何もしていないのに何でも成している愛犬まちゃちゃ様↓


 

釈迦もイエスも悟りと言う境地になった時、

 

な〜んだ

 

という心境だったに違いない

 

釈迦は特に、

 

悟りを目指すという行為をし続けて、

行為が無くなった瞬間に悟りに行き着き

 

な〜んだ

 

に、なった(はず)笑

 

 

人はずっとこの”な〜んだ”

を探し求めて幻想の中を彷徨っている探究者

 


悟りの境地を0に例えたとき、

人はプラスかマイナスのどちらかに触れていないと、

落ち着かない。 


 

ずっとこの”な〜んだ”がプラスかマイナスにあると思い続けて

探究を続ける冒険者でありチャレンジャー!

 

 

ずっと0に落ち着きたいのにプラスかマイナスに触れずつける

 


全ての人が探究をし続ける理由は0に落ち着きたい為であって、

 

プラスとマイナスに触れたいわけではない・・・のに?

 

0と言う場所に落ち着けない

 

ずっと真逆をし続ける事で"私"強固にしてくれる



”私”と言う性質は、

プラスかマイナスに触れている時、ストーリー上にしか存在ができないからでしかない


 

悟りや0の心境にプロセスはない

 

プロセスがあると思うのは、過去と未来があって

 

”私”にはストーリーがあると信じる信念がある

 

時間は今しか存在していない・・・のに?

 

今この瞬間しかリアリティーはない・・・のに?

 

あまりにも今この瞬間があたかも連続しているように”私”には感じるものだから、

 

過去があって未来があるように錯覚を起こし続けるのが”私”と言う存在。

 

安心と幸せと言う0の境地を探し求めてプラスかマイナスに行為をし続けて、

 

行為をやめた瞬間0になる

 

この世界は顛倒夢想

 

ギャグみたいな夢を見て、

それが現実かのように錯覚して生きることを辞めない

 

幸福の世界を探し続け

 

安心の世界を探し続け

 

0の世界を探し続け

 

辞めた瞬間に”な〜んだ”に落ち着ける

 

 

そして100パーセント”な〜んだ”

 

探さへんでもここにあったやん!

 

と笑えてくる

 

0は幻想の終わり

悟りは"私"終わり


藤井風くんの"何なん"と言う曲は、

この"な〜んだ"の時の為にあるものに違いない!



”な〜んだ”の世界は探さなくても今ここにあって、足るを知るの意味合いは深かったと言いたいけど

普通にシンプル

 

何もしない事が何でも成せる真逆の世界


生きるのが楽しかないやないかい!

 

何なん!


そんな配信を今後していきます

 


突然ライブ配信のお知らせしたりなんだりします↓