娯楽(エンタメ)ではない映画について | 映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

映画のネタバレ・あらすじ・キャストを最終回までや日本、韓国、中国、米国の映画・ドラマから面白いものを選んでネタバレ・あらすじ・感想を書いています。 

娯楽(エンタメ)ではない映画について

基本、人は映画を観る時、そのエンターテイメント性に期待して観るのではなかろうか?と、私はそう思ってるんですが、
作り手側の方では必ずしも、観客を楽しませる事を目的としたエンターテイメント性に富んだ映画を作るとは限らないようです。

エンターテイメントの提供が目的の映画以外には、
哲学的な、あるいは文学的なメッセージを伝える事が目的の映画や、
何事かの啓蒙活動のために作られる映画もあるようです。

映画通(フランス語ではシネフィルと言うらしい)ぶる人にとっては、エンタメ映画だけではなく、時に評論家に高い評価を得るそれ以外の映画も理解し堪能出来るほどの知力がないと、映画通ぶり続ける事は難しいのではないでしょうか?

私の場合は、映画通などとはほど遠く、ただただ楽しめる映画を常に求めているだけの凡庸な人間です。
それゆえに、たまたまランダムに鑑賞した映画がエンタメ以外の楽しめない映画だった場合、ガッカリします。

そういった意味で、最近、私のガッカリしたエンタメ以外の映画のタイトルを挙げておきます。

八つ
広場恐怖症と強迫性障害を患い2年間も1人で部屋に閉じこもりっきりの女性の、ある日の日常生活の1時間21分を、切り取って撮影しただけのようなドキュメンタリータッチの映画。

通常の映画のような起承転結のあるストーリーとは無縁な、ただただ長回しで朝から、その女性の住む部屋で、その女性の行動を1時間21分という上映時間一杯に、ノンストップで映し続けている。
見ていると、この女性は「清潔」という事に異常な拘りがある様子で、朝起きてから3~4回はシャワーを浴びるんですが…その度にナイロンタオルかボディーブラシのようなもので石鹸を泡立てて、力任せに身体を擦っていて、皮膚が痛んで傷だらけになっています。
見るからに痛々しいのですが、何かの拘りで、済ませた筈のシャワーを何回も繰り返します。
部屋のいたる壁という壁にメモが張り付けてあり、どうやらそれは、拘りの強すぎる自分を止める言葉ではないかと思われるのですが、ちっとも役にたっていません。
台所へ行っても、水回りで同じ場所ばかりをゴシゴシと何度も擦っては水を流して清潔空間を心掛けているみたいですが、何故か同じ場所ばかり掃除していて、
床などは、どのエリアでも1度も掃除してなくて、綺麗に磨き上げる場所が偏っているようでした。
朝起きてから、同じ行動を何度も繰り返すので、
シャワーを済ませて、服を着替えて、髪を整え、
お茶を一杯、沸して飲むというだけの事をするのに、1時間以上の時間を費やしていて、とっても重症のように見えます。

関西では、こういう気質の事を燗症病みと言って、
私もある程度はこのような傾向のある人間なのですが、病気というほどの事はないので、
そういう傾向が少しはある私から見ても、この女性は相当に病んでいるのだという事は良くわかります。
ご本人にとっては深刻な問題である事はわかるのですが、これを映画にしたのは何故なのか?と考えたら、
やはり「強迫性障害とは、このような病気です。」という事を世間の人に広く知ってもらって理解を求めるため。…としか考えられませんでした。

見て時間を損したとまでは思いませんが、明らかに観客に楽しみを提供する事を目的に作られたエンタメ映画とは違いました。

《哲学的な映画》『2001年宇宙への旅』と続編『2010年』


この映画たちは、一応、SFの括りに入るものですが、
通常のSFのように何らかの使命を持って宇宙へ向かう宇宙飛行士らにスポットを当てて語られる話ではなく
「モノリス」という謎の物体を中心に話が展開します。

『2001年宇宙への旅』ですが、
まぁ一応、途中少しだけ物語っぽい展開もあるにはあります。
宇宙船ディスカバリー号に乗り込み、木星探査へ向かうデビッド・ボーマンと、後何名かの宇宙飛行士とHAL(ハル)という頭脳のみならず感情も人間並みのコンピュータ君。
この人間対HALの間で信頼関係が損なわれた結果、HALがボーマン船長以外の乗組員を全員殺害するというとんでもない事件が起こります。
この辺りがこの映画の最大の山場ですね。
ボーマン船長はHALの思考部を停止させた後に木星探査の真の目的が「モノリス」であった事を初めて知り、探査を続行した結果、木星の衛星軌道上で巨大なモノリスと遭遇。
だが…そこで彼の消息は途絶える。
この後の映像は特に説明もなく、哲学的なイメージ映像で語られるので、ちょっと理解が難しくなっています。


続編の『2010年』で、やっとボーマン船長が、その後、どうなったのかが判明します。
それによると、彼はボーマンという個体の身体から抜け出て、宇宙生命体の一部と化したのだとか…まるで手塚治虫の『火の鳥』と同じ事を言ってるんですね。
因みに、手塚治虫が火の鳥の中で語る宇宙生命体とは「生命をエネルギーと捉え、その生命エネルギーが集まり一塊になったもの。」なのだそうで、これも科学的というよりはむしろ宗教的なような気がします。

というわけで…やはりエンタメを意識せずに作られた哲学的な映画というものは、俗物の私などには難し過ぎて、敷居の高い映画だな~と感じられ、
やっぱり、あまり難しい事は抜きにして、無条件に楽しめるエンタメ映画が好きですねぇ~。
まぁ、いわゆる豚に真珠。猫に小判ってやつですかね?ww