2023年4月13日参拝。
2017年8月、2019年12月、そして今回が3回めの参拝になります
駒込天祖神社
JR山手線・駒込駅南口より徒歩11分。
東京メトロ南北線・駒込駅1番出口より徒歩10分、本駒込駅2番出口より徒歩7分。
【バス】
JR山手線・駒込駅南口より
都バス23区【茶51】秋葉原駅前行「駒込富士前」下車 徒歩3分。
鳥居。神明鳥居です。
社号碑。
長~い参道です。
新緑が美しい参道ですが、銀杏が黄色に色付く頃の参道もまた絶景なのです
社殿が見えて来ました。
右手に手水舎
右は従来通りの柄杓で、左はコロナ禍仕様の流水で、好きなほうで浄められます。
狛犬
彫りが深く、大きい口
全身に柄がある個性的な狛犬です。
文京区本駒込に鎮座。
『江戸砂子・巻三』(享保17年)や『江戸名所図会』(天保3年)によれば、
文治5年(1189年)源頼朝が、奥州の藤原泰衝追討の途中この地に立ち寄り、夢で松の枝に幣がかかっているという御神託があり、家臣・安達盛長に伊勢神宮祈願の地を探させたところ、松の枝に大麻(伊勢神宮のお札)がかかっているのを発見。
頼朝は征討のよい前触れと喜び、その松の辺りに神明宮を建立し、天照大神を祀ったのが神社の起源と伝わっています。
【東国における伊勢信仰の起源】
平安時代末期から、関東地方に伊勢神宮の神領や御厨が成立し始め、外宮・権禰宜の度会光親が源頼朝公のために祈祷したことに源を発すると考えられていますが、それ以前にも祀りの場があった可能性もあります。
拝殿
大きな屋根の神明造の社殿は迫力があります。
内削ぎの千木に、10本(偶数)の鰹木は、女神を示しています。
珍しい西向きの社殿です
西ということはもちろん、伊勢神宮の方向ですね。
社名旗。
【御祭神】天照皇大神
四神旗。朱雀と青龍
玄武と白虎
神宮大麻のかかっていた松の木は御神木として崇められ、直径4尺(1.2m)ほどの大木でしたが、享保年間(1716~1736年)に枯れてしまいました
その後、宮守りもなく神社は中絶し、御神木の老松の根元に小さな祠を残すのみとなりましたが、慶安年間(1648~1652年)に堀丹後守利直により再興したと伝えられています。
江戸時代には「駒込神明宮」と称され、駒込村の総鎮守として信仰を集めました。
地元の人々からは親しみを込めて「お神明さま」と呼ばれていました。
明治の神仏分離により別当・大泉院から離れて「天祖神社」と改称され、神官のもとに氏子総代が出来ました。
昭和20年(1945年)空襲により焼失しましたが、戦後、復興奉賛会が結成されます。
現在の神明造りの社殿は、各町氏子崇敬者の熱意により昭和29年(1954年)に再建されたものです。
拝殿の手前右手に、御神木。
左手に、神楽殿。
下に七五三参りの写真が展示されています
七五三と言えば…
実は、私が3歳の時に七五三の御祈祷を受けたのも「駒込天祖神社」なのです。
母方の祖母の家がすぐ近くにありました。左が祖母、右が母です。
半世紀経っても、参道も狛犬も変わっていませんね
ご本殿
もちろんご本殿も、千木は内削ぎ、鰹木は6本(偶数)=女神です。
裏参道。
あれ、以前はこの裏参道にも鳥居があったような気が…思い違いかな
神社公式Facebookによると、貫の部分が崩落したため、2020年7月に撤去されたとのことでした
裏参道の右手に、庚申塔。
「庚申信仰」は、青面金剛(しょうめんこんごう)を御本尊としていて、「猿」の字が「庚申」の「申」に通じたことから、神道の猿田彦神とも習合しています。
猿が「庚申」の使いとされるため、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿が彫られています。
参道に戻ります。狛犬の後ろ姿。
「江戸尾立」という種類です。
その名の通り、立派な尾がピン!と立っています。
参道の左手(北側)からも参道が合流します。
こちらの小さい狛犬は、「宝珠(天神系)」と呼ばれます。
阿型(向かって右)は、頭に宝珠を乗せ、
吽型(向かって左)には、角があるのが特徴です。
参道を拝殿側から
境内社をご紹介します
鎮火稲荷神社🐺
【御祭神】
宇迦御魂命 (うかのみたまのみこと)
三社合祭社。
榊神社
【御祭神】
淤母陀流神(おもだるのかみ)
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
戸隠熱田神社
【御祭神】
天手力男命(あめのたぢからおのみこと)
倭健命(やまとたけるのみこと)
須賀神社
【御祭神】
須佐之男命(すさのおのみこと)
亀石🐢
天保8年(1837年)の『東都歳時記・巻之三』には祭礼の様子が詳細に記されています。
「鹿嶋踊り」というものが定例で、若者が女装して、女性の腰巻きを帯の下にまとって神事を行っていましたが、宝暦9年(1759年)以降途絶えてしまいました。
参道の右手に、
神輿庫(町神輿)が並びます。