【埼玉県・志木市】敷島神社・田子山富士『山仕舞い』 | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2023年8月20日(日)。


「敷島神社」境内の「田子山富士富士山『山仕舞い(お焚き上げ)炎がありました。


「お焚き上げ」(=火祭り)は、都内や埼玉県内でも珍しい行事の1つとのことですが、「田子山富士」では毎年「山仕舞い(お焚き上げ)」の行事を行っていますおねがい



事前準備は計4日間行われ、私は2日間参加しました。

8月1日(火)、午前9時集合。

この日は、井桁に組む櫓(やぐら)松明(篝火)のための薪作りと、
当日参拝者に無料配布する「燃えさし」作りです。


A班は薪作り

暑い中太陽力仕事お疲れさまです。


私たちB班は「燃えさし」作り。
まず、角材を8cmの長さに切ります。


それを鉈(なた)で縦に4分割します。


薪割りのミニチュア版みたいな感じで、コツをつかめば簡単口笛
この作業、楽しくて病み付きでした(笑)


4分割にしたもの。たくさん出来ました爆笑

それを金網に並べて…(バーベキューみたいゲラゲラ)

バーナーで真っ黒になるまで焦がします炎

6面全部を黒くするのが意外に大変アセアセ
焦がし過ぎるとボロボロになっちゃいます。

焦がしたてのアツアツ炎炎炎


水を掛けて冷ましますタラータラータラー
上にあるのは焦がし過ぎてボロボロになったやつ。


「燃えさし」に付ける紙垂を折って、スタンプを押しました。


「燃えさし」がすっかり冷めたら、針金を巻いてこの紙垂を取り付けるのですが、その作業はまた今度。


午前中2時間ちょっとの作業でしたが、この日は曇り曇りで気温も少し低く助かりました照れ


8月17日(木)。午前9時集合。

先日作った「燃えさし」に針金を巻いて完成させます。
「紙垂(しで)」と、


「お札」の2種類があります。


予定よりだいぶ早く完了したので、田子山富士富士山と境内の草刈りをしました。


炎天下太陽での草むしりは汗だくになりましたが、何とも言えない清々しい気分照れキラキラキラキラキラキラ


伸びていた雑草がなくなり、スッキリした田子山富士富士山キラキラキラキラキラキラ


8月19日(土)。午前9時集合。

私は不参加でしたが、「山仕舞い」の前日、(やぐら)3基を井桁に組む作業が行われました。




組上がった櫓をブルーシートで養生。
四方に立てた竹に注連縄を掛け、
結界を作ります。


8月20日(日)。
いよいよ『山仕舞い』当日です!

神事は17:30からですが、私たちは16時に集合。


櫓の前に遥拝所が設けられていて、
ここからお焚き上げの炎炎越しに田子山富士富士山の山頂・奥宮を遥拝しますお願い


当日は3班に分かれ、私は参拝者に「燃えさし」を配布する係でしたが…

17:30からの拝殿内での神事にも参列させていただけることになりました爆笑キラキラ

※画像は田子山富士HPより。

宮司さんによる祝詞奏上・献饌・玉串奉奠などが行われましたお願い🌿

その後、宮司さんと一対の提灯🏮に続き、三宝に載せた御供物を境内遥拝所の前の供物台へ移動するのですが…
なんとそのお役目までさせていただきましたびっくり

※画像は田子山富士HPより。

米・酒・乾物&果物・野菜・塩の順に並んで進みます。
私は野菜を運ばせていただきました。
山盛りの茄子🍆が転げ落ちないように、そして石畳につまずいて転ばないように、緊張で顔がこわばっていたかも知れません滝汗


宮司さんによるお祓いキラキラキラキラキラキラ


17:50。いよいよ点火です。
まず松明(たいまつ)に点火炎

続いて(やぐら)にも点火します炎


燃え盛る炎炎の前で宮司さんによる
祝詞奏上・お祓いが行われ、
無病息災・災難除けを祈念しますお願い


参拝者には、櫓の周りを囲むように列を作っていただきました。


境内整理担当班の皆さん、お疲れさまでした照れハート


櫓松明担当班の役目は、火の保持炎


猛暑の中太陽さらに熱い炎滝汗
本当にお疲れさまでした照れハート



【吉田の火祭について】
『吉田の火祭』は、夏の富士山富士山の山仕舞いのお祭りとして、毎年8月26日・27日に、富士吉田市の上吉田地区で行われるお祭りです。
通りには大きな松明炎が並べられ、多くの人が見物に訪れます。

古くは「日本三奇祭」、現在は「日本10大火祭り」の1つに数えられ、山梨県の無形民俗文化財に指定されています。

田子山富士富士山の「山仕舞い」の行事も、
この『吉田の火祭』に倣っていますおねがい

【元は諏訪神社のお祭りだった!】
現在では「北口本宮冨士浅間神社」のお祭りとして知られていますが、元々は、現在では摂社となっている「諏訪神社」のお祭りでした。

『甲斐国志』には、「上吉田村諏訪明神の例祭として町中で篝火を焚く」とあり、「上吉田の産土神である」と記されています。
浅間神社のある森は「諏訪森(すわのもり)」と呼ばれているように、当地には昔から上吉田の守り神である諏訪の神様が祀られていたのです。

『古事記』によれば、国譲りの力比べに負けた建御名方神は、信濃国・諏訪湖へ追い込まれました。
伝承によると、建御名方神が追われて逃げていた際のある夜、当地住民が手に松明炎を持ってお迎えしました。
追手は援軍と見間違えて退却したので、諏訪の神・建御名方神は当地にしばらく滞在され、そのためこの地を「諏訪の森」と呼び、地主神として「諏訪神社」を祀った、という伝承があります。
その故事を忘れないよう、住民が手に持った松明を大松明として焚き上げ、諏訪の神様を称えたのが火祭り炎の起源とされています。

※東京大学総合図書館蔵『諏訪大明神富士浅間宮火防御祭礼之図』


やがて富士信仰富士山が盛んになり、「浅間神社」の境内地が広がり勢力が増すにつれ、「諏訪神社」が吸収されて摂社となり、御師町の興隆によって氏神も「浅間神社」であるとされました。

「浅間神社」の御祭神・富士山の神様富士山である木花開耶姫命桜は、火炎の燃え盛る産屋の中で無事3人の子どもを産んだことから、この故事になぞらえて火を焚くのだと言われるようになりました。

※葛飾北斎『富嶽百景』 木花開耶姫命 

こうして『吉田の火祭』は、「北口本宮冨士浅間神社」と摂社「諏訪神社」の両社のお祭りとなったのです。

※山梨県立博物館蔵『富士山北口全図鎮火大祭』

『吉田の火祭』では、火防のおまじないに松明の消し炭=「オキ」を拾い、火事除け・安産・子授・無病息災の御守として持ち帰る風習があります。
田子山富士富士山の「山仕舞い」もこれに倣い「燃えさし」を配布していますウインク


宮司さんによる祝詞奏上・お祓いが終了すると、参加者の遥拝が始まりました。

遥拝所でのお参り後、
「燃えさし」を無料配布します。

この「燃えさし」は、家の入口に吊るしておくと、火除け・招福除災の御利益があると言われています。

本来は、櫓や松明の燃えさしをお持ち帰りいただきたいのですが、熱くて大変な危険を伴います。
参加者の安全を考え、前述のように事前に作った「燃えさし」を配布しています。
心を込めて作っていますし、配布する前に、宮司さんが大麻と塩でお祓いをしてくださっていますのでご安心ください照れ

※画像は田子山富士HPより。

参拝者の方の列もなくなり、櫓もこんなに燃えてしまって残り僅か。


私たち田子山富士富士山保存会ボランティアも、最後にお参りしますお願いキラキラキラキラキラキラ


この時の光景、何だか今見ても涙が出そうです悲しい


暑い太陽&熱い炎中、皆さん本当にお疲れさまでした爆笑乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ


名残惜しいですが…


消火アセアセアセアセアセアセ


いただいた「燃えさし」は玄関の壁に掛けましたおねがい


壁が黒くなってしまうので、燃えさしだけ透明のジップ付き袋に入れていますウインク


【御朱印】

特に「山仕舞い」の限定御朱印などはありませんが、令和5年8月20日の日付の御朱印を記念にいただきました照れ


初参加の「山仕舞い炎」最高でした照れキラキラキラキラキラキラ
拝殿での神事にも参列させていただき、御供物を運ぶお役目までさせていただきました。
こんな経験を人生でさせていただけるなんて、感謝の一言です乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

参加者に「燃えさし」をお渡しする時、皆さん本当に幸せそうで、
「ありがとうございます。」と必ず感謝のお言葉をいただき、心から幸せな気分にさせていただきました乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

この貴重な行事をずっと継続していけるように、これからも精一杯お手伝いしたいと思いますちょっと不満!!


長文の記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン


【参考文献】
・北口本宮冨士浅間神社HP
・『北口本宮冨士浅間神社誌略』
・富士吉田市教育委員会『吉田の火祭のヒミツ』