【千葉県・流山市】大原神社 | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2023年5月25日参拝。


流山市の神社巡りのつづきです。


大原(だいばら)神社神社


読みは「おおはら」だと思ったら、「だいばら」でした。
重箱読み(音読み+訓読み)なのですねキョロキョロ


電車流鉄流山線・流山駅より徒歩10分、
平和台駅より徒歩8分。
つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より徒歩12分。

前回記事の「大宮神社」からは、徒歩5~6分ですおねがい


境内入口の石段

石段の上に狛犬犬

その先、右手に手水舎アセアセアセアセ

蛇口をひねると水は出ましたタラータラータラー
なぜか水盤が2つ。


鳥居神明鳥居です。

その先に二の鳥居、三の鳥居と続いているように見えましたが、柱に見えるものは木でした。



江戸時代初期、 延宝元年(1673年)創建と伝わる、旧・西平井村の氏神です。
社号の「大原神社」は、旧地名である「西平井の字大原」にちなんでいるとのことです。


明治42年(1909年)、西平井の字宮本に鎮座していた「七郎神社※」を合祀しています。
※元禄元年(1688年)創建、御祭神不詳。 



拝殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

シンメトリーな建物ではなく、左側に張り出した部分があります。


扁額

鮮やかな青い文字!珍しいですねびっくり
ちなみに、「扁額」とは本来「横長の額」のことですが、縦長の額でも「扁額」と呼んでいることも多いようですね。

【御祭神】
大原権現 だいばらごんげん
※境内掲示による。

ネットでは、御祭神を
「瀬織津比咩命(せおりつひめ)」としているものもありました。


境内の掲示に、
「東に大宮神社、西に赤城神社の間、丘廻り古木が立並ぶ 
西平井の公民に災過なく恵みを給う
通称:女の神として信仰篤い」
とあったので、御祭神=瀬織津比咩命説が浮上したのかも知れません。


ご本殿の覆屋キラキラキラキラキラキラ

細かな彫刻は何の場面を描いているのでしょう??





「流山」はかつて「ながるやま」とも称しました。
その昔、大洪水波で上州・赤城山の崩れた土塊が流されて来て小山(現在の赤城神社の鎮座する場所)となったという伝承に由来すると言われています。 
他に、上州「赤城神社」のお札がこの小山に流れ着いたという説もあります。


拝殿前の石燈籠、通常は左右の面に太陽太陽と月🌒を模した穴が空いています。
太陽側から覗いて撮影してみました。



境内入口、石段の右手に、
冨士嶽淺間大神の石碑。


参道左手に、阿夫利神社の石碑。

阿夫利神社について
「大山阿夫利神社」は、神奈川県伊勢原市の大山にある神社です。
別名「あめふり山(雨降山)」とも呼ばれ、雨乞い傘や五穀豊穣🌾の祈願の対象でした。

【御祭神】
本社:大山祗大神

奥社:大雷神 
その名の通り、雷の神様
古来より火災や盗難除けの神として信仰され、大山では「大天狗」👺とも呼ばれています。 

前社:高龗神
水神・龍神龍
「高」=山、「龗」=龍を表します。
古来より祈雨や止雨の神として信仰され、大山では「小天狗」👺とも呼ばれています。


富士登山記念碑

前述の「冨士淺間大神」そして、「阿夫利神社」の石碑。
この地域は山岳信仰も盛んだったようですねキョロキョロ


そびえ立つ杉の木


境内の西側に分け入ると、小さな石祠が並んでいました。




戦役紀念碑

石碑の前に石段があり、丁寧に祀られているのを感じますキラキラキラキラ


庚申塔もたくさん並んでいました。

こちらの神社の庚申塔は、三猿像猿の部分がとても凝った彫刻になっています。


青面金剛像(しょうめんこんごうぞう) もあります。



やはりこの地域は「成田山月参」も盛んのようです。


成田山新勝寺御本尊・不動明王像です。

とても立派な石像ですびっくり
「不動明王」の下に彫られているのは、
脇士(わきじ)の、右・矜羯羅童子(こんがらどうじ)左・制吒迦童子(せいたかどうじ)です。
不動明王の持つ「慈悲」を矜羯羅童子(右)が、「忿怒(ふんぬ)」を制吒迦童子(左)が表していると言われています。



無人社のため、御朱印はありません。

神仏習合というより、仏教色のほうが少し勝っているような印象を受ける神社でした。
高台にあり、境内の西側を遠くまで見晴らすことが出来ます。

境内掲示にあった、東の「大宮神社」は前回記事でご紹介した神社ですが、
「流山」の地名の由来にもなった西の「赤城神社」にも、いずれ訪れてみたいですおねがい


最後までお読みいただき、ありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン