終末期医療の現場にいる医療従事者にとって「死」は頻繁にやってきます。
何せ元気になって退院していく人はほぼいない病棟なんですから。
そこで働く歩(岸井ゆきの)が最後にナレーションで語る言葉、
「死ぬって怖い。まだよくわからない。でもたとえどんな死を迎えても私は私で、あなたはあなただ。死ぬって何だろう」
死とは人間が永遠に答えを出せないものなんだと、改めて思わされた最終回でした。
NHK 土曜22時
「お別れホスピタル」最終回
主演…岸井ゆきの
脚本…安達奈緒子
演出…笠浦友愛
まるで極上の松花堂弁当のように、今回も1つ1つ丁寧に紡がれたエピソードがぎっしりと詰め込まれていました。
最も時間が割かれたのはビルオーナー池尻(木野花)のエピソードでした。
いよいよ死期が迫っているのを自覚し、弱気になる池尻の言葉も印象的でしたね。
「いよいよ死ぬかぁ、怖い。なんで怖いんだ?何が怖いんだ?自分が自分でなくなるから?」
自分らしい生きざまを意地でも貫いてきた池尻にとって自分らしく生ききれないのは恐怖だったんでしょうね。
後生大事に持っていたビルの権利書を、池尻はすべて食べてしまい亡くなりました。アッパレな最期でした。
しかし、みんな池尻のように亡くなるとは限りません。
夫を寝たきり状態でも生き延びさせた水谷(泉ピン子)は自分が死んでも病院のスタッフがちゃんとケアしてくれることを安心し、夫のベッドの脇で眠るように亡くなります。
夫は妻に先立たれたことも知らずにただ心臓は動いている。いつ死を迎えられるのかわかりません。何だか複雑でした。
がんのステージ3がわかった赤根(内田慈)が入院し、大学進学をやめて働いて看病するという息子(丈太郎)と言い争いになり、自分の生き甲斐を奪うなと息子を説き伏せる赤根にもグッと来ましたが、
退院した赤根に、今までいがみ合うことの多かった声の出ない大戸屋(きたろう)が、口の動きで「生きろ」と伝えるシーンには泣けました。
第3話の木村祐一に続いて、きたろうに泣かされるとは…
大戸屋もいつ死ぬかわからない恐怖におびえながらいつもいるからこそ、重い言葉なんですよね。
前回、自分はいい親じゃなかったと自戒していた福山(樫山文枝)。
生きてることしか息子のためにしてやれない…と語る福山の息子は引きこもりで、母親の年金で暮らしてました。
息子を突き放せず甘やかして、自立し生きる力を奪ってしまったんでしょうね。
手術し、苦しんでもいいから息子のために生きていたいという親心が悲しかったです。
就職先が見つかったというウソもお見通しだったでしょうね。
歩いわく、終末期病棟は生ききるための場所ってことでしたが、教師時代は「塩げんこつ」と呼ばれたガチガチの堅物だったらしい幸村(根岸季衣)は、
今は抑えていたものから解放され、派手にメイクをして、ケアワーカーにベタベタして楽しんでいました。
教え子の佐都子(小野花梨)があまりの変わりように食ってかかったら、幸村は急に真顔になり
「年とるとね、だんだん自由になってくの」と答えました。
これにはドキっとしましたね。
幸村は認知症のふりして実は頭はクリアでわざとボケたふりしてるのか?と思ってしまいました。
自分はどんな死を迎えるのか?
自分らしく生ききることはできるのか?
そんな漠然たる不安を抱えながら、歩や広野(松山ケンイチ)と同じように、私めもジタバタと生きていくしかないなと考えさせられました。
NHKならではの実に見ごたえある作品でした。
人の生き死にを扱いながら一切お涙頂戴ではなかったのは素晴らしいです。
続編がまたあれば見たいです。
今回も評価は…9