おはようございます爆笑

櫻井です!

 



 

この世界は、

自分の観念の世界が投影された世界です。


 

自分の中にあるものしか現実に見ることができません。

 

 

自分の中にあるものは見るし、

 

自分の中にないものは見ることができないんですね。

 

 


どうしてこんな現実が起きるんだろう?

 

と、絶望するような出来事すら、

 

自分の中にある観念がそのまま投影された事で、


知っていることが、

現実となって顕れます。

 


分かり易くお話ししてみると、

 

目の前を通る人が、

 

知っている人なら、知っていると言う認識になり、

 

目の前を通る人が、

 

全く知らない人ならただ知らない人として通り過ぎる、

認識すらできない対象になるはずです。


 

起きる出来事も全く一緒で、

 

自分が知っている事が出来事として起きています。

 

知っているとは何かというと、

 

自分が興味があることが出来事として認識されているに過ぎません。

 


  

絶望するような出来事だったとしても、

歓喜する出来事だったとしても、

 

自分の中にあるもの、事が出来事として現実に顕れます。


 

 

苦しみの原因が一体なんであるか?

を私達はよく理解する必要があります。

 


 

何故なら、人は皆、

何かを求める理由は苦しさや恐れからくるものが全ての欲求に繋がっているからです。

 

 

例えば、

 

もっと若々しくなりたいは、

老いからくる恐れであって

 

健康でいたいは、

死や痛みからの恐れであって、

 

お金をもっと得たいは、

将来の不安や現状に対する不満や恐れであって、

 

良きパートナーが欲しいは、

孤独からの恐れだったりします。

 

 

これらの恐れの例えは、全て表面的なことで、

 

根本的な私達を突き動かす恐れとは一体何なのでしょうか。

 


尽きることのない、この欲求の原動力になっている正体は何なのでしょうか。

 

 

何故起きる現実を私たちは、受け入れることはできないのか。

 

こんな現実は嫌だと言う世界に対する摩擦こそが苦しみを生み出し、

 

そしてこの現実は嫌だという世界に対する摩擦もまた自分が投影していることさえもまた事実です。

 

 

尽きることのない欲求という逃避にも似た対象物を探しては、それに没頭し、

 

また違う対象を探しては、それに没頭し、

 

またそれに飽きたらまた探し出すという探究を”私”は辞めることをしません。

 

 

恋愛のドラマに飽きて見なくなる方が中にはいらっしゃると思います。

 

その理由は、

 

恋愛が始まったら、それはすでに終わりを迎えているということを知っているからではないでしょうか。

 

 

これは全ての対象に該当します。

 

 

旅行に出たら、同時に終わりが来るのを知っていて、

 

仕事で目標を立てたら、同時に終わりがあるのを知っていて、

 

生を受けたら、同時に死という終わりがあるのを皆知っています。

 

 

つまるところ、

 

始まりを迎えた瞬間、また始まっているということです。

 

 

始まりを迎えた瞬間、終わりを迎え、

 

終わりを迎えた瞬間また始まりを迎えているということです。

 

 

何故地球は自転をしているのでしょうか

 

 

それはループを繰り返す惑星だからだと私は考えています。


 

対象物が何であれ、

 

ループを繰り返しているという事に飽き飽きした人が、

 

”何か”に気づき、

 

苦しみの根本の原因を探し当てます。

 

 

そして、

このループから抜け出す事を釈迦は解脱と呼んだのでしょう。

 

 

何か逃避する遊び道具を見つけて楽しんだとしても、

楽しくなくなり、

 

遊び道具が見当たらなくなった時、

 

地球でループする遊び方の終わりの合図をあなたに鳴らしているに他なりません。

 

 

この無意味なループを繰り返していたとしても、

 

これはただループを繰り返しているだけだと気付いたら、

それは大きな大きな一歩を踏み出したとしか言えません。

 


そのループを断ち切って初めて、それは自由と言えます。

 

恋愛であれ、健康であれ、仕事であれ何であれ、

 

うまくいっても行かなくてもそれはドラマにすぎません。

 

 

なんだ全部、夢だった

幻想だった

嘘だった

 


と、気付いた人から

人間の織り成すドラマから縁を切り、

 

真の自由を手にいれる道に入るその時まで

 

”私”は夢から醒めることを辞めません。

 

 

現実に対して、

”私”に対して、

 


こりゃお手上げ!!と、降伏する時、


 

その時初めて幸福を目の当たりにする準備が整った時だと知ります。

 



降伏は幸福です。