急に亡くなった祖父のことを思い出した。

 

母方の祖父だ。

 

もう20年近く前のことになる。祖父が亡くなり、小樽市の葬儀場でささやかな葬儀を挙げた。

 

ありがたいことに、葬儀には祖父が従軍していたころに同じ部隊にいた戦友だというご老人が三人も来てくれた。

 

葬式では「故人との最後のお別れ」の儀式というのをやる。お棺にくぎを打つ前に参列者全員でお棺の前に集まり、亡き人と最後の対面をするのだ。

 

僕はあれが悲しくて悲しくていつもボロボロに泣いてしまう。だから祖父の最後の顔を遠巻きに見ていた。

 

参列者の中には祖父の手を握って別れを惜しむ人もいた。でも、僕は怖くてできなかった。生前ですらそんなに触っていたわけでもないし。ひんやりと冷たいのだろうか、なにか匂いがしたりするだろうか、などとぼんやりそれを見送っていた。

 

ところが、三人の戦友は顔をうんと近づけ祖父の顔を愛おしそうに撫でて、まるでお疲れさんがんばったな、とでもいうように労ってくれているように見えた。三人が皆同じように祖父との別れを惜しんでくれた。

 

「これが互いに命を預けて共に戦った仲間というものか」とその時衝撃を受けた。言葉には出来ない濃厚な人間関係がそこにはあった。あらゆるこざかしい理屈を蹴っ飛ばしてしまうような迫力を持っていた。

 

敵の砲弾に身を裂かれ、焼かれながらも互いを拠り所として生還するというのはどんな気分だろうか。

 

「こいつの働きのおかげであの時俺は死なずに済んだ」なんてことを日常的に繰り返してきた仲間というのはどんな存在なのだろう。

 

こざかしい生き方をしてきた僕には知る機会もない。

 

ああ、そうか。僕は憧れていたんだ。祖父が遺したあの戦友たちに。

 

僕もあんな仲間が欲しいとあの時意識したから今も忘れていないんだ。

 

今からでも遅くはない。そう信じたい。