連載103【矢作に残る戦争の痕跡 巡洋艦「矢矧」】 その3 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

 

巡洋艦「矢矧(やはぎ)」

 

の模型に出会い、

 

この艦の記事を書くようになってから

 

軍艦は、いくつかの種類別に分けられることを知った

 

それまでは、あまり興味のなかった

 

私にとっても、

 

海軍が保有する艦は全て

 

「戦艦」

 

だと思っていたが、

 

「戦艦」も「軍艦」の中の

 

ひとつの種類にすぎなかった、ということがわかった

 

「矢矧」は「軍艦」の中の「巡洋艦」という

 

種類の艦である

 

その違いは、主にその艦が装備する砲(大砲)の径の違い

 

要するに、径が大きければ、大きい弾が使えるし

 

径が小さければ、小さい弾を使う

 

そして、

 

一番わかりやすいのが

 

その艦の大きさの違いである

 

大きい大砲がいくつも積める艦は、

 

全長もそれなりに大きく、

 

戦艦 と呼ばれ

 

小さめの大砲を積んだ、小さめの艦は

 

巡洋艦 と呼ばれた

 

さらに、径の大きさによって

 

重巡洋艦、軽巡洋艦

 

と別れるのだが、

 

いざとなったら大砲を乗せ替えることもできたので

 

軽巡洋艦から、重巡洋艦になることもあったそうだ

 

 

有名な「大和」は戦艦である

 

戦艦は大きいため、戦闘の中心となる艦であり、

 

巡洋艦は小さくて小回りが効くため

 

戦艦を護衛する役目となる

 

日本が設計して作り上げた軍艦は

 

恐ろしく性能が良く、

 

世界が恐るほどだったそうである

 

それでも当時は、

 

国民には知らされないままに造られ、進水され、

 

戦いに出向していったのである

 

自分の大切な家族が、

 

父親が、

 

夫が、

 

息子が、

 

弟が、

 

艦に乗ったら、

 

どこで何をしているのか

 

わからない

 

ただ、ひたすらに

 

無事を祈るしかできない

 

女性にとって

 

そんなに辛いことが

 

あるだろうか

 

 

私たちが住む

 

地元、岡崎市には

 

海の特攻、空の特攻

 

両方の痕跡があるのだから

 

是非とも、その痕跡を訪れ

 

話を聞き

 

語り継いだ方が

 

良いのではないかと思っている

 

 

 

 

 

 

 

 

巡洋艦「矢矧(やはぎ)」