していましたが

結局泣けませんでした

 

法事で思い出話になって

そこで初めて私たちは泣きました

16歳の誕生日に死ぬとか耐えられない!

バカヤロー16で死ぬやつがあるか!

その言葉に初めて泣きました