死を語るパンダ登場!?「汝自身を知れ」~あなたのすべての行動に共通したものを知る重要性~ | 死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語『フライザイン』の世界

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世界150の哲学、思想をもとに基礎知識ゼロでも分かる読みやすい物語にしました。あなたの感想お待ちしています。

◆ 死を語るパンダ・ぱんたん のディープ・レクチャー ◆


ぱんたんこんにちは



こんにちは! 死を語るパンダ、ぱんたんです。

今日は、

【「汝自身を知れ」~あなたのすべての行動に共通したものを知る重要性~】

というテーマでお話ししましょう。
古代ギリシャの時代から、

「汝自身を知れ」

グノーティ・セアウトン(gnothi seauton)(ギリシャ語)

といわれます。

※映画『マトリックス』でドアの上の飾り額にも書かれてありました(^^)
インフォメーション
有名な孫子の兵法でも

「敵を知り、己を知らば、百戦して危うからず」

といわれますし、

就活も、「自分自身を知るところから始まる」と教えられますから、

時代を超え、国レベルから個人レベルに至るまで、大事なことは

「自分自身を知ること」

なのです。

それは裏返せば

「分かっているようで分からないのが自分自身」

ということ。
そういう観点で、死に対して自由な心を描いた希有な物語『フライザイン』一章の

47ページ(横書き)を見てみましょう。

※『フライザイン』については、こちら。
 http://masaoosajima.com/gift/mio/index.html





「人間だれ一人として幸福を求めないものはない。

幸福を求めるということ以上に、あらゆる人に共通した考えはない」

ヒルティ『幸福論』下7

確かに人は、不幸を厭い、幸せを求めるものだ。
すべての行為はここに行き着く。

だが、そのことをハッキリ意識する人は多くはないようだ。

実際、チグハグな生き方をしていることが少なくない。

金の奴隷になる者。

恋人に振り回され、苦しみの日々を嘗める者。

名声の魅力にとりつかれ破綻する者……。

本当は、金や恋人などが欲しいのではない。

それらを通して「幸せ」が欲しいのだ。

安心、満足、充実といった、喜びを手に入れたいのだ。

(中略)

すべてがこのように、
「なぜ欲しいのか」
「どうして手に入れたいのか」
と尋ねていけば、

最後必ず「幸せになりたいから」にたどり着く。

このことをプラトンは、著書『饗宴』で、

ソクラテスと、ある女性とのやりとりを通して明らかにしている。




「あなたは何を求めていますか?」

と尋ねれば、様々な答えが返ってきますが、
突き詰めると「幸福」が欲しいのです。
言葉を変えれば、

「あなたのすべての行動に共通したもの」、

それは

「幸福を求めている」ということです。

(実際に幸せになれるとは限りません。
「求めているもの」が幸福ということです)
つまり、

「汝自身が欲するもの、それは常に『幸福』であることを知れ」

ということですね。

このことを踏まえて、

プラトンの著、『饗宴』を見てみましょう。




幸福になりたい人は、いったい何のためにそうなりたいのかと
さらに尋ねる必要ももはやありません、

むしろ私たちの答えはもうこれで終極に到達したように見えます。
「幸福になりたい」というこの願望とこの愛(エロス)とは
万人に共通なものであり、

またすべての人は善きものを永遠に所有することを願う。




突き詰めればすべての人は幸福、

それも「ずっと続く幸せ」を願っている、

ということですね。

ここにさらに深まった問題が出てきます。

「ずっとづつく幸せ」なんてあるのだろうか?

ということです。

心は移ろいやすく、

世界は日々変わりゆく。

そして最後には

それまでの大前提を覆しかねない
「死」という大津波が押し寄せてきます。
『フライザイン』(横書き)51ページには、こうあります。




ここで、『幸福論』にも二種類あることを把握しておかねばならぬ。

二つは、ある〝前提〟によって分かれる。

前提とは、〝『死』を考えに入れるか、否か〟。

死を考えなければ、『生活の幸福論』。

死を念頭に入れれば、『人生の幸福論』。

同じ『幸福論』でも、内容はかなり違う。
『生活の幸福論』は『よりよく生きる方法』を扱っている。

このような、『生活の幸福論』は分かりやすく、
何をすればいいかもイメージしやすい。

それに対して、『人生の幸福論』の多くは、
難解で、抽象的で、イメージしにくいものだ。

『死』という認識不可能な問題から『幸福』を
論じるのが『人生の幸福論』だから、

そうなるのは仕方がないのかも知れない。

だからといって『人生の幸福論』を無視していい訳ではない。

それどころか『人生の幸福論』こそ重要なのだ。

それは、『日常の幸福』と『人生の幸福』の関係が
分かれば自ら明らかになる。

〝命あってのモノダネ〟と言われるように、
日常の幸福はすべて、命あることが大前提だ。

その大前提となる土台が崩れたら、日常の幸福は破綻する。

つまり、家を建てるには、土台から始めるように、
真の幸福を見出すには人生の土台に着目せねばならぬ。

この土台がグラついていたら、どんな美しい
〝日常の幸福〟という建物も、根底から破綻するであろう。

その土台を論ずるもの、それが『人生の幸福論』なのだ。




「自分自身」を知れば、すべての行動が「幸福」を
求めてのことだと分かります。

しかもその「幸福」は、「続く幸福」であって欲しいというのがすべての人の願いです。

そう考えたとき、

死を無視した「生活の幸福論」以上に、
死を念頭においた「人生の幸福」が大事だと思います。
そういう視点で哲学書をはじめとした学問書を読むと、
多くのものがはじかれます。

150以上の哲学・思想を学んだ上で書かれた『フライザイン』ですが、

「何を書くか」

と同時に

「何を書かないか」

も重要です。

実は、

「知った上で、あえて書かない」

部分が非常に大切なのです。

『フライザイン』はそういう観点で、

どんな面白い話題、評価されている内容でも、

「私自身の幸せ」

と関係ないものは、割愛されています。

これらのことを踏まえて

「汝自身を知れ」

というシンプルな言葉を見つめなおすと、

その深遠さに気づかれるのではないでしょうか?


『フライザイン~死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語』

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