辛ドン~高麗中興の功臣~ 最終回まで見た感想 | 映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

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辛ドン~高麗中興の功臣~ 最終回まで見た感想


『辛ドン~高麗中興の功臣~』(全61話)視終りました。

「出来るだけ史実に忠実に…」と務め作られた制作者側の意識が窺えるドラマであった事は、全体を通して言えると思います。
恭愍王の時世を詳しく再現したドラマは数が少なそうですから、
それは、ドラマ史上でも、おおいに、意義があったのではないでしょうか?
(同時代を扱ったもので『シンイ-信義-』も、あるにはありましたが、
あれはもう歴史と言うよりもファンタジーなので、実際の歴史とはまるで別物です。)

主人公であるピョンジョン(ソン・チャンミン)の性格が明るく豪快で、
その他の登場人物もみんな個性的で魅力的なので、視ているうちにどんどんと物語世界に引き込まれてゆきましたが、
その途中で「ん?」と時々、首を傾げたくなるような点も幾つか、あるにはありましたね。
その中でも、最も不思議だったのが、パニャ(ソ・ジヘ)の扱い方です。(パニャは漢字で書くと般若)

パニャは、
罪人の身内だからと罪に問われていた女性を、ピョンジョンが自分が育った寺へ連れ帰り、
そこで産まれた女の子です。
(母親はピョンジョンに助けられた時点で身篭っており、彼女を産んだ時に他界してしまいます)
パニャは、ピョンジョンの育ての親でもある和尚様に可愛がられて育ちます。
その後、彼女の将来の事を考えて、成長過程で途中、チョソンという女商人の元へ養女に出されます。
…ところが、どういうわけだか14~5歳になると、誰の考えによるものだかよくわからないのですが、
お寺に舞い戻って来てしまい…お寺の御堂の中の仏像の置いてある台の下にずっ~~~~と潜って、
勝手に生きているみたいな感じでした。

たま~に、和尚様が「パニャを連れて来てくれ」と言った時だけ台の下から呼び出され画面に登場しますが、
それ以外は全く出て来ずに、まるで妖精のごとき扱いでした。

そこまで妖精のような扱いをしておきながら、物語がクライマックス近くになって再登場するやいなや、
恭愍王のお手付きになって身篭るという生々しい役柄になります。
視ている側にしてみれば、こんな急激な扱いの変更あアリ?!と戸惑いますよ。
※この時は成長して、今は亡き王妃様(ソ・ジヘ)に瓜二つになっています。(ソ・ジヘの二役)

そんな事になる前は、赤ちゃん⇒幼子⇒妖精的な人と、一貫して作中の癒し的な存在だったのに、
なんで急に、そんなシリアスな扱いに変わるんだか納得がいかなかったです。

しかも最終話では、無惨にも、縛られて、体に石を括り付けられて、池に投げ込まれて殺されてしまうんですよ。
酷くないですか?!
…とは言え、最終回ではピョンジョン(辛ドン)の周囲にいて協力していた平民や奴婢は、
ことごとくみんな殺されてしまい、
唯一生き残ったのはウォンヒョン(オ・マンソク/僧侶でピョンジョンの弟分)だけでした。
(ウォンヒョンは生き残ったとはいえ乞食のようにボロボロで、正気を失くしていたのかもしれない)

最終回で恭愍王が殺されるところまでゆくとは思いませんでしたが、やられちまいましたね。
ただ、殺された理由は史実とは全く違い、
乱心の末、殺生を躊躇いなく行うようになり、殺されそうになった側近の宦官に先手を打たれての事です。


結局、元から吹く風、奇皇后の権勢を笠に着て、
朝廷を私物化していた奇轍(キ・チョル)一派を片付けても、
朝廷の次なるあまたの権臣が団結して君主の力を封じ込めようとするので、
恭愍王は自分の思うような政治が行えない。

それを助けようとしたのが元から嫁いだ魯国公主と、貴賤の違いを越えて友情を誓った辛ドンだったのですが、
魯国公主の死により、悲しみに溺れ方向性を見失った恭愍王が、すべてを水の泡にしてしまう悲しい物語です。

あまたの尊い命を犠牲にしながら、実現が叶わなかった辛ドンが夢みた安らかで幸せな世の中は、
和尚様が生前言っていたように「仏様の視線で言えば、まだまだ数千年も待たなければならない」というオチだったようです。

最終回になって、尺が余ったせいなのか?
終盤で過去の映像が断片的に映し出されていましたが、そんなものいらないんで、
そんな事してる暇があるなら、恭愍王の殺された後の様子なり、世子に冊封された後のモニノの様子なりを見せて欲しかったな。

それと、奇皇后の末路を最後まで見せてくれなかったのも残念でした。