映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)ネタバレ・あらすじ・感想 | 映画 ネタバレ・あらすじ・結末 最終回まで~ドラマもね

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洋画のご紹介です。

映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)ネタバレ・あらすじ・感想


イエス・キリストと共に旅した弟子の一人で唯一の女性マグダラ(現在のミグダル)に生まれたマリアに焦点をあてて作られた映画。

映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)概要



2018年公開のイギリスとアメリカの合作映画。
監督:ガース・デイヴィス
脚本:ヘレン・エドムンドソン&フィリッパ・ゴスレット
主演:ルーニー・マーラ
ジャンル:歴史上の人物

映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)ネタバレ・あらすじ



イスラエル北東部、ガリラヤ湖北西岸の村、マグダラに住む心優しい乙女マリア。
彼女は、家族想いで働き者の娘だったが、
男性原理に支配された村で、父親に、好きでもない男との結婚を強要されて、逃げ出したい思いでいた。
そんな時、村を訪れたイエス・キリストに出会い、彼の奇跡に触れて感銘する。

そして、自分には男の言いなりになって生きる以外に、もっと意義のある別の生き方があると感じ、
キリストの洗礼を受けて弟子となり、家族と別れて、伝道のためのエルサレムへの旅に参加する。

当時のイスラエルでは、どの町も村もローマ帝国の無慈悲な横暴により、人々は希望のない生活を強いられていた。
そんな荒廃した人の世でイエスは、武力ではなく、信仰と赦しの心だけが、人の魂を救済すると言う。

キリストと共に旅をする弟子たちは皆、キリストに心酔している。
その中でもユダの信仰心は特に厚く、キリストについて行けば、いつか神の国へと入る事が出来て、
必ずや亡くなった妻子と再会出来ると信じていた。
旅の途中で、奇跡を起こし、救世主(メシア)として信者を増やしながらイエス・キリスト一行は聖地エルサレムへと向かう。

キリストが奇跡を起こす姿を目の当たりにするにつれ、マリアもまた深く彼を愛し心酔してゆくのだが、
ようやく到着したエルサレムには最後の試練が待ち受けていた。
ユダの密告により、ローマ兵に捕まり、すべての罪を背負って、
イエスは磔になり処刑されてしまう。

しかし、マリアの耳には、蘇ったイエスの声が聴こえ、また目には、彼の姿がハッキリと見えていた。


映画 マグダラのマリア(メアリー・マグダレン)感想


イエス役のホアキン・フェニックスのいかつい顔は、どうも自分の頭の中にあったイエス・キリストのイメージとだいぶ違う。
(ホアキン・フェニックスは、ジェフリー・ディーン・モーガンといかつさ勝負をしたら勝つだろうと思うくらいのレベルww)
自分の頭の中にあったイエス・キリストのイメージは、もっと線が細くて優しげな…まぁいわゆる優男。
でも…冷静に自己分析してみれば、これはたぶん、キリストの登場する名画や肖像画を見た影響によるものかと思われ、
考えてもみれば、キリストの登場する名画や肖像画なんちゅうものは、
キリストよりもずっと後世に生まれたご本人に会った事のない方々が描いたものだから、そりゃもう適当です!
そんな適当な絵を見て、自分の脳内に勝手に作り上げた根拠のないイメージなんだろうから、
本物のイエス・キリストの容姿なんて誰も知らないんだから、
厳ついのもヨシとしようか?!ww。(YES!YES!YES!イエスの事だけに。)

ただ、顔の方はそれでよしとしても、身体つきがガッチリし過ぎてるのは、
別に軍人でもなく、歩く事と説法しかしてないのに、ちょっと納得ゆかんけどね。
尚、ホアキン・フェニックスは、2019年10月に全米公開予定の映画『ジョーカー(原題)』(DC最新作)で主演を演じる。
[引用:フロントロウ-「新星ジョーカー」はバットマンのいない世界が舞台【写真アリ】]
こっちは、悪名高きキャラクターとの事でキリストとは正反対。
演技力の幅の見せ所だろうか?

さて、イエス・キリストのイメージの話はさておき、
映画の脚本、構成の方はと言うと、
伝説は省いて、人間味のある等身大のキリスト像を描こうとする気遣いが窺えます。

皆さまもご存じのように、聖書引用ではイエスはベツレヘムの生まれとされていますが、それは伝説上の話で、
本当のところは、ナザレ出身だそうです。
だからこの映画でも「ナザレのイエス」と呼ばれておられました。

キリストの話が長くなってしまいましたが、この映画の主役はマグダラのマリアを演じるルーニー・マーラ。
そのルーニー・マーラとキリスト役のホアキン・フェニックスは、どうやらこの映画での共演が切欠で、こっそり結婚されたそう。
こうした予備知識があれば、映画の中で2人が熱く交わす視線は、演技ではなく本気だったんだな~と思って観れて、それもまた楽しそう♪

次に、映画の中身とキャストの事にちょっと触れておきたいのですが、
この映画の中でキリストの弟子(最後の晩餐という名画でキリストを囲んでお食事している方々ですよ。)の中に、黒人が2人いて、
あれは、史実と相当掛け離れているのではないか?と思ってしまいました。
だって、イエスはアフリカ方面は旅してないでしょう?
黒人の1人は、マグダラのマリアと共にイエスに目を掛けられた弟子のペトロ役のキウェテル・イジョフォー。 
遺されたどんな書籍の中でも、ペトロはイスラエルの出身だとされていて、ペトロ役が黒人である事には首を捻ります。

そしてユダですが、福音書には「ユダは金をもらいイエスの居場所を教えたためにイエスは捕らえられ処刑された。」とあるそうなのですが、この映画ではそんな風には描かれておらず、
裏切りには違いないのですが、
「イエスの身に危険が迫れば、奇跡を起こして神の国を出現させるだろう。」との考えで裏切ります。
あくまでも神の国の出現と亡き妻子との再会に拘ったユダでした。
しかしそれでも、イエスは奇跡を起こさず、待ち望んだ神の国へ入る奇跡が起こらなかった事に失望して自殺します。

キリストの最期と復活の生き証人とされるマグダラのマリアですが、復活の方は極めてマリア個人の観念的なもので、
生き返ったキリストの姿はマリアにしか見えなかったようでした。
それで奇跡って言うには、かなり無理があるような…。