おはようございますニコニコ櫻井です!

 


今日はこの世界全体の仕組みについてお話ししてみたいと思います。


信じたい方だけ信じてくださいね爆笑




私達は”私”と思っている映画の中の登場人物だと言う誤解をして過ごしている様なものです。



これはどう言うことかというと、

 


この3次元は幻想で幻で、夢の中に居るようなものである

 

と、多くの方が言われている通り、


 

”私”と言う主人公を通してこの世界を生きているように感じています。

 

 

全ての苦しみの根本的な原因は、

幻想で幻で、夢の中に存在していると思っている”私”が、実態だ!と、思っているからです

 


全体である本来の実態が見えなくなってしまっているだけで、、、

 


よくこの3次元を映画館の投影機とスクリーンで例えて説明されていると思いますが、

 

 

非二元からこれらを表現した時に、

 

 

”私”と言う主人公は、スクリーンの中に映っている映像なのであって、


スクリーンの中の映像が例えどんなに悲惨な出来事が起きたとしても、

 

 

スクリーンそのものが何か影響を受けると言う事はありませんよね。

 

 

例えば、映画のストーリーの中で、

 

主人公が拳銃で撃たれたからといって、、、

 

スクリーン自体に穴が空いたり、

スクリーン自体から血が流れてくると言うことはないと思います。

 

ストーリー(物語)が展開してるのは、映像の中だけであって映像が実態ではありません。

 

実態があるとしたらスクリーンと言う物質だけと言えます。


本来の私達は、個体ではなく、

それを映し出すスクリーンと言う全体です。

 

影響を受けていると思っているのは映像に映っている”私”と言う登場人物であって、

 

”私”が映っている全体であるスクリーンは、

 

一切の影響を受けることがないんですね。

 


櫻井さんと言う映像が半目で悲惨な写真になっていたとしてら↓↓↓


悲惨だ!と思っているのは、映像の中の櫻井さんという”私”と言う仮想の自分であって、

 

写真を写している今これを見てくださっている皆さんのデバイスには何の影響も何もありませんよね?

 

静寂と共にただこの映像、写真があるだけで、

 

これであろうと↓


これであろうと↓


この写真を写しているデバイスには何ら変わらず何にも起きてないと思います。



映像の中にいる櫻井さんが、この写真の中にいる"私"が本当に実在していると信じていたら、ヤバタニエンだ!誰にも見せたくない!とドヤサドヤサすると思いますが、


実態であるデバイスには何の問題も起きてないんですね。


映像の中に映っている櫻井さんにスクリーンやデバイスをどうこうすることはできません

 


半目の映像を何とか補正しようとしても、

それは映像の中で表現されている櫻井さんにはどうすることもできません

 

コントロールが出来るとしたら、


画面越しにこのブログを見て下さっている、

皆様であって、


"それ"が皆さんの実態でもあります


スクリーンやデバイスを触ることすら”私”には出来ないんですね


今の状況を何とかしなきゃ!

自分の人生はコントロールできるんだ!

スクリーンやデバイスを何とかできるんだ!


と言う映像、写真の中の”私”が実態だと思い込んでる、その誤解が苦しさを生み出します

 

なぜなら自分の人生に責任を持たないといけない!

ちゃんと”私”をコントロールしなきゃ何かが不安だ!

 

と言う恐れがセットで”私”にはついてまわるからです

 

恐れの根本的な原因は、

スクリーンやデバイスと言う実態であると言うことを忘れてしまっているだけ 

 

 

たったのこれだけ

 


映像の"私"が生きる世界とスクリーン(真理)から生きる世界は次元が異なります。


 

”私”と言う主人公を抜いてその写真と言う映像をあるがままに見た時に、

 

ただのデバイスで、半目でやべい!!!写真になっていると言う事すらも本当は何も起きておらず、


それが映像として映っているだけで、

 

デバイスがただそこにあるだけです

 

本来私達は、映像や写真の中の存在ではなく、

 

スクリーンやデバイスと言う実態であって、

 

それ以外の何者でもないんですね

 

 

”私”と言う個体ではなく、

デバイスや映画を映すスクリーンと言う全体という実態そのものが本来の、、、これ。

 


"私"と言う誤解の様な夢の中で

リアルに感じれる今この瞬間自体が既に、

 

凄い奇跡じゃないでしょうか。



何が起きていてもただそれは映像で幻想。



呑気で気ままにケ・セラ・セラですおねがい



0は幻想の終わり。

悟りは"私"のおわり。


お読み頂きありがとうございました!





いろは歌は、3次元の世界を高次元から見ると、

まるで夢を見ているかの様な世界だと表している歌だそうですおねがい