再会した竹中労は、一刻なまでに「筆の人」であり「情熱の人」だった。書名のとおり芸能人について書かれた文章が収められ、掲載誌に応じて筆致も視点も異なるのだが、一貫して流れているのは「命がけ」の尊さだ。役者が河原乞食の精神を失うことを憂い、歌い手が歌以上に大切なものを持つことを憂う筆には、芸能を享受する側の愛が溢れている。いま、こういう人物がいない。いたとしても、世には出て来られない。なんと不幸で不毛な時代であることか♪
いろいろとてんやわんやの暮らし、毎日更新するのもゆるぐねぇ。はかはかンなっだ…。というわけで、しばらく更新は不定期にします。上記の気仙沼弁は「大変だ。息切れした」という感じです。
獅子てんや瀬戸わんや♪
子供の頃はテレビの「お笑いタッグマッチ」や「末広演芸会」なんていう演芸番組が楽しみだった。今で言うバラエティー番組ですね。寄席中継も多かった。そもそも寄席はバラエティーショーを提供する場だから。落語あり、漫才あり、歌(音曲とかボーイズ)あり、手品あり、声帯模写(ものまね)あり…書いていて悲しくなってしまった。寄席は、文化だったのだ。獅子てんや瀬戸わんや、大好きな漫才だった。ネタは、獅子てんやがひとつのことをしびらっこく言い続けて、瀬戸わんやがそれにキレる、というパターンが多かった。えーと、しびらっこいは気仙沼弁で「しつこい」というくらいの意味です。
タマゴの親父ゃ ぴよこちゃんじゃあ~♪