大涌谷を後にし
ジオミュージアムで初めて知った
元箱根石仏·石塔群を目指しました。
とんな所だろう。
ワクワク
ワクワク
ワクワク
到着しました✨
精進池の側の駐車場🅿に停めました。
あれಠಿ_ಠಿ❓看板はあるけど、何にもない。
看板へ行ってみました。
あっヽ((◎д◎))ゝ
資料館は
2023年9月30日閉館
ネットで調べよう
気を取り直して、石仏を見に行こう
元箱根石仏·石塔群とは
鎌倉時代後期に集中して造られた事が特徴的です。
そのほとんどに地蔵菩薩が刻まれていて、地蔵信仰との深い関わりが伺えます。その理由は、
険しい地形や荒涼とした風景などから
「地獄」とみなされ、恐れられていたようです。そのため、「地獄に落ちた人々を救ってくれるのは地蔵菩薩」という地蔵信仰が全国へ広がる中で、「地獄」と恐れられたこの地が、旅人をなぐさめるため、地蔵信仰の霊地となっていったと考えられます。
今は、気持ちのいい場所だけど、昔は険しい山道と硫黄と熔岩で恐れられていたんだなぁ、、、
お地蔵様と、開拓に携わった方々に、ありがとうのお参りを🙏
停めた駐車場🅿から歩いて進みます。
お父さん歩くのお疲れだったのでw
ちょっと行ってくるね〜
看板頼りに、精進湖脇の小道を歩く。
この小道がとっても気持ち良くて✨
進むにつれて、現実の世界から離れていくような雰囲気
ふぁ〜素敵な風景
景色を楽しみながらウキウキと
標識が出てきた右手にトンネル
トンネルを入って、道路の反対側へ上がっていきます。
ヒンヤリしていて、ドキドキとワクワクが入り交じる気持ち
トンネルを上がりきった先には、、、
なんか見えてきた
元箱根磨崖仏(六道地蔵)
国指定重要文化財
巨大な転いに掘られた地蔵菩薩の坐像で、座高は3.2mもあります。
像左側にある銘文には「正安2年(1300年)」の文字が見え、これが完成の年と考えれていますが、残念ながら全体に摩耗が激しく、全文の解読には至っていません。
覆屋(地蔵堂)は、発掘調査で確認された室町時代の建物の痕跡に基づいて復元されたものです。
鎌倉時代に掘られたもの。
元箱根石仏群の中で最大のものになります。
このお堂の正面に座ると、お地蔵様とぴったりと目が合うようになっています。
近づいていくと、スススッとニホントカゲが横断していきました
隠れたつもりでも尻尾が出てるよ
見つめていると、どこからともなく湧き上がる感情に何故か目頭熱くなる思いで
手を合わせ深々とお辞儀をしました🙏✨
なんて素晴らしいんだろう✨✨✨
地獄ではなく、穏やかな、優しい空間が広がっていました✨
その横には沢山のお地蔵様
地蔵堂から眺める景色
あまりに素晴らしく、感動で胸がいっぱいになる場所でした🙏✨
ここから、静かに700年以上の間、この地を見守るお地蔵様。
時代が変わって、行き交う人の楽しげな姿を眺めながら、
ほのぼのしたお気持ちでいらっしゃるのかなぁ
そんな優しい空気が流れる場所でした✨
戻ってきて
トンネル脇の小花
日差しと緑と彩りと✨
そっと咲く可愛いらしさ
そして、更に少し進むと
あこれが宝篋印塔残欠
(八百比丘尼の墓)
観応元年(1350)の紀年銘
八百比丘尼とは、若狭国(福井県)の伝説上の女性で、年をとっても容貌が衰えず八百年生きたとされますが、何故その俗称がつけられたかは定かではありません。
何故に伝説の女性の墓?
その隣の説明を見て、
えーと、仏像はどこ(・o・)❓
と、思ったら、すぐ説明の横奥に
わぁ
磨崖仏(応長地蔵)
高さ124cmの安山岩に彫られた地蔵菩薩。
二つの龕(がん)があり、大きい龕に一体、小さい龕に2体の地蔵菩薩が彫られています。
応長元年(1311)の造像願文が彫られています。昭和49年(1974)、国の重要文化財(彫刻)に指定されました。
かつて宮城野地区では、家族に死者があると、四十九日以内にここまで家族の者がやってきて送り火を焚く「浜降り」という風習があったことから「火焚地蔵」とも呼ばれています。
自然の中に同化してて、一瞬が付きませんきでした
わぁ〜
お地蔵様が長い年月かけて、優しい穏やかな土地に鎮めて下さっているのかもしれません。
お地蔵様ありがとうございます🙏☺️✨
娘も歩き疲れた&息子の帰宅に間に合わなくなりそうだったので
今回はここまでで帰宅する事にしました。
お休みとれた時に、ハイキングしながら見に行ってみよう
大涌谷から、新たな素敵スポットを知る事出来て、自然と石仏にとても癒やしを頂いたひと時でした☺️✨
ご訪問、お読み下さり、どうもありがとうございました😊🙏✨
↓参考資料