イージー・ゴーイング 山川健一 -6ページ目

64歳になりました。

誕生日のメッセージ、ありがとうございます。元気です。芸工大の研究室にて。
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つかこうへい原作の『郵便屋さんちょっと』

つかこうへい原作の『郵便屋さんちょっと』を、 紀伊國屋ホールで観て帰宅したところだ。大笑いして、エンディングでは泣いた。楽屋か舞台のソデに行ったらつかさんがいるんじゃないかと思った。あるいは下北沢の飲み屋に行ったら、つかさんが打ち上げしているんじゃないかと思えてきた。それで、昔から新宿にあるジャズバーのDUGでジャックダニエズルを飲んでいたら、また涙をこぼれそうになった。DUGというのは、若かった頃よく佐藤浩市さんと行った店で、それが今でもあるんだよね。

 



『郵便屋さんちょっと』はつかこうへいのデビュー作だが、それを高校時代につかこうへいに憧れて劇作家を志した横内謙介が、つかこうへいのスタイル、レトリックを徹底的に踏襲しつつ、徴兵制が復活するかもしれない現代にフィットする芝居にして蘇らせた。

もちろんストーリーはつか版『郵便屋さんちょっと』とは異なるわけだが、そこに、ここに、至る所につかこうへいがいた。

つかさんから電話があり、『熱海殺人事件』を観に紀伊國屋ホールへ行ったらチケットがなく、つかさんに舞台のソデに連れて行かれて観たことがあった。風間杜夫さんが舞台に飛び出して行く時、つかさんは風間さんの腰のあたりを叩き「行ってこい!」と送り出した。

その直後、ぼくにこう言ったのであった。
「役者ってのは人間じゃねえよな。ほら、見てみろ、山川。風間が気が狂ったように演じ始めるからよ!」
「つかさん、それ、あんたが言うことじゃないよね!」とぼくは言い返したのだった。

今回の『郵便屋さんちょっと』も、『つか版・忠臣蔵』(2012年)と同じように見城徹プレゼンツである。そういや見城さんとつかさんが大喧嘩になり、両方に「…さんが謝りたいって言ってるよ。さすがに今回は俺が悪かったってさ」と言って仲を取り持ち、下北沢の天婦羅屋での会食をアレンジしたこともあった。ま、すぐにまた喧嘩になったのだったが。

つかさん、今紀伊國屋ホールにつかさんがいなってことが、ぼくには信じられないよ。あんなに早く逝ってしまうなんて。でもさ、あなたの喧嘩相手の見城徹のおかげで、つかこうへいの世界が見事に蘇ったよ。みんながあなたのことを心から愛していたって証拠だよ。横内謙介 、最高! 山中崇史、岡森諦、砂田桃子、最高!

土日の明日と明後日もやってます。
感動することまちがいないので、皆さん、是非とも足を運んでください。
PS チケットあるかどうか知らないので、チェックして下さい。

4/23(日)夜9時~『徹の部屋#13』に出演します

AbemaTV Special2チャンネルにて4/23(日)夜9時~『徹の部屋#13』への出演が決定致しました。

以下のURLから視聴予約をし、是非ご覧ください。

http://bit.ly/2nWSuXI

 

<番組概要>

出版業界の革命児・見城徹がホストを務める、2時間生放送のトーク番組! 毎回、見城徹が「今、一番会いたい」ゲストを招き、内臓と内臓をこすり合わせる様な熱狂トークを披露する。 若手タレントから超大物ゲストまで、見城徹の幅広い人脈だからこそ呼べる、珠玉のゲストたちが登場します。 テレビでは中々話すことが出来ないゲストたちの本音にも迫りながら、 AbemaTVだから出来る、そして生放送だから出来るギリギリなトーク内容も展開! 加減の利かない魂100%のコメントで、ズバッスバッと切り込んでいきます。 さらには視聴者たちからも、リアルタイムで質問を大募集! 視聴者との間で、ド直球で偽りのないやり取りを展開します。 そんなトークを彩るのは、見城徹ならではの上質で大人な空間。 業界怖いもの無しの見城徹が、とにかく話しまくるスリリングな対談ショー!

 

<出演者>

 見城徹

大石絵理

 小林希

 山川健一

 

■以下のURLから視聴が可能です。
AbemaTV」      https://abema.tv/
Google Play        https://play.google.com/store/apps/details?id=tv.abema 
App Store          https://itunes.apple.com/us/app/abematv/id1074866833?l=ja&ls=1&mt=8
 
■一般的な視聴方法
・スマートフォンの場合
  上記のURLからAbemaTVをダウンロード
  右側に表示される番組表と検索タブをタップ
  日時、チャンネルから番組を探しタップ、または右上の虫眼鏡マークから検索
  「視聴予約をする」をタップ(今回のみ・毎回どちらかを選択)→当日通知が届く
  当日は、アプリを起動し、「Special2」チャンネルに合わせる
 
PCの場合
  AbemaTVを開く
  上部に表示されている番組表タブをクリック
  日時、チャンネルから番組を探す、または左上の虫眼鏡マークから検索
  「視聴予約をする」をタップ(今回のみ・毎回どちらかを選択)→当日通知が届く
  当日は、「Special2」チャンネルに合わせる


2時間の生番組です。
よろしくお願いします!

見城徹氏とぼく

ぼくが二十四歳の時、五木寛之氏が「若手編集者と若手作家の会」というのを主催され、ぼくも招いていただき、当時勤めていたクレジットカードの会社から駆けつけた。デビューしたばかりのぼくにとっては、初めて会う人たちばかりであった。
五木さんを囲む会食が終わり、六、七人の「若手」だけで新宿三丁目のアイララというバーへ繰り出した。大音量でサルサがかっていて、手持ち無沙汰だったのでフロアーへ行って踊っていたら、ぼく以外ににも一人踊っている人がいて、こちらに近づいて来た。
「俺、角川書店の見城徹。君は?」
ステップを踏みながら彼はそう名乗った。
「『群像』でデビューしたばっかりの山川健一」
「おっ、それ読んだぞ」
見城さんは踊りながらぼくの全身を眺め、耳元に口を寄せると大声で言った。
「なんでそんなダサいスーツ着てるわけ?」
「会社の帰りなんで。あ、クレジットカードの会社に行ってるんで」
それからしばらく向かい合って踊っていた。ぼくら以外に踊りに来る「若手」はいないようだった。
しばらくすると、見城さんがいきなり言った。
「『野性時代』に小説書かないか?」
「書く」とぼくは即座に答えた。
ぼくらは店の隅にあるテーブル席へ移動し、バーボンを頼み、すると見城さんは余計なことは一切言わずにこう言ったのだった。
「一〇〇枚の小説を三ヶ月に一本、それを三回。最初のシメキリは……」
シメキリと一〇〇枚という枚数だけをぼくは酔っぱらった頭で記憶した。それが見城徹氏との出会いであった。見城さんはぼくより三つ年上なので、この時二十七歳である。
シメキリの前夜に原稿を書き終え、郵送では間に合わないので角川書店に持っていった。受付でその旨を告げると、やがて見城さんがやって来て、怪訝な顔でぼくを見る。酔って依頼した原稿のことなど忘れていたのかもしれない。
応接室で原稿を渡すと、誉めちぎられた。
「わざわざ原稿を持ってきたのか? 普通は編集者のほうが取りに行くんだよ。君は偉い。君はやがて日本を代表する作家になるだろうが、今日こうして原稿を持ってきたその謙虚さを、絶対に忘れてはいけないよ。いや、君は偉い!」
見城さんとはもう三十八年のつき合いになるわけだが、あんなに誉めてもらったのはこの時だけである。見城さんは『野性時代』の連作が終了すると、「壜の中のメッセージ」をすぐに単行本にしてくれた。これが、ぼくの最初の単行本である。「鏡の中のガラスの船」よりも少しだけ先に出た。
見城さんに連れられて、本の見本を持ってあちこちの雑誌編集部に書評をお願いしに行った。もっとも、売り込むのはもっぱら見城さんで、ぼくは頭を下げるだけだったのだが。
単行本をためていき、一気に何冊かの文庫を出版するというのも見城さんの戦略だった。
青春四部作の原稿のすべてを、ぼくは見城さんに手渡した。「壜の中のメッセージ」と「パーク・アベニューの孤独」は単行本と文庫本の両方が出て、「星とレゲエの島」はいきなり文庫で巻頭にカラー写真をふんだんに使い、しかし刷れば刷るだけ赤字になるので初版五万部で増刷はしない。「ママ・アフリカ」は反対に単行本だけである。それらすべてが、見城徹プロデュースだった。その時々に「うん、わかった」とぼくは答えるだけであった。
やがて見城さんが幻冬舎を設立した後も、事情は変わらなかった。
東北芸術工科大学に文芸学科を設立するという話も、実は幻冬舎の社長室で見城さんから聞いた。話の全貌がうまくつかめずにいたのだが、どうやらぼくに学科長をやれと言っているらしいと判明。この時ばかりは「うん、わかった」ではなく、「マジかよ? そんなの無理!」と答えたのだったが。
そして今、こうしてデジタル全集を出してくれるのも見城さんである。こうなってくるともはや、ぼくの人生そのものが見城徹プロデュースみたいなものである。

 

「山川健一自身による
デジタル全集解説」より引用

山川健一デジタル全集 Jacks、Amazonや楽天で発売開始!

4月1日より「Amazon kindleストア」「楽天kobo」「honto」「BookLive!」などの主要電子書店で、書籍83冊と未書籍化の最新作『老いた兎は眠るように逝く』、および私自身による書き下ろしガイドブック『山川健一自身によるデジタル全集解説』(無料)を合わせた著作85冊の電子書籍の発売を開始いたしました。

 

 

今回発売の85冊を、電子書籍1冊に合本した『山川健一デジタル全集Jacks』も発売開始しました。

 

『山川健一自身によるデジタル全集解説』(無料)は紙の単行本1冊にできるぐらいの分量がある書き下ろしで、いわば自伝です。コアなヤマケン・ヘッズでさえ知らないネタが満載……なわけないか。でも、時代の刻印を楽しんでもらえるはずです。

 

 

というわけで、まずは無料でお楽しみいただける
『山川健一自身によるデジタル全集解説』
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XL11C8J/

 

それから次に、85冊すべての作品が収録された
『山川健一デジタル全集 Jacks Kindle版』
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XNQRC7P/

をよろしくお願い申し上げます。

 

"Jacks"というネーミングは、もちろんローリング・ストーンズの"Jumpin' Jack Flash"からもらいました。

 

それぞれの作品もご購入いただけます。
詳細は以下からご確認ください。

 

・Amazon kindleストア
http://amzn.to/2nVl4LI

 

・楽天kobo
http://books.rakuten.co.jp/search/dt/g101/kathr%BB%B3%C0%EE%B7%F2%B0%EC/

 

・honto
https://honto.jp/ebook/search.html?athid=1002202217

 

・BookLive!
https://booklive.jp/search/keyword/a_id/211990

 

今日は4月1日ですが、これはエイプリルフールではありません(笑。

マジで、よろしくお願いします!

 

 

 

 

物語・ストーリーを考えたい高校生のための春休みストーリー創作講座

 

 

東北芸術工科大学の文芸学科では、物語・ストーリーを考えたい高校生のための「春休みストーリー創作講座」を開催します。講師はぼくと石川忠司と玉井建也、文芸学科の教員3人が担当します。興味がある人、来てね!

 

開催日時 2017年3月25日(土)10:00~15:10
参加費  無料(学食ランチ・チケットをプレゼント)
応募条件 本や漫画を読んだり映画やアニメを観たりするのが好き、物語を空想することが好きな高校生
会場 東北芸術工科大学(〒990-9530 山形市上桜田3-4-5)
持ち物 筆記用具、メモをとるノート

 

詳細は大学のサイト

 

 

お坊さんに聞く108の智慧


藝術学舎から、『お坊さんに聞く108の智慧』(田中ひろみ)という本を出版します。発売日は3月15日で、Amazonなどのネット書店では17日頃から発送開始。今は予約を受付けています。その見本が1冊、ぼくの手元にあります。藝術学舎というのは東北芸術工科大学と京都造形芸術大学の出版局で、ぼくはそこの編集長なので。

 

著者の田中ひろみさんは仏像イラストレーターの方で、仏像に関する著書がたくさんありますが、「いろんなことを相談される機会が増え」、ところが「答えに困る場合」がある、と。そこで、5人のお坊さんにさまざまなことを相談するこの本が生まれたというわけです。

うーん、実によくわかります。ぼくも作家で大学の教員で、いろいろな人にいろいろなことを相談されるケースが多いのです。本書で読者の方がお坊さんに相談しているのと同じ内容の質問を受けたことも二度や三度ではない。そしてほとんどの場合は田中ひろみさんが書いているように「答えに困る」わけです。

たとえばこんな相談事です。

 

・ずっとフリーターでいたい。
・好きなことを仕事にしたい。
・会社をやめたい。
・同性との交際を親に隠している。
・前の彼女を忘れられない。
・生きている意味がわからない。
・DVを受けて育った。
・悲しいニュースばかり。

 

こうした相談事が108並んでいるのが本書で、お坊さん達の答えはどれも素晴らしいです。5人のお坊さんのアドバイスは驚くほど的確で、しかもよく読むと深いです。仏教知がその根底にあるからでしょう。

 

もともと仏教というのは、「難解なことを簡単に伝える」ことを重要視していて、「火事の起きている家にいる時は一刻も早く逃げることが大切なのであり、なぜ火事が起きたのかとか炎の本質とは何かなんてことは後で考えればいい」というお釈迦様の哲学に基づいています。

 

この『お坊さんに聞く108の智慧』は、まさに火事が起きている家から一刻も早く逃げ出すための1冊なのです。

ぼくはゲラや見本で何度かこの本を読みましたが、これからは「悩み解決」のための辞書のように使わせてもらおうと思っています。皆さんも。是非どうぞ。

 

田中ひろみさん、ありがとうございました!

 

PS 発売は幻冬舎です。

 

東北芸術工科大学文芸学科、卒業生の皆さんへ

 

人は十九歳の時にそのピークに達する──卒業おめでとう! 

山川健一(文芸学科教授)


 人は十九歳の時にそのピークに達するのだ、とぼくは思う。ここで言う十九歳というのは、もちろん一つの象徴である。仕事の成果そのものはともかくとして、内面的には、人は十九歳にして既にピークに到達してしまうのだ。

 その後の彼のプログラムは、無意識裡にではあるかもしれないが、十九歳の時に組み立てが完了してしまう。今なら、はっきりそう言える。年齢を重ねていくにつれて、「あの時の俺の決意は本物だったんだ」ということを他の誰でもない自分自身に証明するために、ぼくらは目も眩むような時間を費やすことなる。

 

 

 十九歳の時、高校時代にメチャクチャやっていたぼくは大学入試に失敗し、おまけに父親と喧嘩し、殴りとばされ、「おまえなんかもう息子でもなんでもない」と家を追い出されてしまった。

 三畳一間のアパートを西武新宿線の田無に借りて、アルバイト生活が始まった。そのアパートには浪人暮らしの若い男たちだけが住んでおり、古雑誌置き場にはポルノが山積みにされ、南沙織のポスターがそこいら中に貼られ、共同の流しは詰まり、狭い庭にはBVDのパンツがずらりと並んで干されていた。ひどいものだ。

 夕方になると、ぼくは後楽園球場へ出かけた。前の日誰が着たかわからない水色の上下の、ちょっとダブダブのユニフォームを着こみ、帽子をかぶり、弁当かコーラを売って歩くのである。

 あの頃、ぼくは内面的には自分自身のピークを迎えていたのだと思う。あの頃の風景の見え方、ブルースの聞こえ方、生々しい女たちの肉体、一万円札の価値といったものを、ぼくは今でもはっきり思い出すことができる。そうした、後で考えればじつに現実的な、しかし当時のぼくにとっては非現実的で抽象的な日常生活の中で、風景はとてもクリアに見えた。なにしろ、回りはみな敵ばかりなのである。世の中で、敵の姿ほどはっきり見えるものはない。アイツもアイツもアイツも敵。というわけでよく喧嘩した。殴り、殴られて帰ってきた。

 それは、まさしく生のピークであった。しかし、それを展開するための方法論がまったくなかった。

 ぼくは安易だった。自分の位置さえをも明確には認識し得ないくせに、いろいろなものに「NO!」という否定の一語を発していた。たとえば、学校というもののシステムに。さらに社会というもののシステムに。あるいは周囲の友人や知人たちに。何が「正義」なのか、何だったら信じるに価するのかということが判然としない時には、とりあえず自分以外の全てを否定してみるしかないではないか。

 当時のぼくは、さまざまなロックのレコードを聴きながら、あるいはコンサートに行きながら、自分はとりあえずここにいるだけなのだと思っていた。自分はとりあえずここに間借りしているが、いつか出て行くのだ、と。ロック・ミュージックというのは、もともとそういう音楽だ。ロックは本来、いつかここを出て行く人間のための音楽なのではないだろうか。

 ジャズなんて下らないさ、クラシックになんか感動はないよ、学校や家なんか放り出して、社会のステップをのぼって行くことなんかやめて、踊りに行こうぜ、というのがロックンロール・ミュージックの基本的な主張である。ロックは、周囲のあらゆるものに「NO!」を言いつづけた音楽なのである。

 そして、ここが何よりも重要なところなのだが、こうしたロックという音楽は、錯誤すらもが輝いていると感じている人間を、あたかも宗教がそれを信じている人間をそうするように、許したのである。そういう意味では、ロック・ミュージックとはたしかにドラッグなのであり、宗教なのだ。

 時に、ロックのビートを肉体に叩き込むように詩や小説を読んだ。アルチュール・ランボー、フェルディナン・セリーヌ、ボリス・ヴィアン、ヘンリー・ミラー、ジャン・ルネ・ユグナン、アンリ・ミショー、そしてドストエフスキーといった人たちである。日本の作家でも、横光利一、木山捷平、太宰治といった人たちの感性はブリティッシュ・ロックのそれにとても近いような気がした。

 

 

 だが、文学作品は、音楽などよりはるかに正確ではっきりした自分自身の像をその中に見い出すことはできても、決して自分が許されていると感じさせてくれはしなかった。ロックが宗教のように許す、安易で中途半端で錯誤にみちたこの〈私〉という存在について「もっと深く考えよ」と言葉たちは囁くだけだ。だからぼくは、小説というものを書くようになってからも、いや小説というものを書くようになってからはなお一層と言うべきか、ロックのビートにのめりこんでいった。

 ただ逃げていたのだ、最終的な判断を留保していたのだ、とは思いたくない。ぼくは、その時もまだ「NO!」と言いたかったのだ。文学シーンが自分の場所だとは思いたくなかった。デビッド・ボウイの「ロジャー(間借り人)」という歌などを新しいアルバムの中で聴いた時などに、思ったものだ。われわれはみな時間と空間の間借り人なのだ、われわれはいつか大家にサヨナラを言って出ていかなければならないのだ、と。そんな具合にあらゆるものに「NO!」という言葉をつきつけるロック・ミュージックは、〈私〉という不確かな存在にだけは「YES!」と言ってくれるような気がしたのである。

 

 

 ぼくはひたすら文学書を乱読し、ブルースやロックのレコードを聴き、そうした時に頭をかすめる印象のフラグメントをノートに書きつけていた。それはあたかも、自分自身がヒーローの長い映画を観ているようなものだった。この瞬間を逃したら後でたいへん悔しい思いをするにちがいない、と思うと、いつもノートに向かった。やがて、そんな時代の卒業制作として書いた小説で、作家デビューすることになる。大学四年生の時のことだ。

 十代後半から二十三歳でデビューするまでの数年間、自分自身の内なるヴォルテージはピークだったはずである。ただその頃に戻りたいかといえば、答えは「NO!」である。あんなことはもうたくさんだ。では、十九歳のマインドを時の向こうへおいてきてしまったかといえば、それもやはり答えは「NO!」だ。本当は、何をやるにしても、十九歳の時のマインドをいかに持続するかということが最大の課題なのだ。そのためにこそしたたかになる。セコくもなる。今はそう思っている。

 ミック・ジャガーもボブ・ディランも中原中也も小林秀雄も太宰治も谷崎潤一郎も、セリーヌもヴィアンもミラーもユグナンも、そしてあのドストエフスキーも、みんな十九歳だったことがある。彼も彼女も、そしてこのぼくも、かつては十九歳だった。それは、なんて素晴らしいことなのだろうか。

 

 

 いかがわしく、それでいながらイノセントで、臆病なくせにいつも戦闘的なわんぱく小僧。彼は、もちろん、もう子供ではない。充分にワルでしたたかでセコい眼をしながら、同時にピュアなマインドもどこかに持っている輝かしい存在。それが、彼なのだ。わんぱく小僧はその時、既に人生のピークに達しているのである。彼は、今こそ、トップに立っている。

 十九歳は、ゆっくりと、ぼくらの目の前を通り過ぎていった。少しずつ、ピリオドが近づいてくる。だが、いい。やがてどこかで迎えるその瞬間に、ぼくらはあの眩しい光のただ中へ戻ってゆくだろう。

 皆さんが書き終えた卒業制作は、十九歳のマインドの確かな刻印なのである。人は、自分自身の幻の十九歳へ向けて、少しずつ時間を使い果たしていくのだ。皆さんは今書き終えたばかりのその卒業制作に向かって、ゆっくりと成長していくにちがいない。

 その作品が存在するのとしないのとでは、人生の意味が大きく異なってくる。だからこそぼくは敬意の気持ちを込めて「おめでとう!」と言いたいのである。

 

楠章子さんの新刊、「ばあばは、だいじょうぶ」が朝日新聞朝刊で紹介されました

いま、楠章子さんに東北芸術工科大学文芸学科で集中講義をお願いしてます。その楠章子さんの新刊、「ばあばは、だいじょうぶ」という絵本が、昨日の朝日新聞朝刊で紹介されたんだよね。
 
 

学校から帰ったら、つばさは楽しかった事も、悲しかった事も、困った事も、何でもばあばに聞いてもらう。ばあばは、いつでも、「つばさは、だいじょうぶだよ」っていってくれる。そのばあばが、「わすれてしまう」病気になって……。

作者の楠章子さんが実際に15年以上の介護生活を送ることのなから紡がれた物語です。みなさん、是非ともお読みください。

 

新聞で紹介されたせいか、Amazonなどのネット書店では売り切れになってますが、すぐに入荷すると思うのでリンクを貼っておきます。

 

 
 
ついでにと言ってはなんだけど、楠さんは大人向けの普通の小説も書いていて、「電気ちゃん」というの作品は、ぼくがいちばん好きな小説です。
 
 
電気ちゃん 電気ちゃん
 
Amazon
 
こちらも、是非ともお読みください!
 

 

レオン・ラッセルを聴きながら終わっていく2016年

今年もとうとう大晦日だね。
ぎりぎりまで仕事してますが、なんとか無事に年を越せそうです。
レオン・ラッセルに"Tight Rope"という曲がありますが、そんな感じ。"Tight Rope"は1972年にリリースされたレオン・ラッセル最大のヒット作『Carney』に収録されていたミディアムテンポの曲です。

 

 

俺はぴんと張られたワイヤーの上を歩いている
一方は氷に、もう一方は炎に繋がれているのさ
お前と俺とで演じるサーカス・ゲーム

 

俺はぴんと張られたワイヤーの上を歩いている
一方は憎しみに、もう一方は希望に繋がれているのさ
だけどお前の目に入るのは俺がかぶってるシルクハットだけ

 

俺の居場所はワイヤーの上にしかない
笑い種になるような失敗を重ねながら、俺は落ちていく
             レオン・ラッセル/"Tight Rope"


そのレオンも今年の11月13日、ナッシュビルの自宅にて死去しているのが発見された。74歳だった。淋しいね。

 

かつて丸三日間、東京でレオンと過ごしたことがあった。ぼくはTFMでロック番組のDJをやっていて、彼にインタビューし、ライヴを録音してオンエアしたのだった。キーボードの側面に"Harley Davidson"と書いてあった。アメリカのオートバイの名前ね。キーボードというオートバイにまたがり、世界を旅しながらライヴをこなしていたわけだね。

 

なんでそんなことをしたのか自分でもよくわからないのだが、ぼくはインタビューの途中で立ち上がってレオン・ラッセルの横へ行き、背中をバシバシ叩いた。そして耳元に口を寄せて言った。


「しっかりしてくれよ。だってあんたはレオン・ラッセルなんだぜ!」


彼は怒りもせず、無言のまま二、三度頷いた。あの時も彼は「ぴんと張られたワイヤーの上」を歩いている気分だったのかもね。その時にホテルでぼくにコーヒーをいれてくれた男がレオンのバンドのギターで、次の日にブルーノート東京で行われたライブに行ったら首からギターをぶら下げていて、「おまえギターだったの? 気がつかずにごめんね」と言うと「なんだかんだ言っても俺もレオン・ラッセルを愛してるんだよな」と言っていた。そんな感じでぼくらは仲良くなった。

 

昨日のことのように鮮やかに思い出す人生のシーンというのがあって、レオンとのこのシーンも、そんな貴重なシーンの一つです。

 

レオン・ラッセルの最大のヒット曲は"A Song For You"だろうが、そしてぼくもこのバラードを今も心から愛しているが、"Hummingbird"も好きだな。俺のハミングバードよ、飛び去らないでくれ……と歌うこのナンバーは、何と言うか、心を打つよね。

 

なんでレオン・ラッセルの話になってしまったのか自分でもよくわからないのだが、とにかくぼく自身はぴんと張られたワイヤーの上から落ちることもなく、今年も無事に過ごすことができました。

 

皆さん、感謝します。
よい年をお迎え下さい。