私は欠点を私流の考え方美すり替えてしまうことが、普通

 

の人より、ちょっと上手なのではないかと思う。耳が遠い

 

のは困るが、目はちっとも悪くない。メガネをかければ仕事

 

もできるし、好きなテレビのチャンネルも見ることができ

 

る。まだまだ幸せな方である。スタイルは悪くなったが、ま

 

だ腰は曲がらない、丸くなった背中も、着物を着て、ちょっ

 

と衣紋を抜けば、まだ隠すことができる。顔もちょっと白粉

 

を塗り、口紅をつけ、頬紅をつければ、誤魔化すことができ

 

る。

 

 お洒落をした自分の姿を見ると、うん、よしよし、これで

 

まだまだ頑張れそうだと思う。まあ、そう思うことにしてい

 

るのである。

 

 

 

 

 

ー宇野千代

 

 

 

 例えば、商売をしているからにはお互いに儲ければならな

 

い。これは当然のことです。しかしただ単にもうさえすれば

 

いいのだ、という程度の考えだけではいけないと思うので

 

す。一歩進めて、いったい何の為に設けねばならないのか、

 

というところまで真剣に考えておかなければなりません。

 

儲ける事の信義とでも申しますか、そこまで考えて、はっき

 

りとした信念を持っておかないと、商売に本当の力が湧いて

 

きません。

 

 一般に国家社会を論ずれば、なんとなく格調高いものに

 

思うけれども、商売を論じ儲けを論ずるというと、一段下の

 

問題みたいに思ってしまう。これは大変な間違いです。商売

 

や儲けを論ずるということは、実は国家社会を論じるのと

 

同じなのです。つまり商売というものは、本当は非常に格調

 

の高いもので、だからお互いに自信と誇りを持って、もっと

 

格調の高い商売をしなければならないと思います。

 

 こういう思い出商売を大事にし、商売に身を入れている

 

と、自然とお得意先と仕入れ先のことが気にかかってくる。

 

お得意先と仕入れ先を抜きにして商売というものは成り立ち

 

ませんから、お得意先と仕入れ先のことが気になって、じっ

 

としていられないような思いになるものです。そして、あの

 

お宅のあの製品にはもう油をさしてあげなければならないと

 

か、このお家にはこの新しい製品をお勧めしてみようとか、

 

あれこれと頭に浮かんでくる。自然、仕入れ先にも、色々と

 

積極的な意見が出てくるようになります。

 

 もしも、お得意先と仕入れ先のことが絶えずきになるとい

 

うことがないとすれば、商売はやらないほうがよろしい。

 

きついことを言うようですが、本当は寝ても覚めてもという

 

ところに、身を入れた商売というものがあると思うのです。

 

 

 

 

 

ー松下幸之助

 

 

 

 

 

 健康法というのは、体操をするとか、歩くとか、あれを食

 

べるとか、これを食べないとかいうものではない。いつでも

 

何か追いかけて行く目的があって、張り切っている状態でい

 

ることだと、この頃、そう思うのである。

 

 

 

 

 

 お洒落は中年過ぎ、老年になってからが本番である。

 

 

 

 

 

 

 ー宇野千代

 人間というものは、えてして自分の立場を守ったり、有利

 

にしようとするものだ。しかし、私に言わせれば、嘘で固め

 

てしまうと後で自分が苦労するだけだ。

 

 人前では使ったことのない言葉を使ったり、酒を飲みたく

 

ても飲まずに我慢したりね。私はそんな努力をするなら、

 

はっきりと自分のことをさらけ出した方が、どんなに自分に

 

とって楽かわからないよ。そうすれば、みんなも納得して

 

くれるしね。

 

 例えば、私は本を読んでいても、あんまり立派なことが

 

書いてあったら、もう絶対に読む気がしないんだ。どうせ

 

嘘に決まっているんだ。最初から。

 

 

 

 

 

ー本田宗一郎

 私は、いつでも幸福な明日を夢見て暮らす。これが

 

私の生きて行く甲斐である。

 

 

 

 

 

 私はこの年齢になっても、とても好奇心が旺盛である。

 

まるで、子供と同じである。人にはなんだと思われるような

 

ちょっとしたことにでも好奇心を持つ。後期sんを持つと、

 

じっとして居れないで、忽ち、そのものを目指してかけだす

 

。駆け出して行って、自分の抱いた好奇心の実態を、とこと

 

んまで、気の済むまで見極めたくなるのである。

 

 

 

 

 

ー宇野千代