昨日、ムッシュさんのサロンに、カット&カラーリングに行って参りました!
今回の色は、黄緑?
マサコちゃん、いつもセットしてくれてありがとう💕
カラクムル遺跡でさっそくの罠にはまる!
1月28日、旅の終盤はカラクムル遺跡に行って来ました。
ここは、今回の旅の中の1番の難所でした。
あまりに大変な場所のため、日本人はほとんど訪れないようです。
涙・涙の道中のお話を是非、聞いてくださいね。
まず、ホテルでは朝、鳥の声に目覚めました。
私たちの宿泊棟の隣りの木に、たくさんの野鳥が集まっていて、鳥好きの私は大喜び💓
サンショクキムネオオハシ↓
キバナシマセゲラ↓
ツグミ?↓
ウスハグロキヌバネドリ↓
ハジロバト↓
他にもたくさんの鳥がいたのですが、私はオオハシさんに会えて、めっちゃ嬉しかったです。
やっちゃんが耳元にお花を挿してくれて、こんなすてきなショットを撮ってくれました💕
さてさて、朝ごはんとランチのお弁当をホテルの人に作ってもらい、すぐに出発の予定が、お弁当がひとり分足りない💦💦
「あなた方は、カラクムルで痛みを伴うでしょう」
トビーさんは、前夜、ホテルのレストランの主任に何故かこんな予言?をもらっていたようです。
どう言う意味か分かりませんが、スペイン語を翻訳したら、そう訳されたそうです💦
早くも、それが予兆として現れたような。。前途多難の前触れ???
朝食も、ランチも似たようなパサパササンドイッチとジュースに果物😭😭
でも、氣を取り直して出発です!!
でこぼこのメキシコの道を走ること約2時間。
ようやくカラクムル遺跡の公式ゲートに到着したと思ったら、遺跡まではそこからさらに60キロ・時間にして2時間もかかるそうなのです😨
しかも、その道路がありえないことに工事中だったのです😱
どのように工事中かと言うと、左側の道だけが舗装されており、真ん中で段差が20センチくらいあるのです。
この写真↓は、ある事情があって、帰り道に撮影したものです。
段差がこんなにある道なんて。。。😱😱
最初、右側の舗装されていない道を行くと、途中で対向車が!!
なんとか少し道が広くなっている所がたまたまあったので、すれ違えました💦
そして、だいぶ行った所で、右側の道がどんどん狭くなって行くのです💦
運転するトビーさんが、これ以上行ったら、車が傷つくと判断し、バックしようにも後続車がいる。。
後続車にもバックしてもらい、左側の道への乗り上げ用の坂があったので、後続車から左側に移動してもらいました。
ふと見ると、私たちの後ろに管理会社の車?がいて、私たちが左車線に移動した場所にコーンを置いていました。
えー!遅すぎるだろ😨
めちゃくちゃこの先には嫌な予感しかない。。
どうにか、遺跡の入口に到着したのですが、突然、やっちゃんが転倒したのです。
足元を見ると、地面にプラスチック紐のようなものが輪になって飛び出していて、そこに足が入って転んでしまったのでした。
完全に「トラップ」じゃん!!
実は、カラクムル遺跡は、古典期にティカルと並ぶ強大な勢力を持っていた都市国家遺跡なのでした。
両者は、過去何回も争っており、宿敵関係だったのです。
私は、過去世でティカルにいたと言われていたので、おそらくやっちゃんもティカルの人だった氣がします。
そのやっちゃんが、罠にかかってしまった💦💦
めっちゃ嫌な予感は的中しましたが、その後、もっと大変なことに巻き込まれようとは、その時はまだ想像も出来なかったのでした。
でも大丈夫、ジャガーには食べられてはいませんから。。
マヤ文明の時代、大きな王朝の都は、ティカルとカラクムルが勢力を2分していました。
ティカルのシヤフ・チャン・カウィール2世の時代にティカルには新しく王朝が開かれました。
彼の統治から約百年後の562年、従属国を従え繁栄を誇っていたティカルが「星の戦争」で大敗し侵略を受けます。
この時、ティカルに侵攻したのは、かっての従属国カラコルとその背後にいたと思えるカラクムル。
ティカル同様、先古典期からの老舗国であったカラクムルはティカルを破った後、次第に隆盛し、反対にティカルは130年間もの間モニュメントが作られないという衰退期に入ります。
写真はティカルの宿敵カラクムルの『建造物2』古典期マヤ最大の規模↓
657年には再びティカルが負け、ヌーン王はパレンケに亡命。
その後、ヌーン王は672年にドス・ビラスを攻撃しますが、677年にはカラクムルに負けドス・ビラスを撤退・・・と戦いに明け暮れたヌーン王は679年にカラクムルに大敗北して以降、記録から消えることとなります。
これにより、カラクムルはマヤ最強の大国としての地位を固めます。
しかし679年の大敗北から16年後の695年、ティカル26代王ハサウ王がカラクムル王ユクノーム・イチャーク・カックの「楯と槍を打ち落と」し、カラクムルの守護神を「捕える」という大勝利をおさめます。
この大勝利により、ティカルは息を吹き返します。
ハサウはコンプレッソ・双子ピラミッド建築複合とも呼ばれる新しい様式の神殿建設を始めるとともに、グランプラザの1号神殿・2号神殿、グランプラザを眺める場所にある5号神殿も建設しました。
ハサウの息子で27代王となったイキン・チャン・カウィール1世は、カラクムルや、その配下の国々を破っていきます。
その結果、カラクムルは次第に力を失い、ティカルはマヤ第一の強国としての地位を確固たるものとしました。
カラクムルは、ティカルに喫した大敗(695年)を境にマヤ南部唯一の超大国としての地位から陥落し、徐々に勢力を弱めてゆくのでした。
そして542年から909年までに16人を数えたカラクムルの王統は、909年と推測される石碑に刻まれたアフ・トーク王を最後に、以降確認できなくなるのです。
一般に10世紀末を以ってカラクムルは放棄されたと見なされています。
このようにティカルとカラクムルとの間では、何回も因縁の戦いが繰り返されたのでした。
私たちが、今回の旅の1番最初に訪れたのがグァテマラのティカル。
そして、旅の終盤に訪れたのがカラクムルでした。
これは、たまたまではなく、過去世の戦いのカルマを浄化するためではないかと、私は密かに思うのでした。
誰にも言えませんでしたが。。
そして、まさにティカルとカラクムルの人たちが力を合わせる出来事が帰りに起こったのです。
トラップのあった入り口にあったもの↓
通称カラクムル遺跡と呼ばれるこの遺跡群は、2002年にユネスコの世界遺産に登録されました。
最近見つかって未だ掘り起こされていないピラミッドも多々あり、謎に眠る部分も多い遺跡です。
カラクムル遺跡は、ジャングルに埋もれた状態で1931年に発見され、本格的な調査が開始したのは1982年になってからのことなのです。
カラクムルの都市遺跡は、東京ドーム約640個分だそうで、メキシコ・ユカタン半島南部では最大級の都市遺跡となっています。
このとてつもない面積に大小合わせて6250もの遺跡が分布するそうです。
1982年から始まった調査で、多くの建造物が発見されていますが、そのほとんどはジャングルの高い木々に覆われ、空からも確認することは出来ません。
『カラクムル』という名前は「隣り合う二つのマウンド(丘)」という意味があり、シンボル的な建物の「建造物I」「建造物II」を指して付けられたのだそうです。
まずは、『建造物1号』に登ります。
階段が狭くて怖いですが、登りました!
頂上に登ると、向かい側に『建造物2号』が見えました。
これから、向かい側の2号ピラミッドにも登ります!!
ピラミッド1号から降りたところ。
降りるのがまた怖いんです。
めちゃくちゃ慎重に降りました。
今度は、「ピラミッド2号」↓に登るのです。
「建造物II」は、神殿ピラミッドではユカタン半島一の高さで55m、基盤の長さは、縦横ともに140mもあるそうです。
このピラミッドを上まで登ったなんて‼️
登ってくるやっちゃん↓
頂上からの眺め↓
頂上からは見渡す限りのジャングルの中、ポツンポツンとカラクムル遺跡のてっぺんが見えます。
ジャングルの中に、先程登った「ピラミッド1号」が見えます↓
あの頂上真ん中からこちらを撮ったんだわ。
珠ちゃんも、ジャングルの壮大さに感動?
ランチ用の『お弁当』を背中に背負って登ったのですが、遺跡では食べませんでした。
これまた、めちゃくちゃ慎重に階段を降りました。
無事、全員降りて来られました!
ピラミッドの写真右側の木に、またしてもホエザル2匹がいました。
そして、元来た道を戻るのでした。
トラップのあった入り口の展示↓
王様のレリーフ↓
あのトラップには、上から大きな石が乗せられていました。危ないもんね。
でも、今度は石にけつまずく人が出てくるかも💦
そこから、再びレンタカーに乗って帰る2時間の道で、事件は起きたのです‼️
そのお話は、また次回に。。
つづく