例えば、商売をしているからにはお互いに儲ければならな
い。これは当然のことです。しかしただ単にもうさえすれば
いいのだ、という程度の考えだけではいけないと思うので
す。一歩進めて、いったい何の為に設けねばならないのか、
というところまで真剣に考えておかなければなりません。
儲ける事の信義とでも申しますか、そこまで考えて、はっき
りとした信念を持っておかないと、商売に本当の力が湧いて
きません。
一般に国家社会を論ずれば、なんとなく格調高いものに
思うけれども、商売を論じ儲けを論ずるというと、一段下の
問題みたいに思ってしまう。これは大変な間違いです。商売
や儲けを論ずるということは、実は国家社会を論じるのと
同じなのです。つまり商売というものは、本当は非常に格調
の高いもので、だからお互いに自信と誇りを持って、もっと
格調の高い商売をしなければならないと思います。
こういう思い出商売を大事にし、商売に身を入れている
と、自然とお得意先と仕入れ先のことが気にかかってくる。
お得意先と仕入れ先を抜きにして商売というものは成り立ち
ませんから、お得意先と仕入れ先のことが気になって、じっ
としていられないような思いになるものです。そして、あの
お宅のあの製品にはもう油をさしてあげなければならないと
か、このお家にはこの新しい製品をお勧めしてみようとか、
あれこれと頭に浮かんでくる。自然、仕入れ先にも、色々と
積極的な意見が出てくるようになります。
もしも、お得意先と仕入れ先のことが絶えずきになるとい
うことがないとすれば、商売はやらないほうがよろしい。
きついことを言うようですが、本当は寝ても覚めてもという
ところに、身を入れた商売というものがあると思うのです。
ー松下幸之助