映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 ネタバレ・あらすじ・感想 | 映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

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洋画のご紹介です。

映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 ネタバレ・あらすじ・感想



映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 概要



2014年公開のアメリカ映画。
監督:フィリップ・ノイス
脚本:マイケル・ミトニック
原作:ロイス・ローリーの児童文学『ザ・ギバー 記憶を伝える者』
主演:ブレントン・スウェイツ
ジャンル:SF/未来社会
上映時間:94分

映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 ネタバレ・あらすじ



そこは近未来の地球上の一角。
戦争で荒廃した後の世で築き上げられた新しい社会。
人々は、その
貧困も差別もなく、あらゆる苦痛が排除されて、争いや、ましてや戦争などとは無縁である理想郷で暮らしていた。
人は物心ついてから、以下の規則を擦り込まれる。

一、正しい言葉の使用。
二、指定服の着用。
三、感情を抑制するための毎朝の投薬。
四、門限の厳守。
五、正直である事。

悩みも悲しみも苦しみもない完全に平等な世界。
親子の血縁関係は不要とされ、人口は定期的な人工授精で補給された。

彼らは皆、血の繋がりのない大人男女2人に加えて、そこへ預けられる子供が数人という家族ユニットを組んで住居で暮らしていた。
少年ジョナスは、血の繋がりのない父と母、妹の4人暮らし。
学齢期が終わると、人々は皆、一生の仕事を授かる。

それら、すべての事を決めるのは、このコミュニティを統括する組織、長老委員会である。

ジョナス(ブレントン・スウェイツ)もこの度、学齢期を終わり、長老委員会より、一生の仕事を授かる事となった。

主席長老(メリル・ストリープ)から言い渡されたジョナスの仕事。
それは、このコミュニティの要とも言える《“記憶の器”レシーヴァー》という大役であった。

それは、人類史上に刻まれた過去の記憶を、唯一蓄えている人物“記憶を注ぐ者”ギヴァー(ジェフ・ブリッジス)から、記憶を受け継いでいくという役割であった。
ジョナスは、この仕事についてギヴァーから、記憶を伝授されて初めて、
「雪」の存在や「色彩」や「音楽」「ダンス」「愛」「夢」などを知る。
コミュニティでは、気候制御のために非生産的な寒い季節が排除され、そのため「雪」も幻の存在となった。
色彩が排除されたのは、肌の色をわからなくして人種差別を無くすためである。

それらのものに触れた事でジョナスは、人類の過去の痛みや悲しみなどの人が本来持っていた「感情」を知る。
そして、やがて、今では必要がなくなったとされる「愛」というものを知り、
彼の心は大きく揺さぶられる。

それから、ついには、長老委員会が「解放」と言い換えているその正体が「殺人」であった事を目の当たりにし、
安全・安心で差別のない理想郷だと思っていたこの世界の恐ろしい裏の顔を知ったジョナスは、こんな世界は間違っていると思う。


ギヴァーは、
記憶の境界線の果てにある三角岩を越えれば、連鎖的にコミュニティを制御していた機能が損なわれ、
コミュニティの人々全員に記憶が注がれてしまうとジョナスに教えた。
ギヴァーもまた、以前から、この世界の在り方は間違っていると考えており、
ジョナスのような、強いメンタルを持ち、革命を望むレシーヴァーが現れるのを、心待ちにしていたのだった。

以下は、ギヴァーがジョナスに語った話である。

ジョナスの前任者であったローズマリーは実はギヴァーの娘であった。
最初は美しい記憶しか与えなかったが、レシーヴァーとなって2ヶ月目に「痛み」を知りたがった彼女に、
ギヴァーは恐る恐る「喪失の痛み=母と引き離された子供の記憶。」を教えた。
ローズマリーの心は、それに耐えきれず、自ら解放を望んだのだ。

「解放」という言葉の本当の意味を知らなかったジョナスは、この時、それが殺処分である事を教えられる。


ジョナスは、縁あって自分の家族ユニットに預けられていた赤ん坊のゲイブに次第に愛情を感じるようになっていた。
しかし、この愛しいゲイブが、発育不全(ただ、よく泣くって事だけなんですが(;´Д`))で「解放」という名の殺処分をされる事がわかる。
愛する者たちを守るため、コミュニティーからの脱出を決意するジョナス。
そこで、恋心を感じている幼馴染のフィオナ(オディア・ラッシュ)に協力してもらい、養育センターよりゲイブを連れ出すと、
自転車にゲイブを乗せて、境界線を目指し逃亡する。


しかし、そのその行く手を、やはり幼馴染のアッシャー(キャメロン・モナハン)が阻む。
アッシャーは長老委員会の決定で、パイロットになっていたからだ。
「コミュニティの治安維持のために、ジョナスを追跡し、見つけ次第“解放”しなさい。」と、主席長老の命令が下り、アッシャーは逆らえず出動した。

任務に忠実であろうとしたアッシャーであった。
だが…最終的には「永遠の友だ。」と誓ったジョナスを殺す事が出来ずに、境界線近くの渓流へと落として逃がす。
そして長老には「解放しました。」と報告。

川から這いあがったジョナスは胸にゲイブを抱いて荒涼たる最果ての地を徒歩で進む。
やがて雪に覆われた平原に出るのだが、寒さと疲れで、雪の上で気を失い倒れてしまう。

一方、その頃コミュニティーでは、ジョナスとゲイブを逃がした罪を問われて、今まさにフィオナの解放の儀式が行われようとしていた。
ギヴァーが止めさせようと長老に説得を試みるが、彼女は「個人に選択の自由を与えれば、社会は必ず間違った方向へと動き出す。」
と頑なに応じなかった。


数分後の事だったろうか?
冷たくて柔らかい感触が仰向けに倒れ意識を失っていたジョナスの顔に触れた。
雪が降りだしたのだ。
意識を取り戻したジョナスは、ふと、雪原を見渡して、ある物を探す。
それは、レシーヴァーになった初日にギヴァーが見せてくれたソリだ。
上手い具合に、少し離れた場所にソリがあった。
ゲイブをしっかり胸に抱き、ソリに乗って、ジョナスは、木立ちの間の山の斜面を滑り降りて行く。

フィオナの腕に、解放という名の殺人を施すための、針が降りて来る直前に、ジョナスはついに記憶の境界線を越えた。
すると、色彩と記憶が、瞬く間に森を越え、コミュニティへと到達し、そのすべてを覆い尽くした。

変化を感じ取った人々の心に感情が舞い戻る。
フィオナの解放を任された担当者も、無意識のうちに、注射針を降下させる機械をストップした。
感情を持った人々は再び自分の意思で行動を選択する事を始めたのだった。

その頃、ジョナスはソリで、記憶の中で見た、本物の家族がクリスマスに集っていた山小屋の前まで到着し、
「フィオナにまた会える。」と感じ取った。
それから彼は思う。
「未来は僕の腕の中に。ギヴァーが僕らをここへ導いてくれた。本当の家に。」

映画 ギヴァー 記憶を注ぐ者 感想



この映画の直前に観た、同じく、感情を持つ事を排除された近未来社会を描いた『ロスト・エモーション』よりは、掘り下げて考えられた脚本ではあると思った。

「社会にとって有害であるから、人間の感情を排除する。」という発想は、本作と『ロスト・エモーション』において共通しているが、
微妙に違うのは、『ロスト・エモーション』の場合は「喜怒哀楽」すべてを排除しているのに対して、
本作では「喜怒哀楽」の中で排除されているのは「怒と哀」と、それに繋がる痛みや、偏見や差別といった社会の調和を乱す負の感情全般である。
「喜と楽」という社会の中で妨げにならず、むしろプラスに働く感情は基本的には、残されている。
とは言え、音楽やダンスは排除しているので、「喜と楽」を呼び起こすツールとして、人類史という記憶の中のものだとアウト!ていうなんだか曖昧とも取れる設定である。
反面では、呼び名さえ元のものと変えれば、動物のぬいぐるみはOKだったり、曖昧過ぎてよくわからない部分もある。

SFとなってる割には、記憶の境界線あたりにある三角岩が、どのように人々の記憶を制御しているのかの仕組みも説明される事は一切なく、
長老会という年より連中で作る組織が、この社会を統括していると言う割には、健康でまだまだ社会の役に立てそうな老人たちも、解放という名の殺処分をする理由も不明である。

人間から感情を排除したと言っている。
だが、好奇心や空想する事もまた感情の一部だと思うのに、それは残ってるのか否かあたりは曖昧だ。
好奇心や空想力を排除された人間ならば、目の輝きを失うだろうと思うのだが、彼らは皆それなりに活き活きと暮らしていた。
それならば、好奇心や空想力は排除されなかったのか?と思ってもみたが、
もしそうならば「解放」というのが具体的にどういう事なのかを、誰も知ろうとしない無関心さと符号しない。

またアッシャーがジョナスに言った「永遠の友」と言う言葉も、また感情の発露である。
それらの腑に落ちない部分から、
この映画は良くも悪くも、
感情を排除したと言っていながら、その排除がどこまでなのか?という線引きが曖昧なところだろう。

数々のわからない事と矛盾に満ちた映画なのだが、最も謎だったのが、
ジョナスの仕事のレシーヴァーだろう。
そんなに人々に知られてはまずい過去の記憶を、なんで常に1人だけ選んで継承して知っといてもらう必要があったのか?!である。

映画の終盤でジョナスが赤ちゃんを抱いて逃走する部分が最大の見せ場となっている。
しかし、まだ1歳に満たないような赤ちゃんが、状況に合わせて泣いたり笑ったりの演技をするとも思えないんで、
撮影では、赤ちゃんの泣き待ちとか、微笑み待ちに苦労したんだろうな。