【千葉県・流山市】流山浅間神社 | 鳥居の向こう側

鳥居の向こう側

埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2023年5月25日参拝。


流山浅間神社神社


電車流鉄流山線・流山駅より徒歩3分。

流鉄流山線は、自宅からだとJR武蔵野線に乗り、新松戸駅に隣接するはずの幸谷駅で乗り換えるのですが、この幸谷駅がものすごくわかりにくいところにあって、焦りました滝汗


玉垣に囲まれた神域の入口

まず注連柱があって…

だいぶ奥に鳥居です。

流山市流山の中心地、根郷(ねごう)に鎮座します。


醤油醸造家・浅見家の初代当主により、浅見家の鬼門と裏鬼門にそれぞれ「浅間神社」と「箭弓稲荷神社」を据え、初代逝去の1年前の正保元年(1644年)に創建されました。
そのため、「浅間神社」は浅見本家の方向を向き、「箭弓稲荷神社」と対になっていました。

富士信仰(富士講)の盛んだった江戸時代初期の創建です。
享保元年(1716年)、境内に庚申塚が築かれ、この頃から根郷地域の鎮守の社となりました。


当初、「浅間神社」と「箭弓稲荷神社」は小規模の祠だったと考えられていますが、安政4年(1856年)の台風によって倒壊し、その後、5代目当主・浅見平兵衛萬蔵(浅見家10代目)により再建されました。


参道右手に手水舎アセアセアセアセ

水盤タラー

正方形の中が丸くくり抜いてあります。


あれ?柄杓は?
と思ったら、柱に掛かっていました。



石燈籠があり、少し上がったところが拝殿です。



拝殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

【御祭神】木花開耶姫命


御神木ではないようですが、拝殿前の左手にイヌマキの木

右手にはカヤの木があります。

酒の醸造から始まり、みりんで栄えた流山の町ですが、
大正6年(1917年)、千葉県野田市・流山市の個人醸造家8家が合同で「野田醤油株式会社」を設立。(現在のキッコーマン株式会社)
この個人醸造家8家のうちの1つが浅見家です。



境内社をご紹介しますおねがい

社殿の右手奥に、
伏見稲荷社🐺

【御祭神】宇迦之御魂大神



参道の右手、手水舎の手前に、
天満宮

【御祭神】菅原道真公


境内入口のすぐ左手に、
成田不動尊

明治29年(1896年)、浅見平兵衛萬蔵・青山茂助・堀切紋次郎によって建立されました。

祠の左に庚申塔

左・坐像は、享保元年(1716年)の建立。
右・不動明王(成田山月参)は、享保2年(1802年)の建立です。


参道左手に、神楽殿


鳥居右手に、神輿庫



さて!ここからがこの神社を訪れた目的です爆笑
社殿の裏手にある
富士塚(流山富士)富士山

浅見平兵衛萬蔵は、明治19年(1886年)から明治22年(1889年)にかけて、江戸川波で富士山富士山の溶岩を運搬し、富士塚を造成。
明治24年(1891年)に完成しました!!
高さ約6m、流山市指定有形文化財となっています。

我が「田子山富士富士山」も、すぐ裏に新河岸川波が流れていて、溶岩を船で運びましたが、富士山から溶岩を運ぶには、やはり船運が重要ですウインク


登山道入口には賽銭箱があり、
「富士塚参拝の皆様にご案内とご芳志の御願い」の立て看板がありました。
『このお山を後世にきちんと引き継いでいくために、ご協力をお願い申し上げます。』と書かれています。
100円の入山料を入れましたおねがい 

登山道は「吉田口登山道」を模したものです。(これも「田子山富士」と同じ)
富士塚には数多くの石造物がありました、麓からご紹介。

金刀比羅大神・阿夫利大神の石碑。

明治時代、醤油醸造家・浅見平兵衛萬蔵が、船による醤油の安全な運搬を祈願した石碑です。
なんと、これもシンクロ!
「田子山富士」も、醤油業者の高須庄吉さんが発起人です。


浅間両社の石碑。

「浅間両社」とは、本宮山宮でしょうか。


水神社

祠の裏に、御祭神彌都波能賣神の石碑があります。



一合目の合目石と、
一ノ嶽鈴原神社

大杉大明神・水神宮・浪割舩玉宮の石碑。

「浪割舩玉宮」という名称は初めて目にしますが、「船玉」なので、航海の安全を願う神様でしょう。


三合目の合目石と、
小室浅間社

富士山では「冨士御室浅間神社」という名称です。
富士山は明治5年までは女人禁制で、女性はここまでしか登れませんでした。


御座石浅間社

富士山では、四合五勺のところに「御座石」があります。
60年に1度の庚申の年のみ、女性でもここまで登山が許されました。
(田子山富士では、御座石の祠は一合目に落下してしまい、一ノ岳鈴原神社の石碑の前にあります。)


富士森稲荷社

富士山では「富士守稲荷神社」です。


天宇受賣命の石碑。


八合目の合目石

写真は全部は載せませんでしたが、「流山富士」には一合目から九合目まで、全ての合目石がありました。
(羨ましい~驚き)
 
九合目あたりに富士山富士山を望める場所が1ヶ所だけある、とのことでしたが、見えませんでしたぐすん


久須志神社の石碑。

「久須志神社」は、須走口・吉田口・河口湖口の登山道の頂上に鎮座し、「東北奥宮」とも称されています。
元々は「薬師堂」と呼ばれていましたが、明治の神仏分離で「久須志神社」と改称しました。

※富士山本宮浅間大社HPより。


ついに山頂です爆笑キラキラキラキラキラキラ
富士浅間大神の石碑。

山頂のスペースが狭く、しかも石碑が高さ2mと大きいため、引きで撮影カメラ出来ずこれが精一杯にやり

石碑は明治19年(1886年)のものなので、先に石碑が祀られていて、後から完成した富士塚(明治24年に完成)の山頂に設置したことになりますねキョロキョロ


山頂から社殿を望むカメラ



【遥拝から登拝へ富士山
江戸時代中頃から「富士信仰」は、
それまでの【畏敬遥拝お願いから【登山参拝(登拝)足に変わり、こぞって富士登山をすることが、当時の流行となりました。 
富士登拝は「不死」にも通じることから、極楽浄土・御利益を求め江戸を中心に「富士講」が広まり、仲間を募ってお金を積み立て、活発に富士登山を行ったのです。 

白衣姿で鈴を振り、
「六根清浄(ろっこんしょうじょう) お山は晴天」
と唱えながら頂上の富士浅間大神に参拝すれば、富士山に登ったのと同じ気持ち・効果・御利益が得られるとされました。 
「六根」とは、
眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻根(嗅覚)・舌根(味覚)・身根(触覚)・意根(意識)のことで、
「清浄」とは、清らかになる・澄ませるという意味で、一歩一歩踏みしめながら山の懐深く入ることにより、全身を清らかにするという意味があるとのこと。 

余談ですが、この修行の登山の際の掛け声「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が訛って、「どっこいしょ」という掛け声になったそうです。
そうなんだぁびっくり


「田子山富士富士山」のように裾野が広くなくて、とても狭いスペースの中、高さがある富士塚なので、当然登山道はとても険しく慎重に登らなければなりませんでしたガーン
なので、撮影出来ていない(見つけられていない)石碑も多くあると思います。


午前中早い時間だったため、境内のすぐ左手のお宅の女性が、窓を開け放ってお掃除をされていて、私の様子(きっと不審な動き)をずっと気にしてくださっていました。
足場の悪い富士塚で撮影カメラをしていると、たまりかねて「落ちないように気をつけてね!」と言ってくださいました。

ご心配おかけして申し訳ありませんアセアセ


流山根郷地区は、幕末の慶応4年(1868年)に、新選組と新政府軍が激突した地です。
醸造家・長岡屋を本陣として、光明院・流山寺などに分宿していた近藤勇以下の新選組は、新政府軍に包囲されます。

「流山市立博物館」所蔵の『恩田家文書』によれば、
「浅間裏に官軍方の大将は菊の紋付の旗をおし立てて本陣とし、江戸方の本陣長岡屋の方へ大砲を向け設置した」
とあり、
新政府軍の仮本陣が置かれたのが「流山浅間神社」の裏手で、菊のご紋の錦の御旗を立て大砲を設置していたことがわかります。


前述のように、富士山から切り出した「ボク石(黒ボク)」=溶岩を組み込んだ富士塚は明治24年(1891年)に築かれたもの。
新選組が流山に来た当時は、まだありませんでした。
つまり新政府軍の仮本陣が置かれたのが、まさにこの「流山富士」のある場所だったのです。

近くには近藤勇が陣を置いた「近藤勇陣屋跡」もあります。

※「新選組観光なび」より。

慶応4年4月3日、近藤勇は、流山を兵火で焼かれることを懸念し政府軍に自首しています。


無人社のため御朱印はありません
お祭りやお正月などの期間は、境内に出ているテントで御朱印がいただけることがあるそうですが、
それ以外の時期は、鳥居の向かい側にある提灯屋さんで書き置きの御朱印がいただけるとの情報を得たので、訪ねてみました。

が…現在はやめてしまったそうです悲しい
コロナ禍を境に、ということなのだと思います。残念⤵️


富士塚富士山というと目の色が変わってしまう私爆笑
周囲を何周もぐるぐると回っていろんな方向から見たり、かなり不審人物だったかも(汗)
楽しかったですルンルンルンルンルンルン



星お知らせ星

今週末・8月20日(日)に、
敷島神社「田子山富士富士山
「山仕舞い(お焚き上げ)炎があります。

「お焚き上げ」(=火祭り)は、都内では珍しい行事の1つとのことですが、「田子山富士」では毎年「山仕舞い(お焚き上げ)」の行事を行っていますおねがい

神事は17:30より行われます。 
「敷島神社」拝殿内にて水宮宮司による祝詞奏上などが行われた後、境内へ移動。
井桁に組んだ櫓(やぐら)と松明(たいまつ)に点火炎し、神事が行われます。
夕闇の空に勇壮に燃え上がる大きな炎の前でお祓い・祝詞奏上し、無病息災・災難除けを祈念しますお願い


※写真は、令和4年8月21日(日)のものです。

参加者には「燃えさし」を無料で配布いたします。
この「燃えさし」は、家の入口に吊るしておくと、火除け・招福除災の御利益があると言われています。

お近くの皆さま、是非是非お越しください!!お待ちしておりますウインク


次回は敷島神社「田子山富士富士山」の「山仕舞い」の様子を、準備段階からレポートしますウインク

最後までお読みいただき、ありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン