私の亡くなった父親は、アスペルガー症候群でした。
最近、父親を思い出す出来事があって、少し父について書いてみようかなっと。
心屋&イメージ療法ヒプノセラピストの竜崎ゆきです。
勉強がとてもできるタイプの、教授によくいるタイプね。
小さな頃から父の行動が妙で、なんでかなー
って思ってたんだ。とにかく自由なの。協調性ないの。
人の気持ちなんて分からないようだし。
聞いてもこない
アスペルガー症候群って名前は、ここ20年前ぐらいから出てきたと思うんだけどね、
父が生きてた当時はアスペルガー症候群の言葉自体、世の中に知られてなかったから、だれも父が障害者とは思ってたかったの。
私が大人になって発達障害校で働きだして父の晩年に気づいたんだ。
でね、例にもれず集団で過ごす会社勤めはストレスだったみたいで、
二次症状としてよくなる精神病になって、堂々と会社を休んでました。
(^▽^;)
嫌な時は、よく仕事休んでたなぁ。
で、私の母は、
また休んでズルい
だから私が働いて稼がないといけない。
お父さんは人の気持ちが分からない冷たい人だ。
なーんにも手伝ってくれん
優しい言葉の一つもかけてくれん
私や家族のことなんにも考えてないし、愛してくれてない、心がない。
と私に愚痴を漏らしてたなぁ。
そして母の方が先に亡くなったのだけど、父を自分の入院する病院にさえ寄せ付けず、父を恨んで亡くなっていったような感じだった。
確かに父は何も手伝いませんでした。
私がいくら一緒に遊んで〜
って言っても
病気でしんどいから
と断り続けられた
そんな私たちを母はかわいそうと言ってた
でもね、私は小さい頃から
確かに遊ぼうと言って断られるのは残念だったけど、
よくもまあ父親なのに子どもの面倒みないでいるよなぁと、なんか父の正直さに清々しさを感じて笑えてくるぐらいだった。
外で会うと自転車でフラフラ車道を走ったりしてて変だったし、恥ずかしかった。
あんな人が私の父なんて知られたら笑われるって思って父と偶然会っても知らんぷりしてた。
てか、そもそも本人なんて私のこといつも気づいてないようで、自転車こいで去っていったわ(;^ω^A
それ見て、
オーーイ、気づかんのかーいっ
て笑けたの。
だから私は父を嫌いではなかった
私には無害で何かと反対されなかった(てか人のこと見てない)からむしろ楽だった。
そんな父に対しての愚痴を母が毎日言ってる方が辛かったなぁ。
お父さんはきっと悪気はないけど、アスペルガー症候群のそして男性だし、母が何思ってるのかどうしてほしいのか分からない。
しかもそれをしても上手くいかずに母が不機嫌になる。
だからどうすればよかったのかな…
と思うと、母がもっと細かく1から10まで、こうしてほしい、あーしてほしいとおしえてあげたらよかったのかも?
うん、でもそれしても、父も精神不安定で、やりたくなかったから部屋にこもってたよね。
やりたくないことはやらない主義。
だから、母が私がやらねば、母として妻として役目を果たさないと〜〜って嫌だけど、いつも頑張って子どもにイライラしてたわ。
アレやれ、コレやれ、なんで言う通りにしないのっ
あ〜〜お母さん、こんなに頑張ってるのにーーーっ
キーーー!!
私はこれが何より嫌だった。だからこのことが今でも知らない間に思い出されて、、
私の子どもが学校を休みがちになると、潜在意識の中で、
母が不機嫌になる恐怖
として私に現れてたの。
ずっとなんで学校休まれるのがこんなに怖いのだろう。。と思ってたけどこのことが分かってずーっと楽になった。
母はもっと全てを手放して手を抜いたらよかったんだろうね。
できる人をやめたらよかったのだ。父みたいに。
父は母にとっては神だったなぁ。
そして、母の親(祖父)が反対するから離婚できない、子どもがいるから離婚できないと日々愚痴を言ってたけど、、、思いっきり他人軸で生きてた人だったわ〜
やっぱり一人で子育ては金銭的にも自信がなかったんだろうな。。
じゃあどうして欲しかったのか、私は。。
やっぱり母が強行に離婚でも別居でもしたら祖父母が金銭的にバックアップしてくれただろうから、
そうなった時の母と私の安心した様子を頭の中でイメージし続けたら、、子どもの学校行く行かないは気にならなくなったの。
でも、こうやって現在起こってる不安や悩みって過去の出来事が元となってるだけなんだなぁと改めて実感。
今日も感謝✨✨✨