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YARDBIRD SUITE

~チャーリー・パーカーの思い出~

昭和28年生まれのぼくが街で酒を飲み始めた頃、学生街を除けば、若者が気楽に行けるような居酒屋は少なかった。焼鳥屋なんかの隅で小さくなって飲んでいると、酔って若造に説教する大人が必ずいた。たいていは戦争がらみの話だった。戦地に行った男たちが、当時はまだ現役だったのだ。うるさいな…と敬遠していたが、もっときちんと話を聞いておくべきだったと、今になって思う。水木しげるの「姑娘」はすべて戦争の話だ。あとがきに「ぼくは戦後、中国に行っていた伍長からこの話(姑娘)をきいておどろいた。なんというかわいそうな話だ、と思って何回もきいて、いまでもよく覚えている」とある。読んでみて欲しい♪

 

惚れた相手が猫だったらば、どれほどいいだろう。傍目を気にせずその名を呼び、頬をすり寄せる彼女を膝に乗せ、やさしく頭を撫でる。「とても気持ちがいいわ。もっと撫ぜて」「うん。ほんとにきみは可愛いね」「あら、そんなの当り前でしょ。だってあたしは猫なのよ」「そうだ、当たり前だ。きみは猫だから」「あたし、お腹が空いてるの」「ああ、ごめんごめん」「この餌は嫌いよ。このあいだ買ってくれた柔らかいのがいいの」「そうか。じゃあ明日買って来よう」「明日じゃなくていま食べたいの。買って来て」「でも、もう遅いし。雨も降ってるし」「あたしって可愛い?」「ああ、可愛いよ」「どれくらい可愛い?」「地球上で一番可愛い」「ほんとに?」「ほんとだよ」「じゃあ買って来て」「うーん」「そのかわり今夜は一緒に寝てあげるから」「ほんとに?」「寒いからおふとんに入りたいの」

 

室生犀星「蜜のあわれ」は映画化され、姉妹編のような「火の魚」はTVドラマになっている。どんな話かって?ともあれまずは読んで欲しい♪

 

南方熊楠という途方もない人物を知りたいと思うなら、この漫画を読めばいい。Greed is good.という言葉がある。「欲は善なり」とでも訳すか。欲を掻いてはいけない、と世間では言うが、人を突き動かすものは、つまるところ「欲」である。食欲がなくなれば人は生きてゆけない。性欲がなくなれば人類はいずれ消滅する。水木しげるには、新選組の近藤勇を「めしを食うために武士になり」という視点から描いた「星をつかみそこねる男」という漫画があるが、あらゆる欲を真正面から率直に受け入れながら放埓かつ無邪気に生きた天才、南方熊楠の生涯を描いたこの「猫楠」を以って、彼の代表作としたい。いやー、面白かった♪

 

親しくさせていただいている年長の友人から横浜の思い出話を伺った。三杯屋と呼ばれて愛された店、ガランスというバー、店名の由来となっている村山槐多の話などなど。ぼくは、友人でかつて「やまいだれ」という芸名を名乗り、横浜に縁のあった役者の話をした。そしてその夜にこの本を見つけた。タイトル、村山槐多の装画(「のらくら者」という作品)、冒頭は黄金町の描写と、三題噺のようだった。西村賢太という方は知らなかったが、読み進めるうちに「ああ、あの人か」と思い当たった。そんな経緯がなければ、おそらく縁のないままに終っただろう。青春小説として読んだが、まったく清々しくない。だからこそ、青春というものの本質を実感させてくれた。汚泥の底に潜む、水晶のような純情を♪

 

若い頃から読んではいたが、70才近くなって読み返す内田百閒には格別の味わいがある。「深夜の初会」は対談集だが、座談集と呼ぶのが相応しい。ここでの百閒はまさに百閒そのもの。吉田茂との座談では酔いにまぎれて部屋のバラの花にケチをつけ、志ん生には「くそじじい」と宣う。くそじじいからくそじじいと言われた志ん生は、もう帰りたくて時計ばかり気にしている。もちろんそんな話ばかりではないが。人は忘れるために覚え、別れるために出会う。自分が爺になってみると、百閒の文章から感じられる幸不幸も含めた人生の寂しさが身に沁みるのだ♪