映画 ハンニバル・ライジング~ハンニバル・レクターはサイコパスなのか?
もしかりに脳医学に重点を置いた見解を参考にして判断するならば、
サイコパスは先天的なものであり、環境の中でその素質が培われてそうなる類いのものではない。
サイコパスの脳の働きは、他の人とは違っている。
もし生まれた時点では、他の人と同じであったと仮説するならば、それが成長と共にそのように(他の人とは違うように)変容して行ったとは考えにくい。
それ故に、脳医学者、神経科学者の見解を素直に信じる事を前提とするならば、
サイコパスは先天的なものであるのだろうと、無知な私なりに、一応は判断に至った。
しかしながら、人間の脳の中身、ましてやその成長における変化など、たとえ専門家と言えども、おいそれと第三者に計り知れるものでもないだろう。
そう思えば「サイコパスは先天的なものであり…」という言い切りも、とたんに自信がなくなるのだが(^^;
[参照:サイコパスの脳]
サイコパス全体の先天的であるか?あるいは後天的であるのか?の判断は、専門家の研究に委ねるとして、
ここではハンニバル・レクター個人に絞って、
はたして彼は、生まれつきのはサイコパスなのか?という疑問を持った映画をご紹介しよう。
映画『ハンニバル・ライジング』を通してハンニバル・レクターの幼少期を見ると、彼は普通の少年で、鬼畜のような大人たちから妹を守ろうとしていた。
その後、ハンニバルを煽って猟奇殺人へと駆り立てたものは、心の内側に煮え滾る復讐心だけだったように思う。
もっとも、
その後、彼が、ああいうモンスターへと変貌してゆくように背中を押してくれる環境的背景は若かりし頃より揃っていた。
映画『ハンニバル・ライジング』は、そういった表現の映画であった。
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