あの人は愛のある者と言い、
その人は愛の無い者と言う。
あの人は好きと言い、
その人は嫌いと言う。
あの人は優しいと言い、
その人は酷いと言う。
あの人は優秀と言い、
その人は無能と言う。
あの人は素晴らしいと言い、
その人はみずぼらしいと言う。
この2つに一体どんな差があるのだろうか。
この空っぽの空間のどこに、
そのような人が居るのだろうか。
"私"の観念で"私"は世界を見る。
"私"は綺麗と思う言葉を使って表現しているつもりでも、
愛がある人と言いながらゴミを投げ、
好きと言いながらゴミを投げ、
優しいと言いながらゴミを投げ、
優秀と言いながらゴミを投げ、
素晴らしいと言いながらゴミを投げ、
ずっとゴミを投げ続けてるゲームにいる事に気付けない。
どれだけ綺麗な言葉を尽くそうとも、
その観念は必ず誰かを傷付け、自分にゴミを投げつけている。
草花は誰も傷付ける事をした事がない。
それは草花には観念が無くそこに在り続けているだけだからである。
どこに〇〇な人が居るのだろうか?
"私"はこの観念で作られた幻想ゲームのマウンドから抜け出せない。
マウンドから立ち去る時、初めて神と対峙し、幻想ゲームの卒業を迎えるのである。