「『もしドラ』は なぜ売れたのか?(岩崎夏海著)」を読んで | 死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語『フライザイン』の世界

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世界150の哲学、思想をもとに基礎知識ゼロでも分かる読みやすい物語にしました。あなたの感想お待ちしています。

長崎に帰省する電車の中で、

「『もしドラ』は なぜ売れたのか?」という本を読みました。

※「もしドラ」とは「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジ
メント』を読んだら」という270万部超えのダイベストセラー本のこと


この本は、『もしドラ』を書いた岩崎夏海(なつみ)氏本人が、その舞台裏を克
明に記したものです。


「なぜ、今さら『もしドラ』なの?」

と思われるかもしれないけれど、その問いには、

「『単なる流行った1作品』という視点ではなく、もっと深い部分に注目してい
るから」

とお答えいたします。


ただ、今回の内容は『もしドラ』を全く知られない方には分かりにくい内容にな
るかもしれませんので悪しからず。


まず、作者、岩崎夏海氏について。

岩崎氏は、秋元康氏のもとで、放送作家として

『とんねるずのみなさんのおかげです』
『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作にたずさわり、
 AKB48アシスタントプロデューサーも務めた人です。


そんなコネもヒットの要因の一つなんだろうなと思っていたのですが、全然違っ
ていました。


「『もしドラ』は挫折から生まれた」と本人が語っているように、

この作品は、秋元氏から

「明日からおれの運転手になるか、会社を辞めるか、どちらか選んでくれ」

と言われたことがスタートになっています。


彼は、会社の近くにある清水谷公園のベンチに座り、

「ぼくは、完全に負けたんだ。
 それを飲み込むことができるまで、ずっとそこに座り続けていた」

そして

「このときの挫折がなければ、ぼくは『もしドラ』を書けなかった」

と自ら書いています。


コネも何もなくなり、この後、ペンネームで書き始めたブログが人気を呼び、

書籍化のオファーが来たのです。

コネ0の状態、それどころか、失意のどん底が大成功の出発点。



人は、挫折すると「終わった……」と思いがちです。

でも後から振り返ると、挫折がスタートだったと気づくことが多い。

挫折、失敗、絶望は、終わりではなく始まり。スタートなのです。


ましてや、

「何だかうまくいかない」とか、

「思ったほどヒットしなかったな」とか、

「ちっとも認めてもらえない」

ということで、しょげてる場合じゃない。


なかなかその時には、そう思い難いですが、

挫折こそがスタートなのだということを今のうちによくよく刻み込んでおきたい



これがこの本の最初の章(15ページ目)までの内容です。



次のページには、

「『もしドラ』は なぜ売れたのか」

という章になっています。


この問いについて、この章ではこう書かれてあります。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『もしドラ』は、単なる思いつきで考えたわけではない。

 ぼくなりの「これからはこういう時代なのではないか」(中略)

 という「読み」があって企画した。(中略)

「読み」で一番重要だったのは、

「これからは学問的な価値を持つエンターテイメントが求められるだろう」

というものだ。

「学問的な価値を持つエンターテイメント」とは、

 娯楽作品でありながら、読んで役に立ったり、

 あるいは学問的な知識をえられたりする____というもののことである」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


【これからは学問的な価値を持つエンターテイメントが求められるだろう】

この言葉に大きくうなづきました。

実際、その傾向が目に見えて強まってきています。


例えば、昨年(2014年)最も売れたビジネス書は、トーハン・日販という書
籍専門の会社によりますと

『まんがでわかる7つの習慣』

だったそうです。 


『7つの習慣』とは、約500ページの分厚いビジネス書。

それを、まんがのストーリーに乗せて書いたのがこの本


2位は『嫌われる勇気』。

これは、難解な「アドラー心理学」を会話の形で、ストーリーに乗せて解説した
もの。

1位、2位とも、

「学問的な価値を持つエンターテイメント」作品です。



20年以上前、

【エンターテイメント性をもって、学問的な価値を伝える】

と志したことは間違っていなかったと、今、改めて実感しています。


私の場合、「学問的な価値」とは、仏教の真髄であり、

それを

「他の哲学・思想とからませながら、ストーリーに乗せて伝える」

という志を立てました。


もともと文章など書ける人間ではありませんので、文章力の勉強は、

1から、いえ、マイナスからのスタートでした。

将来、絶対に必要になるとの思いで、

情熱を継続させながら種をまいてきました。


そして今、まだまだ粗い形ではありますが、一つの作品となりました。

http://masaoosajima.com/gift/mio/index.html

今年は、この物語をよりよいものにしたいと思っています。

願わくは、読まれたご感想、ご批判、なんでも結構ですので、

あなたから、この作品の成長の糧をいただきたいと思っております。


先ほど、「学問的な価値」とは、「仏教の真髄」と申しましたが、

それはそのまま、

「本当の幸福について」

「死に対して自由な心について」

「生きる目的について」

と置き換えることもできます。


ハッキリいって、このテーマは、哲学的、思想的にも最深のものなので、

「そんな内容がお前なんぞに書けるのか」

と批判的な目で見られて当然でありましょう。


「こんな物凄いテーマを、無名の者が分かりやすく物語の形で書けるはずがない」

これが、普通の反応です。


ですから、批判的な視点で結構です。まずはご一読いただき、

その上で、ご指摘、ご非難をいただきたく思っております。


私に得意なことはあまりありませんが、

「書き直しが、苦にならない」

ことは、数少ない取り柄の一つです。


「書き直しは、より作品が成長したことなので、喜びと感じられる」

ので、この作品『フライザイン~死に対して自由な心を求めて僕と彼女と妹の物
語~』

は現時点で30回、大幅に書き直しています。

書き直しさえすればいいのではありませんが、

よりよいものへの追究は妥協なく続けたいと思っています。

ですから、あなたのご批判が何より有難いのです。


もし関心を持たれたならば、

この作品についての紹介ページを覗いてみてください。

http://masaoosajima.com/gift/mio/index.html


鋭い一言、何となく感じられた一言、延々にわたるご説教、

お待ちしております。