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ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

 

「エドガルド・モルターラ
ある少年の数奇な運命」

 

を観てきました。

 

ストーリーは、

1858年、ボローニャのユダヤ人街に暮らすモルターラ家に、時の教皇ピウス9世の命を受けた兵士たちが押し入り、何者かにカトリックの洗礼を受けたとされるモルターラ家の7歳になる息子エドガルドを連れ去ってしまう。

 

モルターラ家はユダヤ人一家で、家族は全てユダヤ教の洗礼を受けている。一体誰が勝手に息子にキリスト教の洗礼をしたのかと調べると、家政婦だった女がエドガルドが病気で死にそうになった時に洗礼もせずに死んだら地獄に落ちてしまうと考え、勝手にキリスト教の洗礼を授けたらしい。

 

 

教会の法に則れば、洗礼を受けたエドガルドをキリスト教徒でない両親が育てることは出来ないとされており、教会が育てる為に連れ去ったのだった。両親が何も知らないところで行われており、勝手に息子を連れ去るなどもっての外だと両親は訴えるがローマ教皇の命令だとして兵士たちは聞く耳を持たない。

 

息子を取り戻そうとする奮闘する両親は、世論や国際的なユダヤ人社会の支えも得るが、教会とローマ教皇は揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に決して応じようとはしない。両親は諦めず、息子に面会を求めて教会を訪ねるのだが会わせて貰えない。

 

 

しばらくして両親が息子の意志を認めると約束して、やっと面会出来たのだが、息子エドガルドは既にキリスト教の教えを刷り込まれており、ユダヤ教ではなくキリスト教徒として生きるべきと矯正されてしまっていた。悲しむ両親だが、それでも息子を諦めずに訴え続けるのだが…。後は、映画を観てくださいね。

 

酷いお話でした。こんなことが実際に起きていたなんて驚いてしまいます。奴隷商人が子供を連れていくのと同じように見えました。奴隷商人はお金を渡し、教会は洗礼を授けたので連れていくということでしょ。そんなもん、勝手に誰が授けても洗礼だなんて許されないでしょ。例えば街中ですれ違いざまに子供に十字を切って主の祈りを捧げれば洗礼ですってことですよ。あり得ないでしょ。

 

 

この映画を観ていて、かわいい男の子を集めるために、信者に可愛い男の子に洗礼を授けて連れてきてしまいなさいと言ったんじゃないかなと疑ってしまいました。だって、ローマ教皇の事がや態度が”変態ロリコンジジイ”そのものでしたもん。毎夜、いたずらしてたんじゃないかと思います。ジャ〇ー喜多川と一緒ですよね。恐ろしいです。犯罪者だっつーの。

 

子供たちはまだ7歳くらいなので、毎日教会に通わせ、勉強を教え、聖書を叩きこまれれば、それはユダヤ教の祈りなど忘れてしまい、キリスト教になってしまいます。みんなで一緒に勉強をし、教皇に可愛がられる日々なら、両親や兄弟の事を忘れてしまいます。教会の居心地の方が良くなってしまいますよ。

 

 

これが洗脳ってヤツなんだなと思いました。言葉の意味も解っていない子供に毎日毎日お祈りをさせて、キリスト教としての教育をしていくと、これが正しいことなんだと思い込んでしまうんですよね。オウム真理教や統一教会も同じようなやり方をしたのでしょう。どんな宗教もえげつないやり方をしているんだなと思いました。

 

エドガルドは突然に両親兄弟と引き離され、教会での共同生活をしながら教育され成長していきます。最初の頃は、お母さんが別れる時にくれたユダヤ教のシンボルとお祈りをベッドの中で隠れて唱えて忘れないと頑張っているんだけど、まだまだ子供です。段々と周りに引っ張られて忘れていってしまうんです。集団心理って怖いわ。今まで正しかった方が、そこでは間違いになってしまう。朱に交われば赤くなるという言葉通りなんです。

 

 

そしてエドガルドはキリスト教徒になり、司祭になる教育を受けます。ユダヤ教の両親や兄弟には会わなくなり、数年が経ちます。両親は諦めず、兄弟も諦めてはいなかったけど、本人のエドガルドが自分はキリスト教徒だと思い込んでしまっているので、どうしようもありません。連れ帰ることは出来ず、離れてしまいます。既にエドガルドは自分の意志でキリスト教徒になっているんですから。でも、それは洗脳ですからね。

 

エドガルドの誘拐は、結局はローマ教皇への反発を大きくし、ユダヤ人との隔たりをも大きくしました。もし、直ぐに教皇がエドガルドを帰していたなら、問題は大きくならず、ボローニャもいつまでも教皇領となっていたのだろうと思います。教皇はエドガルドを帰すとキリスト教皇としての力が弱まってしまうと考えて、返さなかったのだと思いますが、全てが裏目に出てしまった典型だと思います。

 

 

このエドガルドは成長してどう思っていたのでしょうね。大人になれば、自分は元々ユダヤ教の家に生まれたのにキリスト教の洗礼を受けてしまいキリスト教に改宗することになってしまったということが理解出来たと思うんです。記憶はないけど、召使が洗礼を与えなければユダヤ教徒として両親と兄弟と裕福に自由に暮らせていたのに、それが変わってしまったんですから。

 

自分が洗脳されたということも理解出来るでしょ。その時にどんな気持ちになったのか。両親を捨てて教皇と一緒に暮らして、教皇を父親と思っていたのに、本当は自分は洗脳されていただけで、両親が取り戻そうと頑張ってくれたことが正しかったのだと理解したら自分が壊れちゃうんじゃないかな。

 

 

それでもキリスト教の司祭として生きるしかなかったから、最後まで司祭として生きたのかしら。うーん、人の心は解りませんね。私なら、理解した時点で司祭は続けられないけどなぁ。だって普通ならキリストさんを信じられなくなるでしょ。信じられない神を信じていると偽って人に伝えていくなんて、それこそ神への冒涜だけどね。

 

まぁ、でも酷い事件があったんですね。これ普通に誘拐で、誘拐したのは教皇と言いながらも変態ロリコンジジイですからね。許せませんよ。子供をどれだけ弄んだら気が済むんだよ。ほっんとに宗教をダシにして子供に悪戯をしたり許せません。タイムマシンが出来たら、過去に戻って局部を切り取ってやる!!

 

 

はぁ、落ち着いて。この映画、実際に起きた事件を題材にしてよく出来た映画でした。私はこの映画、超!お薦めしたいと思います。巨匠マルコ・ベロッキオ監督作品で、映像も美しいしとても考えさせられる作品でした。但し、実際の事件なので、そんなにサスペンス的に面白いという感じではありません。それでも、これは、知るべき事件で観るべき映画だと思いました。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」