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神聖寺 隆健 090-3085-9732

神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
これから『こころ』の中身である『心(しん)』と『感情』について、改めてつぶやきを進めましょう。
真言密教、即身成仏への道、基本哲学です。
『心(しん)』とは一体、何?
『心(しん)』とは『生命』であり・『呼吸』であり『生きている』を表すものです。
まだ『生きている』よ!まだ、『生命がある』よ!まだ『呼吸がある』よ!
・・・と言うことは、まだ『心(しん)』があるよ!と言い換えることができます。
『心(しん)』=ひとつの生き物にたった一つしかありません。
この世のあらゆる生き物に『心(しん)』が一つずつあります。
ミミズにも犬にも猫にも花にも草にも・・・
この世のありとあらゆる動物・植物にあるのです。
もちろん人間にも。
この『心(しん)』に溶け込むようにして『感情』が沸き起こり・溶け込みます。
この『感情』が物凄い~『くせもの』です。
生き物それぞれに差がある・違うというのは『心(しん)』に溶け込んでいる『感情』にそれぞれ差があり・違いがあるということなのです。
この『感情』をもう一度、具体的な差として表現すれば・・・
好き・嫌い・楽しい・怒り・欲しい・痛い・だるい・かゆい・強い・弱いなどです。
寄り道ですが・・・
現代では植物にも感情があることは常識的に知られています。
〔果実の木に果実を早く成らせるには根本付近の幹にのこぎりで傷をつけると聞いた覚えがあります。木が死を悟り、早急に子孫を残すことを意識し始めるからと。なんとも残酷な話で恐縮です・・・謝・謝〕
長くなります。次回に続く。




上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
真言密教の中心は『こころ』の理解!
密教の勉強をしていて『こころ』が嘆いたり・笑ったりの毎日です。
それが真言宗・阿闍梨・隆健の生きる道です~。
さぁ、つぶやきを進めましょう。
『真言密教』の基本経典の筆頭は『大日経』です。
『大日経』典の教えは『入真言門住心品(にゅうしんごんもんじゅうしんぼん)』と言う『章』からスタートです。
〔良く分からない方は、むにゃむにゃからスタートだと覚えれば良いですよ~〕
この『章』は『住心』つまり『こころ』をテーマにしています。
『こころ』とは何か?
〔今までに、いろいろとブログで、ご案内したとおりです〕
〔過去のブログのお話を再度、以下にまとめてみましょう〕
『こころ』とは『心(しん)』と『感情』がセットされたものです!
その『こころ』を動かすものが存在します。
それが『こころ』の対象となる『物質』です。
私たちは『物質』を認識するから『感情』が沸き起こるのです。
『心(しん)』と『感情』と『物質』。
この三つの関係がきちんと理解できれば、あらゆる問題が解決されます。
これから『こころ』の中身である『心(しん)』と『感情』について、改めて、お話を進めます。
次回に続く。

上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
「見えない世界をしっかりとみよう!」
「見えなきゃ、とにかく飛び込んでみろ!」
「身体で体験しなきゃだめだよ!」
「待つんじゃない!待つのではない!自分から行動を起こせ!その意欲、集中が大事なんだよ~!」・・・と、空海が耳元で囁(ささや)いてきます。
大乗仏教の世界、最高峰である真言密教、高野山真言宗。開祖である空海の言葉です。
どこに飛び込むのか?
それは自分の『心』の中にです。
何を求めてか?
それは『悟り』を求めてです。
悟りをもとめて、自分の『心』を徹底的に極めていくと、ハッキリと自分の中に『仏(ブッダ)』が存在していることに気が付くと言う。
性別なんか関係なし、年齢なんか関係なしに・・・
これが『真言密教』の実践の姿です。
自分の『心』に『仏(ブッダ)』がいるか?
私は、いつも、用意してある『バロメーター』でチェックします。
それをみなさんにもご紹介しましょう!
〔私も迷う(=欲がでる)時が多々あります。これは私の命綱の一つでもあるのです〕
その『バロメーター』とは次の『詩』のことです!
次の『詩』をどのように理解されるかで「自心に『仏(ブッダ)』がいるか?」が分かります。
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦(かわら)のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
(金子みすず全集より)
『金子みすず』は大好きな詩人です。
近年、若い宗教人の世界で「金子みすず詩集」が話題となっているようです。なるほどと思われます。

「鈴と小鳥と それから わたし、みんないい」
この『詩』こそ、平等論・大乗仏教哲学の極地を表しています。

『わたしと小鳥と鈴と』
わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように 地面(じべた)を速くは走れない、
わたしが体をゆすっても きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ、
鈴と小鳥と それから私、
みんなちがって みんないい。
(金子みすず全集より)
金子みすずは既に故人の女性。。合掌!