言葉にするのに時間がかかってしまいましたが、このシリーズの続きです。
頑張って、本質に近づくための言葉を手探りで探してきたので、ぜひ読んでください♡
存在(人間にとっては、生きること)の目的は、存在していることによって可能になる、全ての現象(気持ちや体験)。
私がこのように「存在の目的」と理解しているもの、そのものを、
「幸せ」とする哲学や人々もいます。
例えば、藤本さきこさんは、
「存在しているということ、そのもの。そして、それによって感じる事・経験することの、全て」
が、喜びであり、幸せなのだと言います。
さきこさんや、その他の悟っている人たちが
丸ごと「幸せ」や「喜び」と呼ぶ、存在そのもの及び、それに付随するすべての経験。
確かにそれら全てが存在することの大切な要点なのだけれども、私はその中にも、より幸せに近いものと、そうでないものがある気がします。
その、幸せにより近いもの。
幸せというポジティブさ。
それは
「良い気持ち」というポジティブさではなく、
それが「良い気持ち」でも「辛い気持ち」でも、
「生の充実」というポジティブさなのでは、と思っています。
なぜならば、前述した通り、
「生きること(存在)の目的・要点は、生きている(存在する)ことによって可能になる、全てのこと(現象)、つまり気持ちや体験」
なので、
それを深めること、
それをより深く味わうことが、
「幸せ」と呼べるポジティブさ、
なのではないでしょうか。
それがイヤな気持であったとしても、
嬉しい気持ちであったとしても。
それは、いわゆる「幸せ」という言葉でイメージされるポジティブさよりも、「充実感」に似ています。
人間存在にとって、そして自分という個人にとって、本質的なものを経験している・味わっている、という充実感。
自分の奥底の感覚に沿っている、という充実感。
それが苦しい気持ちでも、悲しい気持ちでも、嬉しい気持ちでも、
「幸せ」かそうではないかを分けるのは、
その、「気分の種類」の分類ではなくて。
・自分という存在を、しっかり味わっているかどうか
・自分の感性や、心身が織りなす感覚を、深く味わっているかどうか
そのような「充実度」に、幸せの基準が、あるのではないでしょうか。
霧氷と呼ばれる、空中の水分が霜となって、木々を真っ白にする現象。昼間も綺麗ですが、夜に見ると、また格別の厳かな雰囲気があります。夜桜を思い出すな♡
表面的だったり
薄っぺらかったり
本当の自分や、本心に沿っていないことも、
存在しているからこそ味わえるのだけれど。
その意味では、そういったものも、「生きること、生きる要点」の一部なのですが・・・。
でもやっぱり、
自分という個や質
「自分である」ことに
より深く根差しているもの(体験)の方が、
自分という、固有性の現象(存在、人生)の体験としては、純度が高く、充実していて、
そしてそれが、本当の意味での「幸せ」なのではないか、と思います。
そして、全てを「幸せ」とする、さきこさんのような人の言葉にも、端々に、このことが感じられます。
例えば
私も頑張ろう!って思う。
頑張るって言うのは、「稼ごう!」とか
そういう気張った「頑張ろう」じゃなく、
私は、私の人生を頑張るしかない、ってこと。
引用:
とか、
自分の大切なものを、しっかり大切にしたい。
(同上)
または、
じゃあ幸せって何?
あるがままで感じられること。
好きな世界で、好きな経験を
成功とか幸せとかそんなの無関係に
ただ感じられること。
感じ取れる自分であること。
そのままで在っていいと、自分を許せること。
その自分、在るがままで、この世界を感じること。」
(引用⇒ 【本日ラストチャンス!】どんなに悩んでも考えても、「幸せ」には一切関係がないならば。)
などの言葉。
何でもOKなんだけど、
でも、その中でも
「本当の自分」に沿っていること。根差していること。
それが、「幸せ」の本質だ、という示唆があります。
だから、世間的に「幸せ」だとされれていることに大切な命を使うのではなくて、
自分の奥深くに潜り、
そこにある北極星のような光を見出し、
その、体の奥底から湧いてくる感覚・方向性に沿うことに、エネルギーを費やす。
そうすると、
私たちの頭(エゴ)は抵抗するかもしれないけれども、
体の奥底では知っている、深い意味での幸せに足を踏み入れることになる。
そのような時間が、人生の充実度や充足感がを高めるのでは、と思っています。
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