このドラマの原作では清家一郎が主人公なんだそうですね。
最終回の記事で今さら書くのもお恥ずかしい話ですが、興味深いのは原作を書くにあたり主人公のイメージがイマイチ明瞭にならずに原作者が悩んでいた時に、
「ニュースZERO」でキャスターをしている櫻井翔をテレビで見て、そうだ、こういう人なんだとイメージできたんだそうです。
道理で櫻井翔にピッタリの役だと思ったわけだと、今さらながら納得した次第です。
TBS 金曜22時
「笑うマトリョーシカ」最終回
主演…水川あさみ
脚本…神田優
演出…岩田和行
最終回を見終えて身も蓋もないんですが、このドラマは原作通りに清家が主人公で良かったのでは?というのが私めの結論です。
道上(水川あさみ)を主人公にしたがために、夫(和田正人)と息子がいることにしましたが、それが最後までどうでも良くて邪魔くさくしか感じなかったこと。
道上が本来、最優先してやりたいのは父親(渡辺いっけい)の死の真相究明と、父親が調べていたBG株事件の追及であるはずなのに、
ドラマはそれより、誰が清家を操っているのか?の方がメインのようになってしまいました。
疑わしい人物が次々に変わっていくから、そちらの方が面白くなってしまったんですね。
そりゃそうでしょう。原作もそちらがメインなんですから。
前置きが長くなりましたが、最終回ではBG株事件と道上パパの死についてもすべてわかりましたし、清家は誰に操られていたか?の答えも出されました。
前者はわかったところで、ふ~~んでしたが、引き込まれたのは後者の清家と道上の直接対話で明かされる清家の本性でした。
道上は誰かが清家を操っていると決めつけて見誤っていたのです。
清家は誰にも操られてはいませんでした。
清家を利用しようとする浩子(高岡早紀)も、亜里沙(田辺桃子)も、鈴木(玉山鉄二)も自分を「見くびってる」とわかったら切り捨ててきたのでした。
オレを見くびるな!
これ言った時の清家から発する青白い炎のような怒りにゾッとしました。
しかし、清家は実は自分のことがよくわかっていません。
そんな清家が信じて自分をサポートして欲しいと願ったのが道上でした。
自分のことをよく見ていて欲しい…
あの言葉は、道上にすがりたい清家の心の底からの言葉だったんですね。
しかし、道上は清家のブレーンにはならず、ジャーナリストに戻りました。
マトリョーシカの一番小さいところまで出した清家が、道上が去ったあとにまた元の大きさに戻したのは、
また心を閉ざした清家を巧みに象徴してました。
櫻井翔の虚無な表情が何ともいえませんでした。
このシーンを見て、櫻井翔自身のマトリョーシカの一番小さいところはどんな表情、感情なのか?とふと思ってしまいました。
最終回の評価は…8