『心(しん)』と『感情』 | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。

つぶやきを進めましょう。
『心(しん)』と『感情』についてのつぶやきに戻りましょう!
以下に、具体的に申し上げましょう。
『心(しん)』を純粋な『水晶の玉』と考えてもよろしいです。
『水晶の玉』を赤紙の上に置きますと『ルビー』に視えます。
『水晶の玉』を青紙の上に置きますと『サファイヤ』に視えます。
『水晶の玉』を緑紙の上に置きますと『エメラルド』に視えます。

『水晶の玉』はいつまでも純粋な『水晶の玉』です。
置いてある色紙によって視えように変化があるのです。
〔どうやら『感情』の在り方が視えてきましたね~〕

この『色紙』による視えようの変化を『感情』と言います。
世に『二重人格』と呼ばれる人がありますが、自心の中に『水晶の玉』を二つ持っているわけではありません。
『心(しん)』はひとつの生き物にたった一つしかありません。
『心(しん)』が『消滅』すれば『二重人格』者も消滅します。
『二重人格』も『色紙』の変化による現象です。
『心(しん)』は誕生するや、必ず『色紙』による変化を受けます。
それが『心(しん)』の『宿命』でしょうか!
その『宿命』たる世界を大乗仏教では『欲界』と言います。
そして人間の一生を通して、あらゆる問題がここから生まれます。
ついでながら『欲界』とは『欲望の界』ではありません。
生命あるものは『物質』を認識することによって何らかの感情が起こり、考え・行動します。
・・・この在り様の世界を『欲界』と呼称します。
真言宗・阿闍梨・隆健も、毎日、この『欲界』で泣いたり・笑ったりです。
一生、覚りには縁の無い、隆健です。