ななの死因 | ななとめるとのほのぼのLife

ななとめるとのほのぼのLife

2005年、最初のパピヨンを亡くし落ち込んでいた時、よしもう一度犬を!と思い巡り会ったノーリッチテリアのなな。
元気で陽気なななに、4才半離れたノーフォークテリアのめるが加わりました。
そんな2頭との何気ない日常やお出かけなど、綴っています。

ななの闘病記録、長くなりました。

読んでいただきありがとうございます。

 

24日、その後、かかりつけ医にて死亡を確認。

考えられる死因を伺いました。

食後だったので、「私が食事を詰まらせたのでは、と懸念しましたが、

 

「喉は、何もなくきれいな状態。詰まったとは考えられない。

昨日も診察している(膀胱炎で診察)ことから、あきらかに急変。」

「このような突然の呼吸停止は、延髄に何らかが到達したことしか考えられない。

おそらく取り切れなかった腫瘍が、じわじわ浸潤していて、それが延髄に到達したことによる呼吸停止と思われる。」

「この呼吸停止は、蘇生できるものではなく、脊髄の病気には、あり得ることで、避けようがなく仕方がないこと。」

「神経鞘腫(かかりつけ医はずっとその診断)で、今日までよく闘ってきたと思う。介護生活、飼い主さんも、ななちゃんもがんばってきたと思う。」と言われました。

 

そうなのかもしれない、T院の先生にしても、脊髄の下側の取り切れなかった部分があったということは、6月の手術で開けても見えない場所だったのかもしれない。

 

ずっと首が痛くてできなかった仰向け抱っこをしながら、でも、まだ、ななが息を吹き返すのでは、とどこかで願いながら、かかりつけ医から聞いた死因を反復し、涙しながら家に帰ったと記憶してます。

 

主人と娘も、半日仕事で帰り、東京にいる息子夫婦もお別れしたいと言ってくれたので、翌25日の夕方まで、ななと一緒に過ごしました。

わん友にも囲まれ、写真とお花でいっぱいにして見送りました。

 

痛みが出てから、抱っこしてあげたくても思うようにできず、亡くなってからようやく、これまでできなかった分も強く強く抱きしめました。

もうどんな体勢にしても痛がらないななが、やはりもう生きていないんだと思い知らされました。

 

補助なしでは何もできなくなったので、7月頃から24時間ずっとなな中心で、でも、それは全然嫌じゃなくて、ななが動けないなら、私が手足になるから、生きててくれるだけで、そこに寝ていてくれるだけでいいからって、毎日を過ごしていた。

 

そんな中、1週間経った頃、T院より電話がありました。

T院にも連絡しなければと思っていたところでしたし、きっとニコちゃんの所から訃報を聞いての電話だと思いました。

 

ところが、何とそうではなくて、あの約束の骨のように埋め込むものを探していてくれた件でした。

そう、先回の診察から1か月過ぎていました。

「ななの死」を電話の向こうで、大変驚いていたのがわかりました。

先生も、全く予測がつかなかったということでしょう。

突然の死に至る様子を話しているうちに、「変性したのか…」という言葉が出てきましたが、私も涙が出てきて冷静に会話ができず、その時は挨拶をして電話を切りました。

 

翌日の夜、「死因について一晩考えた」とT院の先生が電話をくれました。

 

T院(東京の病院)の先生は、

「突然の呼吸停止は、延髄に何かが到達したことしか考えられない」

(この見解はかかりつけ医と同じです。)

やはり見えない脊髄内部で、何かがおこってしまった、としか考えられないようです。

「脊髄の中で何らかの変性がおこり、進行性脊髄軟化症を併発し、呼吸停止に至った、と思われる。」と推測される死因を教えてくれました。

 

初めて聞いた病名ですが、椎間板ヘルニアの最重症グレードの6~8%にも起こりうることで知られている病気で、重度の脊髄損傷を起こした場合にも合併症としておこるそうです。

でも、この進行性脊髄軟化症は、現在の獣医学では、いまだよく分からない病気の一つだそうで、ただ確実なことは、発症すると100%に近い確率で死に至る不治の病ということ。

障害部位から、頭側に炎症・浮腫が波及し、どんどん脊髄を軟化(壊死)させていく病気。

椎間板ヘルニアで発症した場合は、はじめ後足の麻痺で気付き、前足、首、最終的に延髄という生命維持に不可欠な神経が壊死し、呼吸停止に至るということ。発症(後足の麻痺)から、わずか4~7日で死に至るということ。

 

だから、この病気なら、亡くなる1週間前までは、3本の足は麻痺していなかったことになります。

ななの場合、障害部位が頸椎なので、前後の足が同時くらいに、1週間の間に麻痺が始まったと推測されます。

 

ここで、?と思われる方もいると思います。

そう、ななは、6月下旬から全く立てなくなっているのです。

これが本当に判断の難しいところ。

ななは、やはり麻痺ではなく、痛みで力をいれるのをやめてしまっただけだったのかも。

T院以外の病院からは、2016年3月から麻痺と診断され続けてきた。

が、事実、脱臼手術の後は走るまで回復していた。

私も、腫瘍の影響が出たのは、2016年11月と思ってます。

左前足は、手術が少し遅かったようで麻痺してしまったけれど、他の3本足が、麻痺していたのかどうかは、ずっとわからなかった…。

T院の先生だけは、最終診察(7月22日)でも、「麻痺はしていない、痛みさえ取れればもう一度立てる」と診断されていました。

 

T院の先生の言うとおり、進行性脊髄軟化症になる前は麻痺ではなかったとしたら…、この病気で麻痺がはじまったとしたら…。

亡くなる4~7日前のななの様子を何とか思い出してみる。

 

何度も何度も考えて、ようやく少し思い当たるところが出てきた。

①20日、食欲は変わらないが食べにくそうになってきたので、少しずつ手から食べさせるようになった。

頭の方に壊死が、忍び寄ってきた?

②20日、昼間、オシッコ・ウンチ・オシッコと立て続けにし、21日また1回に戻り、22日~23日オシッコが出なくなったりと、排泄機能が麻痺?しはじめた?

③23日、車イスに乗せた時、あごを乗せる位置がいつもの位置とずれて、うまく乗せられず、すぐやめにした。

体全体、麻痺で丸まっていたのかも?

 

その時々は気付けなかったけれど、もしかしたらこれが脊髄軟化症の症状だったとしたら、本当に悔やまれます。

T院だけを心から信じて、残りの3本足は麻痺ではないと、チェックをし続けていたら、気付けたのかもしれないと思うと、悔やまれます。

 

大多数の病院の診断と違うT院だけど、実際に知り合いのニコちゃんが助かっているので、ただ一人の診断でも、大丈夫と信じてきました。が、あまりに他の病院が終始、神経鞘腫と診断し、足はすべて麻痺していると言われ続け、そのT院は遠方で、気になったくらいではなかなか通院できないので、どうしても心が揺らぐ時があり、100%信じ切れていなかった。

そのことが、進行性脊髄軟化症の症状に気付けなかった原因の一つだと思います。

 

ただ解剖していないので、どちらが正しいのか真実はわかりません。

 

が、大多数の病院が、「リスクが高すぎて成すすべがない」と絶望的な診断をする脊髄の腫瘍の摘出手術に踏み込み、いつも積極的に治すことを前提に治療をしてくれたT院の先生を信じます。

ななは、「進行性脊髄軟化症を合併し、脊髄が壊死し、ついには延髄に到達し、呼吸が停止した」と。

そして、この進行性脊髄軟化症は、現在の獣医学では、いまだよく分からない病気の一つなので、今回のことも予測不可能だった」と。

 

そう思って、前に進んで行こうと思っています。

 

ただこの死因が事実とすると、最期の4~7日を思い返すと複雑です。

この時気付いて、専門の病院へ連れて行ったら、近年では命は助かる(麻痺は残り一生寝たままです)場合もあるそうなので、本当に悔やまれます。悔しいです。

合併症として、こんな病気になるかもということを知っていたら、とも思いましたが、T院の先生も予測しなかったようなので、仕方がなかったと諦めるしかないのですよね。

 

結局、現代の獣医学では、神経鞘腫も脊髄の髄膜腫も進行性脊髄軟化症も、よく分からないのが実情で、非常に厳しい病気ということで、

手術はリスクが高いので回避するしかなく、手術をしたとしても、どんな合併症を引き起こすか、どんな痛みがでてくるかも予測不能で、そうしたことを含め、「余命3ヶ月」と診断されるのか実情なのだと、今は思います。

 

あまりにも突然亡くなって、なかなか納得ができず、こうして振り返ることにより、あの死は避けられなかったんだ…と納得ではないですが、仕方がなかったんだと、自分に言い聞かせています。

 

ただ本当に、ななは、ものすごくがんばってくれた。

もう、本当に限界だったのかもしれない。

もっとずっと傍にいてほしいと願っても、それは、ななにとって苦しく辛い日々になってたかもしれない…、そう思うと、あの日あの時が、ななにとっても私達にとっても、BESTな別れの時だった、とそう思うようにします。

 

脱臼の手術で、元通り走れるようにまで回復し、腫瘍に関しては、T院以外で診察する度に余命宣告され、その度絶望し、でもがんばって摘出手術をしたからこそ、その後8か月生きられました。

いつもわずかな可能性に賭けて、ななもそれに答えてくれて、それを実現してくださったT院の先生に感謝しています。

 

病気になってしまったら、その時その時飼い主が信じる道を、精一杯進んでいくしかないですよね。

先のことは誰にもわからないのだから…。

 

ななのこと、心の片隅にでも、覚えていてくれたら嬉しいです。

読んでくださり、ありがとうございました。

 

最後に、散歩で会うご近所の方で、まだ話せていない方々へ。

毎日のようにカートで散歩していた姿が見えなくなり、「ななちゃんは?」と気にかけ心配して声をかけてくださり、ありがとうございます。

私自身にとっても突然だったので、皆さんも、まさか亡くなったと思わず、声をかけてくださっていると思います。

ただ、まだ不安定な気持ちの日もあり、その声かけに答えるだけの心の強さと余裕がない時があります。

顔を合わす機会がありながら、このような形でお知らせすることになり、申し訳ありません。

ななと、仲よくしていただき、本当にありがとうございました。

めるだけになりましたが、今後もよろしくお願いします。

 

にほんブログ村 犬ブログへ
にほんブログ村